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幸福論っぽいこと

若い頃、部活やバイクなど幾つかの事にハマった。
もし「やめろ」と言われても絶対にやめていない。
バイクに至ってはコケて大怪我して入院したにも関わらずやめなかった。

なんでやってたんだろ?
練習はきつかったし、免許取るの大変だったし(当時、大型バイクの免許は自動車学校で取れなかった)、手間も暇もお金もかかるのに。

楽しくて仕方なかったんだろうな。
手間、暇、お金かけてでもやりたかったんだろうな。
その先に「何か」があることを感じていたんだろうな。

自分が輝けているのを自覚していたのかもしれない。

部活やバイクが「人生そのもの」だった。
練習やバイクに乗っている時間以外もしょっちゅうその事ばかり考えていた。
いわゆる境目がなかった。


そして現在、仕事に対して同じ感覚がある。

仕事中、ふと思うことがある。
「あれ、今って仕事でやってんの? 趣味としてやってんの?」

・・・趣味とはちょっと違うな。
趣味というワクよりもう少し大きなものなのだが言葉でうまく定義できない。


でも当時とは全く逆の事もある。
それは「お金」

当時、それをやるに当たってお金を出していた。
しかし今はそれをやることでお金が入ってくる。

もし今の状態でお金が入ってこないとして、それをやめるのか?
・・・たぶん、やめないような気がする。
むしろお金払ってでもやるような気がする(実際は分からんが気持ち的にはそう)。

なにこれ?
これもうまく説明できないが、当時楽しくて仕方がなかった部活を今もやっているような感覚。
決して楽ではないのだが。


ここに幸福論のヒントがあるように思える。

ロシアの作家である「マクシム・ゴーリキー」の言葉、
 仕事が楽しみなら人生は極楽だ!
 仕事が義務なら人生は地獄だ。


これを肌で感じ始めたのが少し前、そして腹落ち感があるのが今。

2020年、始動。
そろそろ準備の段階から脱出。

人生の折り返し地点を過ぎても守りに入るのはもったいない。

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