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学びのトンネルに灯りを 02

トンネルの正体

「どう勉強したらいいかわからない」「何がわからないのかわからない」「説明されればわかるけど、自分でやれる気がしない」こうした感想が漏れ聞こえる教科の代表が「国語」でしょう。なぜこのような事態が懲りることなく延々と続いているのでしょうか?より多くの知識を理路整然と網羅的に教え、テクストを手取り足取り丁寧に読解しているのだから、読めるようになっているはずだ・・・という期待は、テストのたびに見事に裏切られます。しかし、少し考えればそれは「裏切り」でも何でもなく、むしろ必然であることがわかります。

実際には、学習は単なる「受容」と「蓄積」よりもはるかに複雑な生徒の心的・実践的な活動である。生徒は、文字どおり、世界像を醸成し、世界の諸現象の説明モデルを形成する。生徒は、カメラやテープレコーダーとは異なり、常に情報を選択し、解釈する。生徒はたえず、新しく手に入れた素材を、現在の活動や既有の構成物に関連づけ、溶け合わせる。学習者の活動や既有のモデルは、学習者の態度・選択・解釈を方向づけ、指示する。新しい素材も、既有の構造と活動に働きかけ、作りかえる。このような解釈と構成を通して、有意味学習が生じてくる。新しい知識や新しい課題が学習者の活動や既有知識とぶつかり溶け合うときに、有意味性が発生する。両者の結びつきが弱ければ弱いほど、そのことがらは生徒にとって有意味ではなくなり、よりたやすく忘れられることになる。

ユーリア・エンゲストローム『変革を生む研修のデザイン』鳳書房 2010年

このように、生徒はただ知識を記憶するだけの「メモリ」ではありません。新たな知識や課題に対して自身の既有知識で働きかけ、解釈し、自分の認識や理解の構造を作り替え、更新していく能動的な存在です。教える側はこのことを前提にして新たな知識や課題を投げかけないと、単なる「宛先のない知識の置き配」で終わってしまいます。受けとっていいか誰もわからず、どう受け取ればよいかもわからず、知識はむなしく置き捨てられます。悲しいことに送り手は、そんな事態を知るよしもありません。これが「教えたはずなのに何でできない!?=トンネル」の正体です。こうした不毛な時間と労力を解消するには、学習者である生徒の既有知識や理解のしかたの現状を把握し、それに応じて与える知識の次元を調整し、理解のしかたそのものを作り直すといった、「思考回路」自体へのアプローチが必須だということになります。「入力」と「出力」のあいだを媒介する「手続き」、言わば「回路」を可視化して点検・改修・整備して、処理のしかたを学習者自身が「見える」ようにすること。これこそが「トンネルに火を灯す」ことなのではないでしょうか?その灯火を頼りに、生徒が実際に知識の処理を試み、調整を加えつづけることではじめて「入力」「回路」「出力」が有機的につながっていくはずです。そのプロセスはおそらく、試行錯誤、挫折の連続です。あるときはとんとん拍子に進み、またあるときは滞留して一歩も進まないこともあるでしょう。しかし、そういう営為を授業の中に確保しない限り、授業は「宛先のない置き配」を無為に重ねるだけです。ーでは具体的に、「トンネルを灯す指導」とはどのようなものなのかについて、考えていきたいと思います。今回は、予定としていた具体論に行く手前の、プロローグになってしまいました。(03に続く)

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