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「話を聞くこと」と「撮ること」の隙間から 大竹昭子×インベカヲリ★ 前編

インベカヲリ★は、モデルの女性を募集し、彼女たちにインタビューして一緒に設定を考え撮影するという手法で制作してきた写真家です。
大胆なセッティングのもとに撮られた写真は、見るものの目を惹きつけて止まない奇異なイメージにあふれていますが、撮影した本人の印象は真逆で、状況を冷静に分析する目をもった理性派。
インベはこれまで『やっぱ月帰るわ、私。』と、『理想の猫じゃない』『ふあふあの隙間』の三冊の写真集をだしてきました。前者が写真だけで構成されているのに対し、後者二冊にはインタビューの内容が写真とともに載っています。
そのような形式にしたのはなぜか、そもそも未知の相手にどうやって話を聞くのか、写真に言葉を付ける場合とそうでない場合とではなにがどう変わるのか。
さまざまな問いを投げかけるのは、作家の大竹昭子。
2018年10月に「ふあふあの隙間」展(ニコンプラザ東京「THE GALLERY」)会場にて行われたふたりのトークを加筆・再構成し、お届けします。全2回の更新の前編!


インタビューすることと写真を撮ることは似ている

大竹昭子(以下、大竹 )私は2013年に出版された『やっぱ月帰るわ、私。』(赤々舎)でインベさんの写真を知ったんですが、写真をはじめめたのはそれよりだいぶ前だそうですね。

インベカヲリ★(以下、インベ)2001年からです。

大竹:ということは十数年たちますが、ずっとこのスタイルで来ているんでしょう。つまり、モデルを募集してインタビューし、セッティングを考えて演じてもらって撮るというやり方を。

インベ:ええ、最初からずっとそうです。

大竹:まずそのことが驚きです。思いつきで何回かやれるとしても、それをつづけるのは容易ではないですから。というわけで、わたしの興味はまずインベカヲリ★さんという人物にあります。21歳からずっとこのプロジェクトを継続している力は何なのだろうと。

インベ:私の場合は、写真に興味があったわけではなくて、人への興味だったんです。なぜ写真だったのかというのは、具体的な理由があったわけではないと思うんですけど、ただ手元にカメラがあったので写真という表現がいちばん楽だったんですね。それまでは文章を書いたりはしていたけど、それ以外の方法で自分の感じたことを表現するとなると何だろうと考えたときに、写真がいちばん手っとり早かったんです。ですから、人に対する興味からスタートしているし、人を知りたくてはじめたんです。

初期作品

初期作《夏の蝶々儀式 2001年》

大竹:技術的なことは独学ですか?

インベ:そうです。説明書を読みながら覚えました。

大竹:人に興味があると言っても撮り方にはいろいろな方法がありますけど、具体的にはどのようなプロセスをたどるのですか?

インベ:ホームページでモデル募集をしています。作品もアップしてあるので、それを見て撮られたい人がメールをくれ、会いに行って3時間くらい話を聞きます。そこから私が受けたインスピレーションでこういうテーマでこういうシチュエーションでどうですかと提案します。賛同が得られたら、撮影場所を探したり、服を決めたりして、後日、撮影するんです。

大竹:演出家に近いですね。と同時にインタビュアーやスタイリストの側面もあるし、文章も載せるのでライターの要素もあります。いろいろな関心と興味が統合されて最後にそれが「写真」というかたちでアウトプットされる。「写真家」と簡単にカテゴライズできませんね。
なかでも驚くのはインタビュアーとしての能力、他者の話を聞く力です。だって、はじめたときは21歳でしょう。自分より年上の人も来るわけで、よくやったなあと思いますし、しかも、相手は複雑な問題を抱えている、中には精神的に病んでいる人たちもいるでしょう。そういう人に対するには尋常でないエネルギーが要りますよね。

インベ:私はその辺は結構平気で。

大竹:えっ、そうなんですか?

インベ:よく驚かれるんですけど、そこは平気で。

大竹:いくらでも聞けてしまう……。

インベ:重い話でも深刻にならないというか、へえ、そうなんだ、という感じなんです。

大竹:相手が自発的に話すのですか? それとも質問して引き出すのですか?

インベ:質問はします。質問して、答えてもらって、また質問して、と繰り返すうちにどんどん深いところに入っていきます。

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                      《歌舞伎町浄化作戦 2004年》

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                       《卓上の喜怒哀楽 2004年》

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                         《ももんが姫 2004年》


大竹:重い話も平気で聞ける自分には、いつ気がついたんでしょう。

インベ:いや、人から指摘されてはじめて気づいたんです。自分ではずっとそうだったからなんとも思わなくて、苦しみを背負うとかダメージを受けるとかもなかったんです。でも、引きずらないの? と人に何度も何度も訊かれるうちに、まわりの人はそうなんだ、と気がついて。よく考えたらそう訊く人の気持ちもわからないではないんですけど、私自身、どんな話を聞いてもその人をかわいそうだと思うわけではなくて、むしろ全力で生きているなあ、とわりとプラスの意味でとらえるので、ふたりで落ちていくということはないですね。
どっちかと言うと、その3時間の会話のなかではふたりで笑っていることが多くて、私がおもしろがって話を聞くので、どんどんむこうもノってくる感じです。

大竹:ポジティブにエネルギーが回転していく感じでしょうか。

インベ:そう、こんな経験もしたよ、あんな経験もしたよ、と。すごい、すごい、という感じですね。

大竹:自分が人間というものに興味があるらしいと気づいたのはいつですか?

インベ:高校生ぐらいから人間の心理に興味をもって、本を読んだりして、知ろうとしていたんですけど、私自身が子どものときにコミュニケーションがとれない子どもだったというのは大きいと思います。

大竹:そうだったんですか!

インベ:ええ。自分だけちがう人間みたいで、だれと会話しても同じ人間とは思えないみたいな、自分だけ異色で話がかみ合わなくて。今の時代ならすぐ病名とかつけられそうですけど、そういうこともなくて、ふつうに居心地悪くて、無理して子ども時代を生きてきた感じでした。
でも大人になると、外ではみんな自分を繕っているけど実はそうではないというのがわかってきて、なんだ、みんな同じなんだと安心する気持ちから入っていったので、はじめは仲間探しみたいな感じだったと思います。


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                                                          《あ、そこにいましたか! 2006年》
 

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               写真集『やっぱ月帰るわ、私。』(2013)より

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               写真集『やっぱ月帰るわ、私。』(2013)より

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               写真集『やっぱ月帰るわ、私。』(2013)より



大竹:でもコミュニケーションがとれなかったのに、こんなにも深く人の話が聞けるようになったのは、途中で飛躍があったのでしょうか?

インベ:むこうから来てくれるというのはかなり大きいと思います。知らない人に自分から行っても心を開いてくれないと思いますけど、他者という距離感のある関係のなかで、初対面の人にしゃべるわけで。それに、そもそもしゃべりたいから来てくれているので、心が開きやすい条件がそろっているのかもしれません。

大竹:あと大切なのは相手から信頼されることですよね。この人なら話しても大丈夫だと思ってもらえるとスムーズにいきます。
私はインタビューすることと写真を撮ることは似ていると感じるんです。相手のまだ見ぬ表情を見たいと思って質問を投げかける。いまもこうしてインベさんと話しながら、こういう事を訊いたらどんな顔をするだろうと興味が働いていて、頭の隅にそれを置きながら質問を考えていますしね。心が開いてくると表情がどんどんと変わってくるのが楽しくて、それはちょうど見えないカメラでシャッターを切っているような感じなんです。

インベ:考えたことなかったけど、そうかもしれないです。

大竹:人に話を聞くときは自意識を横に置いてニュートラルな状態に持っていきますよね。そこも写真と似ていませんか。こう撮りたいと思い込みすぎるとうまく写らなくて、自分が吸収のいいスポンジのような状態のほうがうまくいく。インベさんはスポンジの質がえらく良いというか、なんだか特別な器官が体内にセットされているような感じです。
しかしここまで深く話を聞いてしまうと、相手にとってインベさんが特別の人になりすぎて、頻繁に連絡してくるとか、話を聞いてほしいとか言ってくることはないですか。

インベ:その辺が、例えば家出少女をサポートしている人たちなどとは似て非なるところで、悩み相談ではないんです。ふたりで会ったときの会話もそうで、小説そのもののような人生を一方的に提供してくれて、それをすごいなと思って作品にするわけで、撮影したらふたりの共同作業はそこで終わるんです。

大竹:なるほど、頼られる関係にはならないんでね。むしろ共犯関係に近いかもしれません。そう言えば、インベさんに会うので悪いことをしてきました、と語っている人がいましたよね。でも、それがなにかは書けませんって。

インベ:結構、そういうの多いんですよ。話のネタづくりというか。ふつうの日常だといやなことがあったとか、こんなトラブルに巻き込まれて不快だったとかでも、私と会うことでそれをネタにできる関係ができ上がりますね。

大竹:つまり撮影を目的とした関係ということね。

インベ:そう、日常の関係とはちがいます。

大竹:ふたりのあいだにカメラが挟まっていることがポイントですね。

20「言葉の代わり」

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                                                            写真集『理想の猫じゃない』(2018)より 



テキストによって立ち上がる「他者性」

大竹:二作目の写真集『理想の猫じゃない』(赤々舎)と今回の写真展『ふあふあの隙間』では、写真だけでなく相手にインタビューした言葉が添えられています。このことによる発見はありましたか?

インベ:たくさんありました! いままでやってこなかったのは、見る人が自由にいろいろな角度からそれぞれの気持ちを介して見てほしいので説明はいらないと思っていたんですけど、展示会場で説明を求められることが多くて、それで説明すると、とたんに見え方が変わっておもしろくなったと言われることがよくあったんです。
 それじゃ言葉をつけてみたらどうなんだろう、とはじめてこういうことをしたんですけど、展示会場でいちばん驚いたのは男性の感想が増えて長くなったことです。写真だけを見たときと、文章を読んだあとに見るのでは、方向づけられるので見え方が変わります。そこから何を感じるか、考えるかというのは、人それぞれものすごく幅があるんだなと気付かされて、別の意味で幅が広がってきたのを感じます。

大竹:テキストがないと見る人が自問自答に入っていくように思います。自分がこういうしぐさをしたらどうなるか、とか、逆によくこんなことが出来るものだ、と抵抗を覚えたり、ともかく自分に置き換えて考えるんです。でも、テキストがあるとそこに他者がいるという感じが強まる。「鏡」から「窓」になると言ったらいいでしょうか。テキストによって「他者性」がたちあがり、いろいろな人が集まって出来ている「社会」や「時代」が浮上する感じが興味深かったんです。
 インタビューという作業はノンフィクションライターや社会学者がこれまでもたくさんやってきましたよね。ただ言葉で表現することの厄介さは、そうやって聞き出したことに判断を下して着地点を見いださなければならないことです。そもそもの動機からしてちがっていて、彼らのなかに病んだ社会の肖像を見いだすからインタビューに行くわけです。
 インベさんの作品は、そういう価値判断が留保されているところが特異です。テキストを読むとこの人大変そうと思うけれど、彼らの言葉と写真でそれをさらっと提出しています、個人が抱える問題には踏み込まずに。そうした着地のさせ方が写真では可能なんですね、意味を伝えるメディアではないから。

インベ:そうですね、何も答えを言っていないです。

大竹:読んでいると冷や冷やさせられるんですよ。この人、すぐにでも自殺しそう、とか、犯罪に走りそうとか思って。でも考えたら、本当のことをしゃべっているかどうかだってわからないでしょう。インベさんをおもしろがらせようとして話を盛っているかもしれないし。

インベ:そうですね。それとここで語られることは過去なんです。昨日であれ、一時間前であれ、過去の記憶を話しているので、その人が自分の言葉でしゃべった時点でもうそれが事実かどうかは関係ないというか、物語のなかの言葉になっていて、彼女たちの創作物を聞いているという印象なんです。

大竹:逆に言うと過去化して物語になっているから話せるわけですよね。支離滅裂だったり、病んでいればそもそも人には会えないし。話そうという自意識をもってインベさんの前に立っているわけです。
 ジャーナリズムやマスコミの世界では真実が語られられなければならないという暗黙の了解があって、実証性が求められます。言葉の立場からするとそれが逃れられないワナでもあるようにも感じます。社会には問題が山積しているわけですが、それをすべて「問題」としてとらえると意味にがんじがらめになるけれど、そこに別の角度から切り込めるのがアートの強みです。

インベ:見た人が自由に受け取ることができますからね。

大竹:人間のなかにはいろんな願望が潜んでいますよね。素っ裸で街を歩いてみたいとか、とりかえしのつかないことをしてしまったときに自分がどうなるかを知りたいとか、そういう好奇心ってだれにでもあるし、エネルギーの高い人ほど日常以外の自分に出会いたい、そういう自分をさらけだしたいという欲求をもっていると思うのです。モデルの人とも、話しているうちにそういう非日常的な精神状態に入っていくことはないですか?

インベ:いまお話を聞いて思い出したんですけど、過酷な撮影ほどモデルの方が喜ぶんです。過酷なほど一体感が生まれて、ぜったい日常生活ではやらないことを一緒にやったという浄化されるような感覚を持ちます。それでちょっと過酷な場所に連れて行ったほうがいい写真が撮れるんじゃないかと思ってこの夏はやってました。

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                 写真集『ふあふあの隙間①』(2018)より

大竹:どんな過酷さですか?

インベ:たとえば水中撮影をはじめてしました。「せーの!」と掛け声かけて一緒にもぐって、数秒息を止めてシャッターを切ってまた上がる、というアナログな方法でやったんです。水がすごく冷たくて大変だったんですけど、この写真を撮るためにこれをやろうねという感じでうまい過去作りが出来るというか、その子のもっていた過去が作品にぽんと出てきて次のステップに行くという不思議な感覚が生まれるように思いました。

大竹:『やっぱ月帰るわ、私。』のなかでは、モデルに「怒りをカメラの前で出して欲しい」とお願いをすると書いていますよね。

インベ:結構、女性って自分を抑えるというか、自分ほうが悪いから言いたいことを引っ込めるということが多いと思うけど、こんなのは自分じゃない、こんなことはしたくないと外に出したほうが健全だと思ってそのときはそう書きました。

大竹:今はそう考えていないんですか?

インベ:歳を重ねて自分が変わってくると、引き寄せる被写体も変化する傾向があるんですよ。自分の変化が人にも影響を与えるんだなと思うんですけど、『やっぱ月……』の頃はわかりやすい崩壊の仕方をしている子が多かったんですが、いまはOLをしていたり、社会生活をふつうにやっていて、その人を知っている人もふつうに接しているのに、実は裏側でびっくりするようなことを考えているとか、見た目からは想像もつかないことを考えているとか、そういうどこにでもいるように見えてしまう人たちのなかにある普遍的な深みに近づいてきたように思います。

大竹:『やっぱ月……』に出てくるのは社会体験の浅い、容易に崩壊しがちな人たちだったけど、『理想の猫じゃない』の人たちはもっと逞しいというか、何枚も服を着込んでいて状況に応じて脱ぎ着しているような、世界をいくつも抱えもっているような感じがあります。

インベ:うまく泳ぎつつも本音はここにある、と自覚しているのかもしれません。


 後編へつづく


プロフィール

大竹昭子(おおたけ・あきこ)
1980年代初頭にニューヨークに滞在、文章を書きはじめる。小説、エッセイ、批評など、ジャンルを横断して執筆。著書に『図鑑少年』『随時見学可』『間取りと妄想』『須賀敦子の旅路』『東京凸凹散歩』など多数。写真関係の著書には『彼らが写真を手にした切実さを』『ニューヨー ク1980』『この写真がすごい』『出来事と写真』(共著)などがある。2007年より都内の古書店で多様なジャンルのゲストとトークする〈カタリココ〉を開催している。また東日本大震災後、ことばをもちよるトークイベント〈ことばのポトラック〉を継続中。2019年にはカタリココ文庫を創刊し、〈カタリココ〉〈ことばのポトラック〉などのトークを活字化した「対談シリーズ」と、エッセイ・小説・評論の枠を越えた表現を収録する「散文シリーズ」を刊行している。新刊に『五感巡礼』(カタリココ文庫)。

インベカヲリ★
1980年、東京都生まれ。写真家。ノンフィクションライター。第43回伊奈信男賞。2019年日本写真協会賞新人賞。写真集に『やっぱ月帰るわ、私。』『理想の猫じゃない』『ふあふあの隙間』①②③(共に、赤々舎 刊)など。『週刊読書人』『シモーヌ』にて連載中。
2021年2月24日(水)から3月9日(火)まで、赤坂のバー「山崎文庫」(港区赤坂6-13-6赤坂キャステール102)で展示を予定。


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大竹昭子『五感巡礼』(2021年 1月23日 発売 新刊) はこちらから

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