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修学旅行に行く醍醐味。我が家編。

中3長女の修学旅行が終わりました。
長女は小6の修学旅行を通して、一緒にいて楽しい友達のタイプについて自分の中で確信を深めました。

6年間+3年間で9年目ですが、先日も集まって遊ぶほど長い付き合いが続いています。
一方で少人数制だったため、小学校時代はほぼメンバーが変わらず、新しい友達を作る経験をしてこなかった長女でしたが、その学びを胸に、
中学では自分の居心地のよい人とつながっていき、今、よい仲間に恵まれています。

中3の修学旅行の話に戻ります。

「今回は運営委員に入らなかったの?」と聞くと、
「だって先生の考えてる事の圧がすごいし、実質的には自分たちで決められないし。・・面白くないでしょ。」
とのことでした。

小学校の方が主体的で自分たちでできていた・・・彼女が通っていた小学校は本当にすごかったなと思います。
小5次女も今、ミサンガを作っては修学旅行資金を稼ぐ日々を送っていますが、それぞれがしたい事で運営に参加できるほど自由度が高いし、任せてもらえる度合いが大きい。先生は管理者というより、伴走はするけれど、仕事を任せ、責任は取る上司みたいな存在です。

 あそこまで子ども達に任せるには、日本の教育の中で育ってきた大人が無意識に感じる「こうであってほしい」「こうでないといけない」を一旦外さないといけないので、先生方の想いと試行錯誤のおかげだなと思います。

 長女の中学も自由で主体性を重んじる学校です。先生方は「うちは子どもに決定権を渡してる」と思ってはいても、まさか生徒側が「先生が決めた枠の中から出られないし、結局先生の判断になるし主体性ではない。」と思っているとは思わないかもしれません。

そんなこんなで、本人的にはあまり楽しみに思えなかった修学旅行。

母から何を言えば見方が変わるんだろう・・。
色々考えて

「小学校の修学旅行では、長女は友達選びの軸みたいなものを発見してたよね。そのおかげで今の中学でも面白い子に出会えてるよね。
中学では今回、いつものメンバーじゃない子とも過ごすやん。
私は長女も友達も面白い子たちでいいなと思うねん。でも本当にその人たちだけなのかな?安定した世界は確かに居心地いいし、大切にしたい部分だけれど、今回の内容やメンバー割りを聞いていると、そういう面白い人に新たに出会える可能性があるんじゃない?」

と伝えると

「確かに。そう思うとちょっと楽しいね。そういう視点で参加してみるよ。」と元気に修学旅行に出発していきました。

 結果として、やっぱり旅行で色んな距離がぐっと縮まり、新しい出会いもあったようです。旅行後、そのメンバーでご飯行くんだ、みたいな事もあってやっぱり思春期の時期の泊まり行事って偉大だなと改めて感じました。

ただ。

「面白かったよ!先生にまあまあ怒られたけど。」

・・・知っております。まあまあ長いメールをいただきました・・・。

修学旅行では一生忘れない思い出も作ってきたようです。

あれは先生のバックボーン(無意識の常識の縛り)によって反応が如実に変わる案件だったよね。両親や小学校時代の親御さんの文化の中では怒る理由が見つけられなかったけれど、先生の気持ちも分かるよ。(ママ友は面白い!と大爆笑していました。そして公立的で意外だねという感想でした。)

 結局人って自分が重ねてきた経験と常識で物事を判断する。
事実は変らないけれど、感じ方(見える真実)は本当に人それぞれということがよく分かったんじゃないかな?

 中1の時、担任に色んな人がいる中でのコミュニケーションを学んで欲しいと言われていた長女(気が合う人がいなければおひとり様行動、全く平気。むしろ気楽というタイプでした)。
中1の時なら私の意見は届かなかったと思います。

彼女の友人構築ペースを受け入れてくれた度量の大きな友達のおかげだろうな。良い仲間に恵まれた事に感謝です。

ということで、彼女なりに着実に自分の階段を登っているなと感じた修学旅行でした。


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