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それでもやっぱり、この分岐で合ってたよ

一年以上前のnoteで、「分岐」というタイトルで「間違った分岐ばかりを選んだ人生のようだ」、と語ったことがあった。
あれから一年経って、今、あの頃の私に言いたい。ずっと辛かったし、今だって辛いけど、それでもやっぱり、この分岐で合ってたよ、ということ。

正直に言ってしまうと、2017年から患っている精神障害は、一向に寛解する気配はない。通院も服薬も、いまだに続けている。元気な日も増えてはきたが、それでも一人ではとてもではないが生活がままならない。半日以上寝たきりだったり、身体に力が入らなくなって倒れることもまだある。

あの時ああしていれば、こうしていれば、今こんなにも苦しむことなんて、なかったんじゃないか、と何度も思ったし、今でもたまに思う。でも、その時どの分岐を選択したところで、根本的な解決に至ることはなかったのだと、ようやくこの歳になって気が付いた。病気になって初めて、自分がいかに歪んだ環境に置かれていたのか、どこまでが刷り込みでどこからが自分の気持ちなのか、本当に自分がやりたいことは何なのか、考えるようになったのだ。

この、自分を見つめ直す期間というのは、私にとってはすごく大切なものだったのだと思う。なぜなら、私はそれまで環境に対して疑問を抱いたことも違和感を感じたこともなく、そしてそれらは、自分を守るために無意識に感覚を麻痺させていたために、簡単には気付くことのできないものだったからだ。

何年か前の私にとっては、勉強が唯一私が人並み以上にできることで、それが唯一認めてもらえる手段だと思い込んでいた。だから、著名な大学への進学以外の道など、検討したことすらなかった。
今でも勉強が得意なことは私のひとつの武器だとは思っているけれど、根本的な私の長所は、そこではないのだとはっきりと言える。私の最大の長所は、人並み以上の知的好奇心と、分析する力、そして理解する力だ。そしてそれは、どんな目標にも応用できる力だと、信じている。

話は変わるが、昨年の夏頃に、通信制の大学への進学を決めた。細かい経緯は前にもnoteに書いたので省くが、グラフィックデザイナーを目指してみようと決めたのだ。万が一体調を崩して休職しても、実力さえあれば復帰できたり、リモートワークのできる職種なら、持病のことを考えても、グラフィックデザイナーは向いているのではないかと思った。

まだ長い文章を読むと頭が痛くなったり、情報量が多いと混乱してしまう状態が続いていて、体調も安定しておらず、不安は大きかったものの、「4年で卒業しようとしなくていいよ」という両親からの言葉に背中を押されて、私は2022年4月からKUA通信のグラフィックデザインコースに入学した。

しかし、最初は勢いに乗れていたものの、初夏に体調を崩してから長い間、私の心は振り子のように揺れていた。それも実は、その前の年の2021年ごろ、小説家を目指したい、という意思を固めたばかりだったからだ。
本当にやりたいことの実現が難しいから、小説家の夢から逃げているだけなんじゃないのか。本当は妥協しただけで、デザインをやりたい、と思っていたのも、本当は自分に言い聞かせていただけなのではないのか。などと、葛藤してしまった。それこそ、分岐を間違えたのではないか、と思ってしまったのだ。

本当は文芸コースに入るべきだったのだろうか、しかし、小説一本で身を立てていくのが難しいことは、周りの小説家志望の方々を見てきてよくわかっているし、小説家に比べたら、デザイナーの方が遥かに安定しているし……。
そんな複雑な心のまま、ずるずると時間が経っていく。そんな中で、追い討ちを掛けるかのようにまた7月に体調を崩して、スクーリングをキャンセルせざるを得なくなり、精神的にも落ち込んでしまった。せっかく大学の人たちと繋がったTwitterアカウントも、皆が頑張っているのを見ているのが辛くなって、ログアウトしてしまった。

そんな心に、転機が訪れたのは、いつだっただろう。おそらく、9月ごろ、10月頭のスクーリングのために、またデザインの方のTwitterアカウントで情報収集を始めたときだった。
その辺りから、他の学生の皆との交流に積極的になり、少しずつ自主制作にも取り組むようになった。10月には新しく抗不安薬を処方してもらって、精神と体調の安定する日も増えて、積極的に学べるようになると、デザインの奥深さと興味深さにはまっていった。

なにしろ本当に良かったな、と思うのは、通信の皆が感性豊かで、温かくて、優しい人たちだったことだ。キャンパスに通っているわけでもないし、会える距離にもいないけれど、それでも相談に乗ってくれたり、情報共有ができたりする友達が出来たのは、ある意味奇跡で、素晴らしいことだな、と思わせてくれた。年齢も住む場所も立場もそれぞれ違うけれど、そんなことは関係なく、話していてとても楽しいし、新しい自分の居場所だとも思えるようになった。

中でも嬉しかったのは、私の文章作品の方も、好きと言ってもらえたことだった。それから私は、やっぱり、どっちも目指そう、と決めた。小説を書くことと同じくらい、デザインも大切になるように。デザイナー兼小説家、になれるように、今はデザインに専念しよう、と決めたのだ。

まだ揺れてしまうこともある。でも今わかるのは、この分岐は、私が選んできた分岐は、決して間違いなんかじゃなかったということだ。少なくとも私は、この不思議な巡り合わせを愛しく思える。私にとっては、合っていたんだと思える。

いつか、デザインと小説の境界までも曖昧になって、形は違えど本質は同じになるくらいに、どちらも大切にできたらいい。どんな作品も私は、誰かのために、作りたい。作品を通して、何かを伝えられるように。あるいは、誰かの手助けができるように。選んできた分岐のその先を、少しずつ歩んでいこうと思う。

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