カトルとタタン_2_

session

しゃんとん、しゃんとん。
たんとん、たんとん。
たんたん、たんたん。
たたん。たたん。

タタン。

「カトル?」
庭に、さあっと風が吹く。
ぼくの頭をそっとなでてくれる風。
カトルみたいに、やさしい風。
でも、これはカトルじゃない。
カトルは今、家の中にいる。
もうすぐ、おやつの時間だから。

「……」
ぼくは、少しだけがっかりする。
カトルが、名前を呼んだのかと思ったから。
カトルが付けてくれた名前を、カトルが呼んでくれる。
こんなにうれしいことって、他にはないから。

瓶に入ったミルクをごくごく飲む。
ごくごく。

今日は、ちょっとだけ暑い。
春と夏のすき間で、行き場を失くしちゃったような天気だ。
庭で遊んでくるってカトルに言ったら、
ちゃんと水分も摂るのよって、ミルクをもたせてくれた。
体にもいいんだからねって。
おいしいけど体に悪いものは、たくさんあるけど、
おいしくて体にいいものも、少しはある。

しゃんとん、しゃんとん。
ごくごく、しゃんとん。

ミルク。
牛のお乳。
『牛』は、ぼくが昔つくった動物だ。
もう、この庭にはいないけど。
やぎも、羊も。
「しぼりたてよ」
ミルクを瓶に注ぎながら、カトルは教えてくれた。
しぼりたて。
ここにはいない牛。

ねえ、カトル。
そのミルクはどこから――。

ぼくは、そんなことは訊かなかった。
カトルも、それ以上何も言わなかった。
カトルは、ぼくがそのとき思っていたことは、ちゃんとわかってた。
ぼくも、訊いたらきっと、カトルが悲しい顔をすることをわかってた。

ここにいないのは、牛だけじゃない。
ぼくがつくったものは、
気付いたときには、どこかへ行ってしまっている。
その『どこか』は、父さんにしかわからない。

ぼくは、
ぼくがつくってきたものを、全部覚えてる。
ぼくがつくったものが、ぼくを忘れたって、
ぼくは、ぼくがつくったものを忘れない。

たんとん、たんとん。
もーもー。
たんとん。

うん、楽しい。

楽しいこと。
ぼくが楽しいことは、
カトルといっしょにいること。
カトルの楽しいことは、何だろう。
「タタンといっしょにいることよ」
カトルは昔、そう言ってくれたことがある。
「本当?」
「あら、変ね。
 このおちびさんも、私と同じこと、考えてるのかと思ってたわ」
「そうに決まってるじゃないか。これ以上の幸せなんて、ないよ」
カトルはくすくす笑いながら、 
ソースがちょっぴりこびりついた食器を片付けた。
かちゃかちゃ、かちゃかちゃ。
でもぼくは、
カトルがぼくからずっと目をそらしていたことに、気付いていた。

たんたん、たんとん。
かちゃかちゃ。
たんとん。

庭のすみっこで、チューリップの頭がゆらゆらしてる。
風は止んでいるけど、チューリップの中にはまだ風が残ってるのかな。
ぼくといっしょだね。
ぼくはチューリップに話しかける。
カトルがフライパンでオムレツをひっくり返すとき、
それをちゃんと見ていたくて、ぼくは頭をゆらゆらさせる。
「そんなにふらふらしなくても、ちゃんと見せてあげるから」
カトルがフライ返しでフライパンのふちをぽんと叩くと、
オムレツはくるっときれいにひっくり返った。
ぼくは、拍手を送る。ぱちぱち。
カトルは、恥ずかしそうに笑う。

ゆらゆら、ぽんぽん。
ふらふら、ふらふら。
ぱちぱち、ぱちぱち。
ゆらゆら、ぱちぱち。

よしよし、にぎやかになってきた。
ぱちぱち。自分にも拍手を送る。

にぎやかで、おもしろくて、
楽しい思い出がつまった、とびっきり楽しい歌。
あと少しで、完成する。
完成したら、カトルにプレゼントするんだ。

楽しい歌を歌えば、楽しい気持ちになれる。
たとえ、カトルがどんなに悲しいときだって。
きっと、楽しくってしょうがなくなるさ。
だって、ぼくがこんなに楽しいんだから……。

ぽつり。
手がひやっとして、ぼくはひゃっと声を上げる。
ぼくの手。
ぼくの手が、少しだけ濡れてる。
雨は、降ってない。
こんなに、いい天気なんだもの。
じゃあ、これはどこから。

それは、ぽたぽたと、ぼくの手をもっと濡らしていく。
これは、ぼくの体から出ているものだ。
ぼく、汗をかいてる。
どうして?
まだ、春なのに。

汗は『ぽたり』と地面に落ちると、『ころり』と別のものになった。

涙の形のくだもの。
いちじく。

いちじくは、夏のくだものだ。
今じゃないよ。ちがうよ。
でもぼくの汗は、ぼくの言うことをきいてくれない。
次から次へと、おでこから汗が流れていく。
いちじくもたくさん、ごろごろ芝生を転がっていく。
なんだか、太陽も大きくなってるみたいだ。
『ぽかぽか』が『じわじわ』になってる。
まるで、夏みたいに。

しまった。
夏に、しちゃったんだ。

どうしよう。
暑くて暑くて、
汗っかきを止めることができない。
それなのに、体はどんどん冷たくなっていく。
寒くて寒くて、死んでしまいそうだ。
ぼくには、まだやることがあるのに。

カトル。

――……。
たたん。
たたん。
タタン。

「タタン」

「カトル?」

カトルが、すぐ目の前にいる。
ぼくの顔を、のぞきこんでいる。

「どうしたの。汗びっしょりじゃない」
カトルが、心配そうな顔をしてる。
でも、悲しい顔はしてない。よかった。
「海に、入ってたんだ」
「海?……タタン、気が早いわよ。まだ春なのに」
「春……」
見上げると、太陽は元の大きさに戻っていた。
ぼくも汗まみれだけど、汗はもう止まっていた。
「ほら、汗っかきさん。これ飲んで」
「これ、ミルクじゃないね」
「こういうときは、水の方がいいのよ」
「……あれ、ちょっとしょっぱい。レモンの匂いもする」
「うん、普通の水じゃないのよ。これは、魔法の水」
カトルはそう言ってから、ばつが悪そうに口をつぐんだ。

ぼくは、カトルが魔法を使えないのを知ってる。
それは、ぼくもだけど。
『何かをつくる』『何かを別のものにする』っていうのは、
あれは、魔法じゃない。
父さんは、奇跡だって言ってた。
魔法は、どんな人でも、何とかすれば使うことができる。
でも奇跡は、選ばれた人しか起こせないって。

選ばれた人。
父さんと、ぼく。

どうして、ぼくは選ばれちゃったんだろう。
それならぼくは、魔法の方がよかったのに。
魔法の方が、使える人はいっぱいいるんだもの。
自分だけが起こせるなんて、そんなのさみしい。

「タタン。そのいちじくどうしたの?」
「え」
ぼくは、いちじくをひとつ、手ににぎっていた。
夢だったらよかったのに、と少しだけ思った。
「カトル。これは、いちじくじゃないよ」
ぼくは、春にふさわしくないくだものを、両手で包む。
手品のようにぱっと手を放すと、いちじくはなくなってて、
ただ、手がちょっぴり濡れてるだけだった。
「いちじくは、夏のくだものだよ。
 だから、さっきのはちょっとうっかりで、」
ぼくは、息が止まりそうになった。
カトルがまた、悲しい顔をしている。
ああ、またやっちゃった。
カトルには、あんまり見せないようにしてたのに。

カトルは、ぼくの奇跡がこわいのかな。
ぼくは、カトルを別のものにしたりしないのに。
うっかりでも、そんなことにはならないのに。

「カトル」
ぼくは、カトルの名前を呼ぶ。
カトルは、ぼくをじっと見つめる。
それから、やっと笑ってくれる。
その笑顔がにせものでも、
ぼくは、ちゃんとカトルの名前を呼ぶから。
なんて、カトルには言えないけど。

「今日のおやつは何?」
「ベリーのタルトよ。今朝、いろんなベリーが収穫できたから」
「早く食べよう。おなか空いちゃった」
「ハートのジャックさん。つまみ食いはだめよ」
「そんなことしないよ。ぼくはタタンだから」

ぼくは歌う。

しゃんとん、しゃんとん。
ごくごく。
もーもー。
たんとん、たんとん。
ふらふら。
ぽんぽん。
たんたん、たんたん。
かちゃかちゃ。
ぱちぱち。
たたん、たたん。

ぼくは、タタン。

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