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会津おたねにんじんとは

初めに少しだけ「おたねにんじん」のご紹介を。
おたねにんじんは「ウコギ科」の植物で、あのオレンジの「ニンジン」はセリ科なので全くの別物です。
日本では島根県大根島で栽培されている「雲州人参」長野県東信地方で育てられている「信州人参」と並んで「会津人参」と呼ばれ、日本3大おたねにんじんの産地と言われています。とっても貴重なんです。

【おたねにんじんの名前の由来について】

徳川幕府が「朝鮮人参」を日本でも栽培できるよう、各方面に命じて種子を取り寄せたり、栽培の方法を教わったりして栽培の研究や実験を行っていました。
その中で、当時の藩主松平正容(まさかた)という方が幕府から種子をもらって「御薬園」で試作をしたのが始まりです。
なので、幕府(徳川吉宗!)からもらった
「御種」=おたねにんじんと呼ばれるようになりました。

【吉宗からもらったおたねにんじんの種】

鶴ヶ城(会津若松城)

会津藩松平3代目藩主の「松平正容(まさかた)」がもらったおたねにんじんは、御薬園で大事に試験栽培されてその後、門田村(今の門田駅周辺ですかね?)で栽培をさせたり、江戸からその手のプロを呼んで栽培指導してもらったりで会津中におたねにんじんの栽培が盛んになりました。

その後も会津藩や農家さんの懸命な努力で、
藩直営の「人参奉行所」なんかも作ったりしてると、なんと幕府から輸出の許可が出たり、長崎の貿易商が協力してくれたりで当時の清国(中国)に会津のおたねにんじんを輸出するまでになりました。

【なぜ吉宗がおたねにんじんを広めようと思ったのか】

おたねにんじんを徳川吉宗がなぜ全国に作らせたかというと、そのころ徳川幕府もだんだん安定して、みんなが健康志向になってきたことと、
吉宗が健康オタク・・・
医薬に強い関心があったのもあって、おたねにんじん以外にもいろんな食材や漢方を調べていました。
当時、「朝鮮医学」がブームでその中に朝鮮から輸入していた「朝鮮人参」もあったわけですが
輸入するにも高価だったり、そのため偽物も出回ったりもしました。

またお医者さんの中で朝鮮人参は万能薬で、体調悪い人にどんな病気でも飲ませてしまい、そのうちいろんなデマも拡散されたり炎上したり?してたんですね。(昔も今も同じ。。。)

そこで吉宗は、なんとか日本で作れないかと考え、若くて信頼できるお医者さんを朝鮮に派遣してちゃんと勉強させたり、生きた根や種を持って帰って来いと命じられたりもしました。

その種をいろんな藩に送って試作させ、気候風土の合う土地を探していたと言われています。

そんなこんなで、「おたねにんじん」として会津と中心に栽培実験を経て育てられるようになりました。
最終的には幕末の主要輸出商品の一つにまでなったんですね。

【おたねにんじんの成分と効能】

赤べこひげまみれ

おたねにんじんの主要成分は「ジンセノシド」
と呼ばれるサポニンで疲労回復や滋養強壮、虚弱体質、胃腸を整えたりといろいろな効能があります。
ハーブ業界では「アダプトゲンハーブ」
と呼ばれていて、肉体的疲労などのストレスに対する抵抗力を高める働きがあるハーブとして知られています。

ただし、成分がきついこともあり、一部の専門家からはお子様や妊娠中の人、授乳期の人は経口しないようにという話もあり、また副作用もあったりもするので心配な方はお医者様に相談してから
食べるのがいいですね。

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