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#28 ドーピングによってどれほどパフォーマンスが上がってしまうのか

1990年代から2000年代にかけて自転車界でスキャンダルの多かったドーピング問題。

その中心にはエリスロポエチンという赤血球の産生を促す効果のあるホルモン物質が使用されていました。

今回はこのエリスロポエチンがパフォーマンスにどのような影響を与えているのかを検証した論文をご紹介します。

論文の中ではなぜエリスロポエチンという物質がドーピングで多用されてしまったのかの記載もありますので、是非読み進めてみてくださいね。



ドーピング問題

アームストロング選手に代表されるドーピング問題。これはアームストロング選手一人が行っていたものではなくて、ロードレース界では決して珍しい訳ではなかったことが元選手の証言などからも明らかになっています。

アームストロング選手のアシスト役でもあったタイラー・ハミルトン選手(彼もドーピングで陽性となっています)が現役時代を振り返った著書がありますので、お読みになることをおすすめします。

こちらの書籍を読むと、

  • 決して一人や二人が行ったことではない

  • むしろチーム単位での組織的なもの

  • 特にエリスロポエチンが使われていた

  • エリスロポエチンの体内の変化(多くなる期間、少なくなっていく期間)が分かっていると、ドーピング検査をすり抜けられていた

といったことが分かります。

過去に起こった自転車業界でのドーピングスキャンダル、それをより深く理解するためにも話題の中心にあるエリスロポエチンの効果を知ることは大切かと思います。

そこで今回の記事では、エリスロポエチンがどのくらいパフォーマンスを高めるものなのかを検証した論文をご紹介します。


エリスロポエチン

エリスロポエチン自体は体の中でも自然に作られている物質で、赤血球の産生を促進するホルモンであることが知られています。

エリスロポエチンは貧血などへの医学的な効果が認められています。日本では腎性貧血のみへの保険適応ですが、欧米では様々なタイプの貧血症状に用いられているようです。(wikipediaより)


検証方法

今回の論文では20-30歳の男性アスリート20名が参加。週に3回、3週間にわたってエリスロポエチンを取り入れるグループと、同じ頻度でプラセボ(効果のないもの)を取り入れるグループに分けられて検証が行われました。

参加者は自身がエリスロポエチン、プラセボのどちらを摂取しているのかは知らされないように実験が進められています。

摂取を行っている3週間を介入時期として、その後の4週間も血液検査とVO2max測定の追跡調査がなされています。


ヘマトクリット値の変化

ヘマトクリット値とは、赤血球が血液成分の何%であるのかを示した値になります。

成人男性で40-50%、成人女性では34-45%ほどのようです。

今回の実験ではエリスロポエチンを摂取することで、徐々にヘマトクリット値が50%前後になるようにコントロールされました。

下の図の黒丸の軌跡がエリスロポエチンを摂取したグループで、白丸がプラセボグループです。

ちなみにUCI(自転車競技連合)の規定ではヘマトクリット値50%以上をドーピング陽性基準とされています。

プラセボグループが44%前後で推移しているのと比べると、一目瞭然の違いがありますね。そしてエリスロポエチン摂取を終えた期間(緑矢印)で徐々にヘマトクリット値が下がってきていることがうかがえます。

エリスロポエチングループのように赤血球が増加した状態だと、パフォーマンスにどのような影響を与えるのでしょうか?次にその結果をお示しします。


パフォーマンスの変化

エリスロポエチンを摂取したグループは介入前に行ったパフォーマンステストでVO2maxが平均63mL/kg/minであったのに対して、3週間の摂取を終えた直後には68mL/kg/minに、30日後でも65mL/kg/minと高い値を維持していました。

しかもこの間、特段トレーニングを行ったわけではありません。プラセボグループのVO2maxは介入前とその後で大きな変化はありません。

下の図がその結果を視覚化したもので、図のバー(長方形)がVO2maxを示していて、斜線バーがエリスロポエチングループ、白バーがプラセボグループです。

ランプテストで持続できた時間も併せて描画されており、黒丸がエリスロポエチングループ、白丸がプラセボグループになります。

エリスロポエチンの摂取によってわずか3週の間にVO2maxが5mL/kg/minも向上し、その効果は摂取後30日まで続いていることが読み取れます。

一つ前の記事でご紹介した高地トレーニングの論文では、4週間の高地トレーニングによってヘマトクリット値が2%ほど増加し、それによってVO2maxは平均2mL/kg/minの改善が見られていました。

4週間綿密に計画された高地トレーニングでさえVO2maxの増加は2mL/kg/minほどです。一方今回の論文ではエリスロポエチンの摂取を3週間続けるだけでVO2maxが5mL/kg/minも向上しています。

FTPであれば体重比で0.5w/kgほど増加するような変化です。

このことからも、ドーピングによっていかに手軽にパフォーマンスを向上してしまえるのかが見えるのではないでしょうか。


どうやってドーピング検査はすり抜けられてしまったのか

ドーピング検査ではヘマトクリット値、そしてエリスロポエチンの検査が行われていました。

まずヘマトクリット値については、エリスロポエチンを摂取していてもヘマトクリット値が陽性基準の50%以上にならないようにコントロールすることは割合簡単だったようです。(参考:シークレット・レース

そうするとエリスロポエチンの検査結果が重要になってくるわけですが、エリスロポエチンは摂取を止めると一週間ほどの期間で通常レベルに戻ることが今回の論文で示されています。

つまり予めドーピング検査日さえ分かっていれば、それに合わせて検査の1週間前にエリスロポエチンの摂取を止めるとドーピング検査で陽性にはなりません。

そしてVO2maxなどの能力は摂取を止めても30日間は高まっていることが先ほどの結果からも明らかです。

たとえばレースの一週間前にエリスロポエチンの摂取をやめてレースに出れば、レース後のドーピング検査では陽性にならないものの、エリスロポエチンを摂取していたことによるパフォーマンスの向上効果はレース中に残っているということになります。

このようにドーピング検査で陽性にならないがパフォーマンスが上がっている状態を作り出しやすいということが、エリスロポエチンがドーピングに多用されていた要因でもあるようです。


子供たちにドーピング問題の教育を

ドーピングはいけないことだ!

と子供たちに教えることはもちろん大切です。私もそう伝えています。

ただ、ダメと言われるだけで納得できることは少ないと思います。日本は世界的にみてもドーピングに対してはクリーンな印象です。そのためドーピングの威力がいかに凄いことかを実感する機会は少ないとも言えます。

もしドーピングについて知らないままに海外へ渡り、熾烈な闘いに挑んでいる最中にその効果を知ってしまったなら、手を出さない選択をするのはなかなか難しいのではないかと想像してしまいます。

先ほどご紹介したタイラー・ハミルトン選手について書かれた著書でも、やむにやまれない状況があったであろうこともうかがえます。

もちろんドーピングはいけません。どのような文脈においても。

だからこそ実際に起きていたドーピングの問題、ドーピングの威力を伝えて、君だったらどうする?と子供たちに問いかけながらドーピング問題に向き合うことが必要だと考えます。


おわりに

少し暗い内容の記事となってしまいました。

しかし私としてはすごく大事なことだと感じていて、是非皆さんにも知ってもらいたいなと考え今回の記事を書きました。

未来を担う子供たちが、良い方向に向かうきっかけとなれば嬉しい限りです。

今回も最後までお読みくださりありがとうございます。スキ、フォローを頂けると大変励みになります。

今後の記事も、また読みにきてくださいね。


ご紹介した論文

Birkeland, K. I., Stray-Gundersen, J., Hemmersbach, P., Hallé N, J., Haug, E., & Bahr, R. (2000). Effect of rhEPO administration on serum levels of sTfR and cycling performance. In Med. Sci. Sports Exerc (Vol. 32, Issue 7).


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