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朝の光が、眩しい季節

今朝も、黙々とただひたすら歩いてきた。

世の中はずしーんと重たい空気をまとっているわりに、東京のここのところは晴れ続き、桜も咲いて、なんだかバランスをとってくれているみたい。

今月に入って、暖かくなってきたのもあって毎日歩いている。

気づいたら15日目だった。

昨日の夜は、予定通りこれを観てた。

番組を録画したものの、早めに寝たい気持ちがあって、結局はNHKオンデマンドで視聴。確証あるきちんとした情報に触れて、ある意味「正しい危機感」を持てた。

日本よりも、状況が深刻な地域はたくさんあるけど、そこと比べるような話でもないし、いつどうなるか本当に油断できないのが今。


イギリスの首相演説にあった、「家にいて、出歩かないでください。時間を稼いでください。」というのは真実なような気がした。出歩かないことによって、無意味な感染の可能性をなくすことで、医療機関などへの負荷をできるだけ遅らせる。

じぶんのために必要最低限の「運動」をする。あとは、じぶんが「感染源」だと思って生活するくらいでちょうどいい。

今、世の中のためにできることは、これくらいなんだと思う。

「たのしいことを考える」のは大事。

でも、現状から目をそらすのも、違うんだよな。

むしろ、感覚をこれまで以上に鋭敏にして、じぶんが正しいと思ったものを信じて、いろんなものを取捨選択していく。

手放すものも、ちゃんと見定める。

亡くなっている人の数が多くなっていく。ニュースで数字だけが刻々を増えていく。途端になぜだか、自分ごとでなくなっていくような感覚を覚えるけど、震災の時も似たような感じがあった。

でもでも、その「1」には、その人の人生、そしてその家族や友人たちとの時間がある。


 常々オイラは考えてるんだけど、こういう大変な時に一番大事なのは「想像力」じゃないかって思う。今回の震災の死者は1万人、もしかしたら2万人を超えてしまうかもしれない。テレビや新聞でも、見出しになるのは死者と行方不明者の数ばっかりだ。だけど、この震災を「2万人が死んだ一つの事件」と考えると、被害者のことをまったく理解できないんだよ。
 じゃあ、8万人以上が死んだ中国の四川大地震と比べたらマシだったのか、そんな風に数字でしか考えられなくなっちまう。それは死者への冒涜だよ。
 人の命は、2万分の1でも8万分の1でもない。そうじゃなくて、そこには「1人が死んだ事件が2万件あった」ってことなんだよ。

震災の時にビートたけしさんが言った発言。

最近、「3.11」をきっかけにまた聞いた。


いろんな物事が積み重なって起こってくるけど、その一つ一つに当たり前のようにあるものを「想像する力」が今、必要。

ぼくも誰かの応援をしようと思います!