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【葬送のフリーレン】世界一やさしい解説、人類と魔族の違い ~前編~

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既刊11巻までのネタバレを
含みますのでご注意下さい❗
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原作漫画の方を読み終えたので、既出の情報をもとに
人類と魔族の違いを、わかりやすく表にしてみました。

ちょっと図表の文字が小さいかもしれませんがご容赦を💦
それぞれの項目について、前編・後編に分けて説明を加えていきますね。

【1️⃣~5️⃣までの解説】

 人間は生まれ落ちたときから、人間社会の中に属します。赤ちゃんの大半は「家族」に育てられ、不幸にも捨てられた場合であっても、誰かが面倒を見なければ赤ちゃんは生きていくことができません。赤ちゃんが飲むミルクや水はもちろん、ベビー服やベビーベッドも、生産者という他人がいなければ手に入れることができません。つまり、人間は生まれながらにして「群れる動物」なのです。
 また、生きていくのに必要な衣食住はすべて、貨幣を媒介として、それを生産した相手と関係を持たなければ手に入れることができません。たとえ、貨幣のない時代でも、人と人は協力して獲物を狩って来ました。狩った獲物はそのコミュニティで決められた分配方法にしたがい、コミュニティのメンバーに分けられます。人間にとって「群れることは連携すること」でもあるということです。

 対して魔族は、3️⃣にあるように「生まれ落ちてから、その大半を孤独に過ごす」ので、「家族」はおらず、したがって「家族」という概念も持っていません。「生まれ落ちた」という表現から、魔族の赤ちゃんはいるのでしょうが、”人間でいうところの赤ちゃん”とは別モノなのかもしれません。どうやって育つんでしょうね❓そのあたりの情報は、今後に期待したいところです。
 とにもかくにも、そういうことなので、魔族は「群れない動物」と言えそうです。七崩賢のひとりであるシュラハトは、マハトに「南の勇者を倒すのを手伝って欲しい」と声をかけています。ただし、「従わなければ殺す」とも言っているので、協力というよりは命令に近いですね。
 このことは、魔族の4️⃣の「個人主義」や5️⃣の「トップダウンの社会構造」などとも関わってきますが、いわゆる「連携」というのは基本的にしない生き物だということがわかります。

 「社会」を「人と人とをつなぐ網の目」と定義するならば、他人との関わりの密度から言うと、人類は2️⃣にあるように「社会性の高い生き物」であり、魔族は「社会性がない(あるいは低い)生き物」ということになりそうです。

いかがでしたか❓
図表の1️⃣から5️⃣の半分くらいまでを解説してきましたが、人類と魔族の社会構造の違いを見るのも、なかなかおもしろいと思いませんか?

「群れない=孤独」で「個人主義」だからこそ、統率には「力」「恐怖」での支配・統率が欠かせない魔族。それゆえに、力を誇示しなければ生存があやうく、「魔力を制限できない」。こういった因果関係が、よく見えてきます。と同時に、この『葬送のフリーレン』は緻密なストーリー設計になっていることも見えてきますね❗

 さて、この記事が「面白かった」「発見があった」なら、ぜひ「いいね」をよろしくお願いします。次回は、この続きを解説していきますね🍀



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