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「自分なんて何も出来てない」と思うのは本当に何もしていないから。

タイトルは、私がつい先程洗い物をしているときにハッとした思いつきです。

今のところの私は確かに前よりも動けています。うつ状態になっても、切り替えができるようになりつつあります。

しかし少し前の私はどうでしょう。事あるごとに「自分なんてなにもできていない」「自分なんていても仕方がない」と「自分なんて」をよく考えて発言していました。今もその癖は抜けないままかもしれません。その少し前の自分の行動を今になって冷静に見返してみると、少しの家事や趣味のことはやれていました。

ではなぜ、少しでも出来ているのに「自分なんて」と思っていたのか?

それは、『相手を思って行動していなかったから』です。

「これをやったらきっと感謝されるだろう」「あれをやれば喜ばれるかも」という気持ちで日々のちょっとしたことをこなしていた以前の私。もちろんその「褒めてもらえる」「感謝される」という概念はどんな人間関係においてもとても大切なものだと思います。

しかしこれってどうでしょう。いささか自分本位ではないでしょうか?

「褒めてもらいたい」「感謝されたい」と考えるばかりで、相手の要望を汲み取れていない、少し自分勝手な親切の押し売りになってしまっているのではないでしょうか?それでは、相手から何もアクションがなかったとき、「なんで自分はやったのに」とか「せっかくしてあげたのに」とか、不満の感情が溜まっていってしまうと思います。これって理性的にみると自己中心的ですよね。


では、その「やってあげる」という行為を相手の感情に沿って実行した場合どうなるでしょうか。

例えば相手が片付けられない人で、でもモノが散らかっていると失くしものが探しにくい、とぼやいていたとします。そこで以前の私なら、「よし!掃除しよう!」という単純な考えに至っていたと思います。しかしこれを、少し間を置いて相手の生活の導線を理解してから片付けると、同じ掃除や片付けでも中身が相手に寄り添った”相手本位の奉仕”になります。

自己満足で終わらないぶん、相手に評価される割合が高くなるのです。

これは自分自身に対しても同じです。

例えばいつもは何もしない寝る前。それを少し変えてみる。

明日の準備をしてから眠る。タイムスケジュールを考えてから眠る。ご飯を炊いてから眠る。どれかひとつ、それをやるだけで明日の自分はどんなに楽になっているでしょう。やらないよりもやった方が自分のためになることは明白ですよね。


私は自然とそんな考えに少しずつ少しずつ変化していった結果、以前とは違って動ける私になれたと思っています。

今、自己評価が低いと感じていたり、何かに不満を持っている方はたくさんいると思います。しかし、それだけで終わらせるのはもったいないと私は思っています。

だからこそ、『自分本位の行動を少しやめてみる』。『相手の立場、未来の理想の自分の立場になって考えてみる』くせをつけてみるといいのかな、と思います。


みなさんは、どう思いますか?

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