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昨日のつぶやきに関して、捕捉にならない捕捉

こんにちは、アジサシです。
昨日つぶやいたこと。

いま読み返したら、よう分からんですな笑
書くことない+時間がないってなったら、訳分からんこと書きますな。
てなわけで、自分の考えを振り返る意味で、ちゃんと書こうと思います。

ゴールデンウィークにPCを買い替えました。
前のPCのデータを移した方がいいんですが、ハードディスクにデータを入れたまま、今のPCに移してないんです。
前のPCだったら見ていたフォルダやデータも移してないんで、本当なら結構不便or困っているはずなんです。
しかし、現状困ってない…
つまり、今まで必要だろうと思っていたものは、実はあまり必要なかったってことです。

じゃあ、今後も必要ないかっていうのは、また別問題。
明確に必要になるだろうデータを入れた記憶もあるからです。
そういう記憶がなくても、確かこのデータあったよな、とか、この資料持ってた気がする、なんてことが往々にしてあるわけです。
そうして掘り起こしてきたものが、今目の前の問題を解決したりすることが、たまにあるわけです。
この“たまに”というのが曲者で、このせいで僕らは、不要なものまで取ってたりするわけです。

普通に生活していてこんな感じなんですから、脳みそも同じことをしていると思いません?
この前読んだ『こうやって、考える』は、こういう不要なものは、一旦外に出す、って言ってるんだと。
PCでいう外付けハードディスクにデータを移すわけですな。
で、容量を増やした状態で、考えろ、って言ってるんだと思ったんです。

そうしたら、あーこうしたらいいんかな、とか、これいいんじゃね?みたいなアイデアが浮かぶと思うんです。
そんなとき、外に一旦置いたものの中に、役に立つものがなかったっけ、とふと思い出すことが、考える工程に似てるな、と感じたわけです。

いかがでしょうか。
ま、考える工程は人それぞれですから、こんな奴もいるんだな、と思っていただければそれでいいです。
PCのデータくらい、さっさと(いい加減)移せよ、って感想でも大丈夫です。
読んでいただけただけで、一応昨日のつぶやきの内容の言い訳はできたと思うので…

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

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