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【エッセイ】五月病と花々

いつからか五月病になっていた。そもそも精神疾患を持っているのに五月病なんて、おかしな話かもしれないが、新年度が始まってから慢性疲労が悪化して、身体も動かず無気力で、鬱々として、楽しめることが極端に狭まってしまったのだ。

原因はわかっている。学業と将来への不安だ。
気付けば通信制大学も3年目になって、課題はさらに難易度が上がり、やることも増えて、私はキャパオーバーになりつつあった。
また、就活を頑張っている友達の姿を見て、さらに自分の将来に不安が出てきた。現在23歳無職、バイト経験なし、それどころか日常生活も一人でまともに回していけやしない。就職なんて夢のまた夢。お先真っ暗と言ったって過言じゃない。

そんな風に毎日を鬱々と過ごす私を見兼ねた母が、花でも見に行こう、と誘ってドライブに連れ出してくれた。目的地はフラワーガーデンで、薔薇が一際有名らしい。母は一度行ったことがあるらしいが、私は初めて訪れる場所だ。

その日も私はあまり元気ではなかったけれど、もう何週間も外に出ていなくて、このままではまずい、と思っていたので、気合いでどうにか起き上がって準備して、車に乗り込んだ。

何週間かぶりの外の世界は思ったよりも眩しくて、初夏の気配が漂っていた。最後に外に出た時はまだ、桜がいくらか咲いていたように思うのだが、時間が経つのは早いな、と思うと同時に、自分がどれだけの期間引きこもっていたのかを痛感した。

Bluetoothで車に自分のスマホを繋げて、好きな音楽を流す。家に篭っていたときは暗い音楽ばかりを聴いていたけれど、外を走り始めるとなんだか爽やかな音楽が聴きたくなって、大好きなずとまよに加えて、家ではあまり聴かない緑黄色社会や米津玄師の新曲も流してみた。詳しくないけれど、リョクシャカは「風薫る」という言葉が似合うバンドだな、と思っている。

しばらく車を走らせると、目的地に辿り着いた。午後から曇り予報だったのだが、太陽はかんかん照りで、少し汗ばむ。長袖のブラウスに薄手のカーディガンと、それなりの薄着で行ったつもりだったけれど、半袖でも良かったかもしれない。

家を出る前には調べる気力もなかったので、前情報なしで来たのだが、思った以上に規模が大きくて驚いた。母曰く、テレビ取材も来るような場所らしい。
並んだ鉢植えの薔薇に、薔薇の小径、一面が薔薇の庭園。八分咲、とでもいうのだろうか、ほとんど満開の薔薇が視界を覆った。ときどき、芳香のする花に立ち止まったり、目を惹かれた花があればスマホを取り出して、夢中で写真を撮った。

久しぶりに、楽しいと思えた。自然の多いところに連れてきてもらえたのも良かったのだろう、張っていた糸が緩んだ心地がした。連れ出してくれた母には感謝に堪えない。

私たちはところどころに置いてあるベンチで休憩しながら、ゆっくりと園内を周った。歩いても歩いても薔薇が咲き誇っている。幼い頃好きだった少女小説の挿絵のようだった。豪華な大輪もあればこまごまとした可憐な花もあり、一口に薔薇と言っても雰囲気はさまざま。それぞれが瑞々しく生命感を持っていた。

それから、近接のカフェでお茶をした。薔薇が有名なだけあって、食べ物も薔薇モチーフがあしらわれていたり、実際に薔薇が材料として使われていたりした。
私たちはデザートプレートを頼んで、二人で分けて食べた。これも薔薇モチーフのもので、4種のスイーツが盛られていた。

薔薇が入ったソルベを食べた母は、薔薇スイーツに馴染みがあるのだろうか、それを「懐かしい味」と称した。私には馴染みがなく新鮮な味だった。
あしらわれていた花(薔薇ではない。名前はわからないが薄紫色が可愛らしかった)は食用かどうかわからなかったのだが、私は食べられるものは全て食べ尽くす主義なので、食べてみた。花びらが柔らかかったので食べられたけれど、特に味はしなかったので、少し後悔。他も薔薇が関係するスイーツがあったけれど、結局私はシフォンケーキが一番好きだった。詳しく覚えていないけれど、おそらく紅茶味の、薔薇は関係なさそうなもの。

そうして私は、心も身体も満たして帰った。
少し歩いただけなのに、帰宅後はやっぱり疲労感が出てしまったけれど、気分は良かった。いい一日になった、と思う。
まだ回復しきれてはいないし、やるべきことも山積みだけれど、ほんの少しだけ、前に進めたような気がした。

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