見出し画像

韓国語の語尾は難しい!? ドラマを題材に語尾学習を考える

語尾のニュアンスは難しい

 今回は語尾を学ぶことについて深掘りしていきましょう。
用言の活用を一通り学ぶのが、いわゆる初級文法です。活用のパターンを知ったら、そこから先は新しいパターンが登場するというよりも、新しい語尾を使った活用の練習を繰り返していくことになります。

 語尾には、お尻に付ける終末語尾、文中にくる連結語尾とがあります。語尾を教えるときには、まず対応する日本語の意味を提示します。은/는は日本語の助詞「〜は」のことですよ(助詞も体言の語尾。一部の助詞は日本語と違って活用します)。십시오は「〜してください」ですよと。助詞의、로など、日本語と使い方が少し異なるものもありますが、大抵は日本語と対応しているので、直訳で覚えられます。

 でも実は、この日本語と似ている、置き換えられることを強調することによって、本来日本語とは異なる言語を、全てが置き換え可能かのように錯覚させている側面もあります。全部をそのまま置き替えられる外国語なんてものは、本来存在しません。しかし、学習書がそのことを気付かせてくれることは稀です。もし気付くとしたら、実際の文に接したときです。初級で日韓の言葉の近さを感じ、中級以降では遠さを実感していくものだと思います。意味が対応しているから逐語的に翻訳できるのかと思ったら、意外にそうでもないことを思い知らされるのです。

 韓国語には、日本語とほぼ完璧に置き換えられる語尾があります。-고 싶어は「〜したい」、-입니다は「〜です」という日本語に置き換えられます。ところが、初級の語尾-아/어요は、イントネーションを変えるだけで「します」「しますか」「しましょう」「するんですか」など、日本語にしたときには違った訳になります。このように、日本語でいうと「〜んです」などに当たる一番最後につく語尾は、実は対訳できない部分です。

終末語尾のニュアンスというのは、かなり感覚的なものです。日本語の「したよ」と「したぞ」を私たちが適切に使い分けているのは、活用パターンや使い分けの理屈を知っているからではなく、その語尾の使用場面を山ほどインプットしたからです。だから、これらの語尾の違いを説明せよと言われてもできません。
 無理やり説明してみましょうか? 「だぞ」は男性性を強く感じさせる言葉で、成人男性が使うことが多い。でも、よく考えると女性のアニメキャラが使うこともあって、可愛らしく言う時は必ずしも男性性は感じられず…
 自分でもよく分からなくなってきました。
 うん、終末語尾って、日韓ともに相当難しいですね。

거든요のニュアンスを考える

 ハングル検定5級(最低級)に指定されている거든요。これは、日本語の対訳が特に難しい語尾といえます。

 韓国語の分厚い文法事典がありますね。거든요について文法書に書かれているのは、「根拠を表す」「これから話すことの前提を示す」といった解説です。確かに、文法書に語尾のニュアンスが記述されるまでの知的な作業に、相当な労力がかかっているのは事実です。でも、語尾の言語的解説を読むだけで、その語尾のニュアンスを習得できるかというと無理だと言わざると得ません。こうした語尾のニュアンスを習得するには、文字情報だけではない、実は感情や表情、インターネーションといった情報も必要だからです。文法書がそういう情報を提供し、その習得を可能にするだけの道筋を示していることは少ないです(というよりも、こうした言語学的知見は、まとめられていないのではないかと思います)。
 そもそも文法書というのは、教える側の立場にいる人が使うものだと思います。文法書の言語的知見が、授業内容の根拠となり、下支えしてくれるのです。でも、これから学ぶ人にとっては、専門分野の事典、たとえば六法全書や医学事典を読むようなものです。それを読めるようになるまでの専門的知識を持たないと、事典に書いてあることの意味を正しく理解することができません。

語尾習得のための演習問題

 ちょっと待って、私は語尾をちゃんと習得できたよ? と思われる方もいるかもしれません。現在ほとんどの教育現場で行われている語尾学習とは、活用の仕方の習得が中心になっています。(←ここポイント)
 
語尾の日本語訳とともに、活用のパターンがどれかを確認し、そのパターンを使って練習していくのです。こうすることで、学習者はその語尾を習得した気にさせられます。だって、演習問題を完璧に解けましたから。

 後日、語尾をランダムにとりあつかう練習問題で「あれ? あのときは確かに演習問題が解けたのに、分からないな。私が忘れっぽいからだろう」と思っているかもしれません。違います。忘れたのではなく、そもそも習得していないのです。演習問題で問われているのは語尾の活用パターンであって、その語尾をいつ使うかを問わないことがほとんどなのです。例えるならこういうことです。

「いい? 1たす1は“いちご”、1たす2は“メロン”だからね。わかった? じゃあ問題を出すよ。1たす1は何?」
「”いちご”です」

 語尾演習とは、このようなやりとりをしているようなものです。なぜ1たす1は”いちご”なのか、一切自分で考えていません。なぜここではこの語尾を用いたのか、どういうときにこの語尾を用いているのか、1たす1が“いちご”になる道筋を考えさせる練習をほとんどしていないのです。したのは活用の練習だけ…。繰り返しの練習によって活用パターンは身についたとしても、自分で語尾を選択して使えるようになるという肝心な部分が欠如しがちなのです。こうして、거든요の活用は知っているけれど、いつ使うのかは分からないという状態の学習者が作られていきます。頻度の高い、5級の語尾であるにもかかわらずですよ。

 でも、演習で活用しか練習しないのも仕方がない面があります。語尾のニュアンスというものは、教科書だけでは到底表現し尽くせないからです。終末語尾は、韓国語では同じ語尾なのに、表情やイントネーションによって、日本語にした時に全く違う訳になります。ということは、語尾が持つ情報とは、活用の種類や過去形、命令形、丁寧形といった形式だけではないということです。それ以外に、どんな感情のときに使うのか、その感情だとどういう表情やイントネーションになりやすいか、そういう情報が必要なのです。活用を中心に教える文法書を使った学習は、その辺りの情報が少ないために、語尾習得が困難だといえるのです。

充実したネット辞書のKpediaでは、거든요のニュアンスがこう説明されています。

<ニュアンスの違い>
口調やイントネーションによって印象が変わり、ニュアンスが変わってくるので注意。淡々とツンツンした口調や表情で使うと、「~なんですけど、何か」のような突き放すようなニュアンスで聞こえる。その反対に、穏やかな感じで優しい口調や表情で使うと、「~なんですよ」と相手に答えや理由を軽い感じで伝えるニュアンスで聞こえる。

Kpedia

 実は、こうした解説がかなり大事だということになります。もちろんこの解説だけではニュアンスを習得できないので、実際にその場面を多く体験することが必要です。現在の教育はそこが欠如しているので、終末語尾を習得したなと思えるのは、留学経験者に限られているように思えます。表情、感情、イントネーションのある情報のシャワーを日々浴び続けることで、終末語尾の感覚が身につくということが、留学の大きなメリットの一つなのです。とはいえ、みんなが留学できるわけではありませんね。そこで、有効なのが、ドラマなどの動画なのです。感情や表情が加わったシチュエーションのある中で語尾に触れ続けることは、語尾のニュアンス習得にとって必ず通らなければならない道です。留学ではなく、ドラマ視聴でいいんです。


 これは、イ・サンユン&イ・ハニ主演のドラマ「One the Woman(原題)」から、ネイティブ(ミナ)と外国人(トゥラン)のセリフを抜き出したものです。

미나: 트랑이 못 알아 들어서 하는 말인데,내가 하도 하소연 할 데가 없어 가지고, 인터넷 
    에 들어가서 익명으로 줄줄 글을 올렸거든. 그랬더니 무슨 서울대 나온 여자도 의사          도 판검사도 시집 가면 다 이러고 산다. 참 

트랑: 시집 식구들 원래 그래요. 우리 시어머니도 그래서 나 도망 나왔어.

ドラマ「One the Woman(原題)」

ミナ: トゥランは言葉が分からないと思うからいうけど、あまりにも不満が多くて、ネットで匿名で色々書いたの。そうしたらソウル大卒の女性も医者や判事や検事をやっている人も結婚をするとみんなそうだって。まったく

トゥラン: 旦那の家族はみんなそうです。義理がキツくて私は逃げ出してきた。 

著者訳

トゥランのせりふは、いわゆる典型的な外国人的話し方を再現したものです。語尾に着目すると、体だけで話す」「をつけるべきなのに、ため口で話してしまうミスを冒す」といった特徴が見られます。一方で、ネイティブであるミナのせりふを見ると、語尾の種類が豊富です。거든も登場していますね。このスキットを見ただけでも、거든が特殊な状況で用いる語尾などではなく、かなり頻繁に使われる普段使いの語尾であることが分かります。

「One the Woman(原題)」で学ぶ韓国語については、下記の雑誌に掲載しています。

 では、外国人は韓国人が使う語尾を習得できないかというと、そんなことはありません。ただそのためには、活用の練習だけでなく、その後の大量のインプット、しかも音声や表情がわかる情報のインプットが必要なのです。この語尾は、いつ、どこで、どんな喜怒哀楽で、どんな人間関係の中で使われるのかという情報をたっぷり溜めないといけないのです。

 そう考えると、Vライブやドラマを視聴することは、語尾学習で非常に重要なこととなります。ドラマ視聴は「学び」そのものなのです。文字化された終末語尾が登場する口語の文(つまり、せりふだけが書かれた文ですね)を読んだときに、そのせりふをしゃべる情景が頭に浮かぶようになったときに初めて、その語尾を習得できたといえるのではないかと思います。

 こうした語尾の習得には、映像と音声の両方のインプットが必要で、私が発話するというアウトプットだけで習得されるものではありません。またその内容が、「오른쪽으로 가면 백화점이 있어요(右に曲がったらデパートがあります)」的な意思伝達だけの内容であってもダメです。こうしたフレーズには感情が介在しないので、感情を乗せて使う語尾の登場の余地がないのです。もしするなら、こういう発話である必要があります。

❶「右に曲がったらデパートありますよ…」(あるにはあるんだけど、かなり遠いんだよね)
오른쪽으로 가면 백화점이 있긴 한데..
❷「右に曲がったらデパートありますよ」(ないない言うけど、右に曲がったらすぐにあるし)
오른쪽으로 가면 백화점이 있거든요..
❸「右に曲がったらデパートありますよ!」(ラッキー、何か奢ってもらおう)
오른쪽으로 가면 백화점이 있거든요!!!

ほら! 거든요が登場しました。
同じ거든요でも、②は少しイラッとした表情でつっけんどんに、③は目をキラキラさせながら嬉しそうに話す情景が浮かびます。

語尾は動画を見て学ぶ

 韓国語の知識が全くない人がドラマを見まくっても語尾の習得は難しいと思うでしょう? 確かに韓国語の知識があるに越したことはないかもしれませんが、実は韓国語がわからない人の方が語尾のニュアンスを捉えるのが得意ともいえます。

 主催している韓国語教室のドラマの字幕つけワークでのことです。日本語で直訳したせりふを、シーンを見ながら画面に合った意訳に修正していくというワークでした。そこには韓国語初級者から、私を含め、韓国語知識が多い中級者以上がいて、皆が同じワークを行いました。誰が上手に訳せたでしょうか。

 なんと、それは初級者です。中級者以上はその韓国語の日本語訳を知っているので、訳に引きずられます。でも、韓国語を知らない初心者は、純粋に動画からニュアンスを掴み取るので、ピッタリの訳を導き出せるのです。そう、実はニュアンスを掴む作業そのものには、韓国語の知識は要らないんです。むしろ知識が邪魔をして、適切な日本語訳が出てこなくなります。

語尾の学習方法

 語尾学習は中級から熱心にされるようになります。でもそこで登場するのは、終末語尾よりも、뿐만아니라(だけでなく)的な連結語尾。こうした語尾は正直、文法的に解説することもありません。逐語訳だけでOKです。わざわざ文法書で練習するまでもないのです。実際に本を開いて、それを読み進めながら、知らない言い回しが登場したら調べてみる、そんな学習がおすすめです。

 終末語尾の学習はというと、習得できていないにも関わらず、初級で学び終えてしまっています。中級ではほとんどやりません。連結語尾には書籍や論文などに登場する文語が多いのに対して、終末語尾の多くは日常で使う口語です。そう、動画が最も適した教材なのです。シナリオブックもいいですが、映像の補助がないと、口語だけの文章は、文語を読むよりもはるかに難しくなります。ドラマのスキットを見たらわかるでしょう。

  今の韓国語教育は、たくさんの語尾を覚えることが学びだと思われている節がありますが、中級学習書が提示しているような、語尾だけをまとめて学習する必要はないと思います。文語の語尾は、書物に登場した時に調べて「へ〜」と思うくらいで十分です。連結語尾は文の流れから意味が分かることも多いので、辞書も不要かもしれません。
 え? 本を読んだことがない? では、文法書ではなく本を読んでください。人気の詩集や小説、絵本、昔話のような口語の多いものよりも、ニュースや説明文のような硬い文章の方がいいです。先ほどから書いているように、口語は終末語尾を習得していない人にとっては非常に難解です。でも、「である調」の文語だけで書かれた文章であれば、直訳できるのでスッと読めます
 そして、初級の終末語尾の理解が怪しいという自覚があるなら、じっくりドラマを見てください。こちらは、ドリルや自分からの発話のみでは身につきません。動画が適しています。ここではニュース動画は、初めて動画で学ぶ人には適しません。漢字語が多く、聞き取りが難しいです。聞く練習にはドラマ(漢字語の少ないホームドラマがよい)、読む練習にはニュースが適しています。逆にしてしまうと、難しすぎてへこみます。間違えないでください。

「愛の不時着」展の展示衣装


「愛の不時着」の語尾

 さあ、では最後に、語尾に注目してドラマを見るとはこういうことという一例を。私が「むむむ」とフラグが立ったのは、「愛の不時着」のリ・ジョンヒョク(ヒョンビン)のせりふでした。彼は、「サランヘヨ(사랑해요)」ではなく「サランハオ(사랑하오)」と告白したのです。하오体は、現代韓国では使われなくなりました。時代劇でしか聞かない語尾です。でも、北朝鮮では現役で使用し続けているということです。ジョンヒョクが北朝鮮の人間であることを、語尾を使って表現しているのですね。
 「愛の不時着」は北朝鮮で暮らす人々の日常を描いた数少ない映像作品の一つです。このドラマで初めて目にする光景もたくさんありました。もちろん、南では使われない、北ならではの言葉遣いも数多く登場しています。渡航の自由もなく北朝鮮に関する情報が統制されている現代社会において、北朝鮮の人々の暮らしを垣間見られるという意味でも、このドラマはかなり貴重で興味深いものです。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?