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空想少女の延長上

幼い頃から私は、生粋の空想少女だった。

物心ついた時から私は日常的に空想をする子供だった。生き物の形をしているものだけでなく、すべてのものには魂が宿っていると思っていたし、私が出かけている間や寝ている間にはこっそり動き出したり、皆でこそこそおしゃべりをしたりするのだ、と半ば本気で信じていた。お菓子を擬人化した女の子たちの空想シリーズがあって、自分がその登場人物になりきって、妹と寸劇をしたりしていた。ぬいぐるみの一匹一匹に名前をつけて、キャラクターまで設定した人形ごっこが大好きだった。恥ずかしながら今でもぬいぐるみにキャラクター付けするのが好きだ。

小学校、中学校では、側から見れば本の虫のような生徒だったかもしれないが、実際には読書量はそれほど多くはなかった。いろいろな本を読むより、一つの小説の世界観に浸ったり、登場人物に想いを馳せるのが好きで、何度も同じ本を反芻していたのだ。いわば、空想の輸入のようなものだ。例えば自分がその本の世界にいたなら、私はどんなキャラクターだろう? どんな魔法が使えたり、能力があったりするだろう? など、空想ばかりの日々だった。

小説を書き始めたのは、その空想少女の延長上なのだろうと思う。ただの空想だったものに「物語」としての道を与えてくれたのは、当時小説家に憧れていた友人の存在だった。絵も上手な彼女は「紗夜も描いてみれば?」と言って絵を描くきっかけをくれ、さらにそこから私は彼女の物語に感化されて、キャラクターの設定画と箇条書きのプロットの、小説未満の物語を書くようになった。そこから小説の形をとるようになるまでは少し時間は掛かったが、この時作った物語がわたしの初めての作品となったのだ。

自分の空想を形にするツールとして文を選んで、もう十年弱。最初は、自分の物語を書き連ねるだけだったものに、良き友人という読者の存在から、いつのまにか「伝える」という要素が加わった。ただの空想が意味を含むようになり、引っ込み思案で口下手な私の代弁者として、小説は私になくてはならないものになった。

高校一年生の時、私は勉強に専念しようと思って物語を書くのを一度きっぱりやめてしまった。でも私の中では行き場を失った物語たちが静かに息をしていて、結局、翌年の春先にはまた小説を書くようになっていた。絵はあまり描かなくなったのに、小説は、どうしてもやめられなかった。

そして三年ほど前から、私はネットに小説を上げるようになった。その時はうつ状態で、一番苦しい時期だったけれど、文章を書くことで空想の世界に逃れられた。空想は私の逃げ場でもあったのだ。

だから、結局私は今でも空想少女の延長線上にいるのだ。きっと一生、私は空想を糧に生きていくのだろう、なんて、ふと思った。

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