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お金と土地にまつわる考察

訪れてくださり、ありがとうございます。
本記事は、米国オレゴン州・ワシントン州を中心に毎月1万部発刊されている「夕焼け新聞」に連載中のコラム『第8スタジオ』の転載記事(修正・加筆含む)です。本記事は1本300円の入場料をいただきます(価格は字数や内容によって変動します)。なお「夕焼け新聞」というマガジンでご購入頂くと各記事を単発で購入するよりもお得ですので、ぜひご検討ください。マガジン購読者の方は、過去記事も来月以降配信の記事も読むことができます。
「第8スタジオ」は1ヶ月に1本のペースで配信しています。2017年からスタートし、現在までに70本の記事をお届けしてきました(個人的にメモリアル!)現時点で終了予定はありません。異国で暮らす日本人の葛藤、就活、仕事、家庭、育児、バイリンガル教育、ギフテッド教育などについて書いてきました。今後も取材を続けます。ここまで続けてこれたのは読者さまのおかげです。ありがとうございます。

プロローグ

お元気ですか。秋ですね。窓の外の景色を見ても緑は青々としていて黄色や赤になっている樹木はあまり見当たらないのですが、ポートランドの木々はどうでしょうか。秋を感じていますか。

私たちの日本では、10月初旬になっても30度を超えるといわれており(今は9月下旬)、地球温暖化は季節という概念を少しずつ少しずつ壊してくのかもしれないな、と思っています。

私が住むロサンゼルスは温暖で、季節の移り変わりが少ない地域として知られていますが、この地のすばらしさというのはやはり天気と言い切っていいのかもしれません。

高い建物がなく、世界の半分以上は爽快な青空、しかもそこに雲はない。私はここで山あいのなかを走るフリーウェイを運転するのが大好きなのですが、空と山に囲まれた道路を走ることほど気持ちのいいことはないと思います。

天気が私に与える影響は存外大きく、陽の差し込む窓がすぐ近くにあるデスクで仕事をすると捗りますね。仕事が進まないとき、ふと左側の大きな窓を見る。木々やその向こうに広がる青空を見る。そうすると「また頑張ろう」と思えるのです。

一度だけ行ったポートランドの風景を手元の写真で眺めながら、私はこのコラムを書いているわけですが、ポートランドにいる気分で書いています。

最近読んだ本について

最近『黄色い家』(川上未映子・著)という本を読みました。分厚い本で、実に608ページ。発刊は今年2月。

発売されたとき気になったものの、夏に日本に一時帰国した際、図書館で借りようと思っていました。

私はロサンゼルスでもよく図書館に行きますが、日本ではそれ以上に図書館を利用します。さてさて、地元図書館を訪れたときの驚愕エピソードを。

A市の図書館では「36人待ち」といわれたんです。すごいなぁと思いました。この夏にいる間に順番がまわってくることはないだろうと思ったので、リクエストは出さず隣町の図書館に行ってみようと思ったんですね。

もっと大きなB市の図書館に行ったところ「265人待ちです」といわれたわけです。仰天しましたね。思わず聞き返してしまいました。

「すみません。ちょっと数字が聞き取れなかったのですがもう一度・・・」「ですから265人です」という会話も繰り広げてしまったよ(汗)あーびっくりした。

ざっと計算してみると、一人2週間借りられますから、一人が最大2週間借りたとしたら10年間弱かかるという計算になります。なんて天文学的な待ち時間!!

何をおいても彼女の人気にまずは驚き、次に「待ちます!」と言った、その265人の読者の作品への執念に驚きました。それだけ待ったとしても買わずに読みたいという執念に。

(もちろんその全員が買ってないという保証はないし、2週間よりももっと短く本というのはまわっていくものなのかもしれないのですが…)だとしても今でも忘れられない今夏のエピソードですね。

私はもちろん、そこまで来ると、心の底から諦めることができまして、すぐに本屋で買いました(笑)

本になると、読む時間はこちらの自由になりますからアメリカに戻ってきて、読み耽ったというわけです。けれどかかったのは、たったの2日でした。608ページのエンタメ世界に2日間溺れさせてもらいました。

そこで書かれているのは最初から最後までお金です。お金にふりまわされる、学歴をもたない、まっとうに働く力のない人の話です。彼らがどうやってしのいでこの世界を生きているのか、ということが延々と書いてあります。

いいのか悪いのか、犯罪方法や裏の世界にも詳しくなりました。オレオレ詐欺の仕組みや、それを出す人を「出し子」と呼ぶことも知りました。彼らがなぜそれをし続けるのか、その気持ちについても知りました(もちろん肯定も同意もできない)。

私は東京で社会人生活を送っている時、家族もいなかったし、古くからある比較的安定したオールドメディアだったこともあってあまり金銭的に苦労したことはありません。その代わり、というのか、会食代を立て替えることが特に後半は多くあり、その領収書をもらうときは「絶対になくしてはいけない、なくしてはいけない」と念仏のように念じていました(恐ろしいことに領収書を紛失したら何も、何も、返ってこないのです!!)

一生行くことはないだろう料亭に、あの時代何度予約し、何度接待し、何度その支払いをしたか、とときどき振り返ったりします。

期限が過ぎて、切るべき領収書を切れずに終わったときの徒労感、絶望感も思い出します(思い出したくない辛すぎる思い出…)

お金というのは私にとって何だったのだろう。東京砂漠を生き抜いていくための、自分を守ってくれる鎧のようなものだったのかもしれません。

それがそのまま続いていれば、お金に対する価値観は今とは違ったのかなあ。でも家族を持てば、やはり出ていくものは相応に大きくなりますから、どちらにせよ概念は変わったんだろうなあ。

無職時代の話

アメリカに来て、私は一旦無職になりました。その数ヶ月は本当に気が狂いそうでした。

自分を支えていた自信という自信ががらがらと崩れ落ち、しかし、そうはいっても幼い子供の子育てが待っているので、自分のスキル磨きやレジュメや就活やそういったものに目を向ける気力がなかったんですよね。

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