胎児への供物・虚無の夢


2月下旬
まったく湧かない実感と不安で苦虫を舌の上で転がしながら診察室へ入室。
ここ最近つわり症状も徐々に落ち着き平穏な生活を取り戻していて嬉しい反面「稽留流産」という言葉が頭を離れなかった。
ひと通り不安をぶちまけた後覚悟を決めてエコーのため診察台に上がる。
動かなくなり小さくなった姿を想像し虚無感に打ちひしがれる。たとえそうであっても感謝をもって受け入れなければならない。
涙が溢れそうなのをぐっと堪えるため腕を抓る。

そうこうしているうちに診察台が音を立てて上に上がり、はじめますねの一言で画面に胎児が腹の中で大暴れしているのが大写しになり爆笑。
ばちばちに元気で遊ばされた。よきかな。
出産する予定の産院での新たな担当医師も思わず「とまってくれないと撮れないねぇ」と笑ってくれていた。
不妊治療でかかっていたクリニックの先生と比べ対応が柔らかく話もわかりやすいので有難い限りである。
検査後もらった写真は多くがブレていて最高だった。
本当に幸運なことだと思った。萎縮しきった全身の筋肉が解けるような心地であった。

なんであんなにお元気だったのか。そうか、君もZAZEN BOYSが好きかね。朝聴いていたからモッシュしてたのかな。SixTONESの新曲だったかもな、めっちゃPVかっこいいしね。
気が合いそうでよかった。無事に爆誕を遂げた暁には共にモッシュしたい。
それか読んでいたSFマガジンのBL特集にテンション上がったのかな。面白いもんな。巻頭ド頭一編めからエモエモのエモだったもんな。
色々面白いものがあるよ。本読むの面倒だったら私が要約して面白おかしく語ってもいい。マンガだってアニメだってたくさん面白いものあるから、出てくるのを楽しみにしておいで。

しかしとことん容れ物である。
腹の子の存在を知った誰も彼もが私を通り越して子に語りかけ、私に子の加減はどうかと問う。
私が訴える不調はすべて「仕方ないね」の一言で流され、子に不安があれば生活習慣が悪いのでは?と指摘される。

なんというか、うーん この…

わかる。わかるけどもうちょっと人扱いしてほしいというか。責任だけ2倍になったのに人権は1人分というか。「それをわかってて子供なんか作ったんでしょ?」が透けて見えるというか。まぁ実際そうなんですけど。

「これは多少厚顔無恥にならねば生き辛かろう」と存ずるに至った。いや元々そうやけどね。別に。人に比べたら横暴で恥は知らんわ多分。そんな私でも辛いのだから、世のまともな諸先輩方はよほど辛かったろうと思う。

まだ正社員で働いていた頃、子持ちの人が当たり前の顔をして仕事を残して帰ることに腹が立って仕方なかった。子が熱を出したとたびたび早退し、お咎めもない。私が風邪をひけば「体調管理も社会人の責務。自覚がない。」となじられるのに。子供のイベントは優先され、自分の予定は軽んじられる。こんな不公平があっていい訳がないと憤慨していた。
これは今も納得できていない。「持ちつ持たれつ」などと言う言葉では表せない不公平感。
子持ちを優先するのは構わないけどその分私が壊れそうなんですが?って言ってやればよかった。

でも立場が変わり色々察することろも出てきた。

もしかしたらあの人はあの人なりに風当たりが強いのにも耐えていたかもしれなかった。早退の度に仕事を完遂できぬ苦しみに耐えていたかもしれないし、出世も諦めねばならなかったかも知れない。私が知らんかっただけで。
そういうこと全般になんとなく鈍感にならざると得なかったのかもしれない。
そうでもしなければ冷たい視線を掻い潜り早退をして訳もわからず泣き叫ぶ赤子と向き合わざるを得ない状況に病んでしまっていたのかも知れない。
それは大変だったろうと思う。

いやでも忘れへんけどな。「子どもの安産祈願に行きたいから、悪いけどこの日代わりに出勤して。どうせオタ活やろ?」って言われたこと。
そのせいでSF大会行き逃したこと。
架空の友達でも結婚させればよかった。それでもあの時は、絶対譲れって空気やったけどな。マジで私は墓に入る手前までぐちぐち言い続けたるからな。

どえらい長々と愚痴ってしまったため書きたいことが入りきらなかった。安野光雅先生の展覧会へ赴いたこと。楽しみな映画のこと考えて爆発しそうなことは追々書くとしよう。

働く全ての人が尊重されますように。オタ活が軽んじられませんように。妊婦が人間として扱われますように。そんな夢を抱きながら今日も吐き気とバトりたいと思います。

この記事が参加している募集

振り返りnote

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?