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買い方よりも捨て方にその人はあらわれる

本記事は、米国オレゴン州ポートランドを中心に毎月発行されている日系紙「夕焼け新聞」に連載中のコラム『第8スタジオ』からの転載(加筆含む)です。1記事、150円~200円。マガジン購入は600円の買い切りです。4本以上読みたいならば、マガジン購入がお得です(マガジン購入者は過去記事も未来記事もすべて読めます)。ひと月に一度のペースで配信されます。

この夏に引っ越そうと考えている。とはいえ、帰国だとか転職だとか転校だとかそういった理由ではなくて、もう少し広いところに行きたいという積年の欲求の爆発によって(子どもが大きくなると手狭になる)。

アメリカで暮らして驚いたことのひとつは、集合住宅に洗濯機・乾燥機が部屋ごとについていないものが一定数あるという事実(想像よりずっと多い)。

日本ではどんなに小さなワンルームマンションでも洗濯機を置くためのスペースがあるので、部屋ごとにではなく、アパートの中にコインランドリーがあるのが普通というのはやっぱり驚いてしまう。

最初に住んだアメリカでの住まいはボストンの大学寮だったが、そこはアパートの最上階にコインランドリーが設置されているタイプだった。

しかし、いざその生活が始まると、家に洗濯機がないというのは存外不便だった。

洗濯物がたんまり入った重たい洗濯カゴと赤子を抱えて(赤子はベビーカーに乗せて)いちいちエレベーターを昇降する。

洗濯のために一度上がり、洗濯が終わった頃を見計らって再度上がり、乾燥機から取り出す時を見計らって再再度上がる。

それをすべて小さな赤ん坊と共におこなう(アメリカは幼子を家にひとりで置くことは禁止事項)。

壮絶な労働だった。

都心から離れようとも、こんな家には二度と住むまいと固く心に誓ったのは長女が0歳のときだ。

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人のお宅にお邪魔するのが根っから好きで、それはその人の生活がリアルに迫ってくるからである。

雑誌で見かけるようなオシャレハウスのようにモノが少なく家具がすっきりと置かれている家も、ごちゃごちゃとモノが溢れ、生活感にあふれる家もわたしは大好きである。

個性だな、と思う。

断捨離が得意な友人がこのたび引っ越すことになり、お邪魔したら「さらにどんどんモノを捨てている」と聞いて驚愕した。

なぜなら彼女の家はそもそもモノがほとんど存在しなかったから。

一体何を捨てているのだろうと思いきって聞いてみた。

「要らないと思うものすべてです。だって不必要なものを古い家から新しい家に運ぶということが許せないから。それにかかるお金ももったいないし、それを梱包する労力も開封する労力ももったいない」


実に力強い的を得た回答。わたしはその言葉にすっかり感化されてしまう。

そうだ、この夏引っ越そうと思っている我が家も、ひとつでも無駄なモノの移動を減らすべし、と心に刻んだのである。まったくもって彼女は正しい。

そして彼女は極めつけの言葉を放った。

「やる気が起きないときは、アメリカの高い家賃を思い出すべきです。モノを減らせばその分広く使えます」

彼女はわたしの心に火をつけ、今日はこのクローゼット、明日はむこうのクローゼット、明後日はおもちゃ棚、しあさってはパントリーという風に、わたしは断捨離を決行していった。

モノを捨てるということは案外奥深く、それと共に生きた時間の思い出しをして、それを葬るということである。

あんなこともあった、こんなこともあった、この本はそういえば誰誰に貸した、いろいろなことを思い出す。

過去の恋も思い出す。

友達との絶交も疎遠も思い出す。

喧嘩も、誤解も、共感も。

それらに決別し、お礼を言って手放す。

日本語の本は補習校に寄付。洋服のおさがりやおもちゃは仲良しの子に譲る。年賀状は小さく「ありがとう」と言ってバイバイ。子どもの作品は写真に撮って捨てる。手帖は、悩んで悩んで、結局取っておくことにする。わたしは母親になって既に八年経つけれども、母でなかったときの自分も蘇る。十代の頃、二十代の頃。何を考えていたか。何に不満だったか。何が幸せだったか。目の前にある手紙や小さなメモは悠然と語る。

子どもの服がサイズアウトするように、自分の服もサイズアウトする(体重増加)。もう一度着ることがあるだろうか、と考える。迷ったときは実際に着てみるといいと言っていたのは「こんまり」だったか。鏡の前で試しに合わせてみると、笑えるほどに色がまったく似合わない。いつの間にか、わたしは違う雰囲気をまとうようになったのだ。

たくさんの、まだ着られるけど、自分にはもう似合わなくなった服の山を見る。この服ならあの子に似合うだろう、次々に友人の顔が思い浮かぶ。しかし中古の服を譲るというのは難しい。子どものことならできることも、大人になるとできない。

まだ使える服を捨てるには惜しく、迷った結果、売りに行くことを決めた。

寄付という手もあるだろうが、わたしはアメリカで服を売るということをしてみたくなったのだ。

その数、大きなゴミ袋、実に6個。調べてみると、バッファローエクスチェンジという服専門の古着屋があるらしい。

うちの近くにはなかったが、トランクいっぱいに詰め込んで出かけた。

そこは行ったことのない見知らぬ街だった。

駐車場がついていないところだったので、路駐して、子どもにもそれぞれ大きな荷物を持ってもらい、わたしも浮浪者かというほど抱え10分ほど歩いた(途中で紙袋の持ち手が切れて大惨事に)。

店内はオシャレな雑貨屋さんという雰囲気。

カウンターの中にいるファンキーなお姉ちゃんがバイヤーだろう。

服を見て選定している。彼女が「値が付かない(つまりタダ)」と売り手に伝えると、売り手は憤慨し、抗議する場面も見られた。

夕方に行ったが、列は長く、わたしは五番目だった。ひとりの時間が(量によるが)とてつもなくかかるので、五番目といってもだいぶかかった。だって、持ってきたものを一枚一枚選定するのだから。

自分の番がやっとまわってきて、一体どんな服が売れるのだろうかとワクワクしたが、ほとんどのものに値が付かず、それらは無料で寄付することにした(せめて寄付できるシステムがあってよかった)。

しかし「え?これに15ドルもつくの?」「え?これに25ドルもつくの?」という値付けもあり、わたしは非常に面白かった。

日本で若い頃に着ていた服が珍しがられている印象。

古いか新しいかよりも、珍しいか、そしてセンスがあるか、ですべては決まっている模様。

バイヤーは本人の感覚でその場で値段をつける(すごい才能だ)。

ブランド品の場合は、もう一人バイヤーをよんでそれが本物か偽物か判断する。

シャネルのスカーフがあったのだが「わたしはこっちのほうが素敵だと思う」「わたしも」と言いながら、素敵なほうは5ドル高く買い取ってくれた。

キャッシュで受け取りたいなら、店が買い取った値の半額が自分に返ってくるというシステムで(15ドルで売れたなら7ドル50セントが自分のものになる)、バッファローエクスチェンジで使えるギフトカードにするなら、店が買い取った値の75%でもらえるという、実によく考えられたシステム。

ブックオフや古書店でしかモノを売ったことがなかったわたしには、そのすべてのルールが斬新で、バイヤーの人の動きはとても勉強になった。

長女も釘付けだった。

また、クローゼットの奥から小さな真新しいヒーターが出てきたが、これはバッファローエクスチェンジでは受け取ってもらえなかったので(そこは服専門だから)、結局どこにも行き場所がなくて、ゴミ捨て場に行くことになった。

まだ使えるものを捨てることはある種、残酷で、罪悪感を伴いながらゴミ捨て場に向かって歩いているとき、近所のおじいさんとたまたますれ違う。

いつもは挨拶しかしない。

けれど彼らが節制して慎ましく生きているのをわたしは知っている(なぜって彼らをよく観察しているから、そこに自分の未来の姿が少し重ねる)。

「これも何かの縁」と思って彼に話しかけてみた。

「これはまだまだ使えるものだけど手放すことにしたんです。もしあなたが要るなら差し上げたい」

おじいさんは狂喜乱舞して受け取った。すごく嬉しそうだった。こうして、わたしの断捨離は、それぞれの行き場所を見つけ、旅立っていった。

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