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外国語学習をプールに例えてみた

外国語学習とは何かについて、プールに例えてみたいと思います。

守られた温室、プールで行われる外国語教育

 外国の世界は海です。果てしなく広く、深く、さまざまな生き物が泳ぎ、穏やかな波の日もあれば、荒れて白波を立てることもあります。海には、美しい珊瑚礁の海もあれば、流氷漂う極寒の海もあります。深海には未知なる世界が広がり、どこかでは新たな種も誕生しているかもしれません。全貌を解明し理解しコントロールすることなどできない世界です。

 それに対して、「外国語学習」は室内プールのようなものです。決まった広さ、深さ、水温で、清潔な状態が保たれ、危険物も存在しません。こうした安全で快適な場所で泳法の習得に専念するわけです。その目的は、危険な海に出ても生き残れるようにするためです。

 室内プールは、海と違って、あらゆることがコントロールされています。出てくる文法項目があらかじめ決まっており、スキットはその決められた文法を取り込んだ人工的な会話です。早口や方言、性や年齢、階層、時代による言葉の違い、文化的な文脈を知らなくしては理解できない事柄…。こうしたノイズは除去されています。こうした徹底したコントロール下で、文法や会話などのトレーニングを積んでいるわけです。実際の海にはあるものが取り除かれているのですが、プールにいるうちは、そのことに気がつきません。

 この状態で海に出るとどうなるのでしょうか。確かに泳法はしっかり学びましたが、肝心な海のことを教わっていません。「え? しょっぱいよ?」「足がつかないんだけど?」「波に流されて前に進まないよ?」となるわけです。文法を教えるだけで、その国の文化を教えないとは、こういうことだと思います。こうした教育は、申し訳ないのですが、私たちが学校教育で学んだ英語がそうなのかなと思います。英語が国際語であり「グローバル社会でのコミュニケーションの道具」とされているだけに、文法や会話は教えても、英語を使う国々の文化にはほぼ立ち入りません。言語が記号化され、マニュアル化されやすくなっているのです。

 外国語の検定試験は、いわばスイミング教室の進級テストです。泳法を習得し、より早く泳げるようになることで進級できます。この進級テストは、「スイミング教室が決めたレベルに到達したか」が評価基準で、海に出て生存できるかを確認しているわけではありません。進級テストによって教室生は序列化され、ただ楽しく泳ぎたいだけの人は進級テストに通らず、あるいは早いタイムを出せないので、常に下層に置かれます。

 「プールで泳ぐこと」は必ずしも海に出るためだけのものでなく、オリンピック種目でもあるわけで、これはこれで一つの文化でもあります。外国語で例えるならいかに早くたくさんの文法や単語を習得するかという競技です。競技に挑みたい人はもちろん挑んだら良いと思います。努力が実れば達成感を味わえますし、もともと運動神経の良い人はヒーローになれます。でも、自分のペースで泳ぎたい、ただ泳ぐのが好きという人にとってはどうでしょうか。「進級テストで級を上げ続けなければならない」というのは、余計な圧力となってしまいます。序列に嫌気が差して、教室を辞めざるを得なくなるかもしれません。

 プールにはコーチがいます。泳法を教えてくれるだけでなく、何をするのかを逐一指示してくれます。海にはコーチはいません。海で何をするのかは自分で決めることです。プールで学ぶことは決して悪いことではありませんが、「次は何を教えてくれるの?」と待つ人間を作るという側面もあります。初心者には手取り足取り指示を出すコーチも必要かもしれませんが、中級や上級には、つきっきりのコーチは本来不要です。基本の泳法を教えたのですから、本当は思い切って海に出て行かせれば良いのです。なのに実際は、「泳法をマスターしたから、次はもっとタイムを伸ばそう!」といつまでもプールに止まらせます。それもそのはず、プールのコーチはプールで進級させるのが務めであって、海に送り出すことは必ずしも務めではありませんから。ただ、こうした感覚は教室生にも伝播します。「先生、検定試験の最上級に合格しました。次は何をしたらいいですか?」と質問する生徒を生み出しかねないのです。

 海は確かに危険で怖いかも知れません。でも、泳法(文法)を習得しなくても、浮き輪や酸素ボンベ、フィンなど(IT技術や字幕)を使って楽しむことができます。釣りやヨット、水上バイクなど、「泳ぐ」だけでない楽しみ方もあります。「4泳法をマスターしていないから海に出てはダメだ」ということはありません。プールはプールです。プールに居続けても、海を味わうことはできません。もし海に出るためにプールで学んでいるというなら、さっさと出てしまっていいのです。教室では、「ヘルパーを使用している」と進級できず、「正しい泳法」以外は認めてもらえないかもしれませんが、実際の海ではヘルパーを使おうが独自泳法だろうが、自由なのです。

海を覗く外国語教育

 じゃあ、どうしたらいいのでしょうか。私は、海を体感する教育を意識していきたいと思っています。これまでの外国語教育は、泳法にばかりこだわってきました。教育者は、泳法をわかりやすく教えることばかり追求してきたのです。それは泳法を知らないと海で泳げないだろうと思ったからで、そのこと自体は確かにその通りではあるのですが、泳法の学習だけでは、海の世界を感じることはほとんどできません。十数年と韓国語を教えてきて、最近強くそのことを考えさせられています。

 泳法のトレーニングだけでなく、汲んできた海水を舐めてみる、波打ち際に行って足をつけてみる、海の中をのぞいてみて、そこに偶然表れた生き物について調べてみる。そんな教育を取り入れていきたいと思っているのです。時が経つのも忘れて推し活に邁進し、人生の大事な部分にもなり得る、魅力あふれる壮大な海が目の前に広がっているのですから。

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