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愉快な昼下がり

 日曜日の昼下がり、ママチャリで河川敷を行くあてもなくフラフラと進んでいると、前方左手にネットフェンスで囲まれた野球場が見えた。近づいてみると、そこではまさに試合が行われていて、選手たちの体格を見るに、それは中学野球の試合であるらしかった。日曜日ということもあって、ネットフェンスの外側には選手の保護者たちが沢山いて、我が子の活躍する姿を見守っている。私は近くの駐輪場に自転車を停めて、試合を観戦すべく、保護者たちの輪に混じってネットフェンスの外側に陣取った。私が陣取ったのは三塁側のネクストバッターズサークルのすぐ後ろで、そこからはネクストバッターズサークルで打順を待つ選手の緊張感であったり、キャッチャーのミットに吸い込まれるボールや、右バッターの後ろ姿、そしてピッチャーのマウンド捌き、はたまたセンターを守る選手が風で飛ばされないように帽子を深く被り直す姿などがはっきりと見えた。久しぶりの野球観戦に私は大変心躍り、気がつくと腕を組み、食い入るようにしてグラウンドを眺めていた。すると、隣にいた選手の保護者と思われる40代くらいの色黒でスポーツサングラスをかけた男性から声をかけられた。
 「今、投げているピッチャーがうちのエースなんです。ストレートは、125km/hくらいかな。調子の良いときなんかは130km/hくらいいくときもありますね。変化球は3種類もってるんですけど、特にカーブが良いんですよ。ほら、今投げたやつ。あれでバンバンカウントが取れるもんですから、バッターもタイミングが取りづらいんですよ。それにスタミナもありますからね、9イニングでも問題なく投げるでしょうね」
男性は嬉しそうに今投げているピッチャーの特徴を私に教えてくれた。どうして突然私にそんなことを教えてくれたのだろうか。私は今投げているピッチャーなんかよりも、隣にいる色黒男の方に興味をそそられた。どこにでもこの手の新参者にも優しい人懐っこい性格のおっさんはいるものだが、それにしても話し方が説明くさいというか、どこかセールスっぽさを感じ、違和感を覚えた。そして何より変だったのは、明らかに目下の存在である私に対して妙に媚びてくるような話し方をしてきたことであった。色黒で派手なスポーツサングラスをかけた40代のおっさんというのは大抵、勝ち気が強くて、上下関係にもうるさく、目下の相手に対しては高圧的な態度を取るものなのだが、それに対して、この色黒男の態度は全くもって正反対のものであり、私のような人間に擦り寄るように話しかけてきたかと思えば、自分のチームのピッチャーのセールスをしてくるなんて理解できないことであった。
 そこで私は考えた。もしかしたら、この色黒男は私のことをスカウトマンだと思っているのではないかと。たしかにその時、私はミズノのトレーニングウェアを身につけていたし、腕を組みながら試合を見る姿はスカウトマンのそれだと勘繰られてもおかしくない。中学野球の試合を観戦する見慣れた保護者たちの中に、スポーティな格好をして腕を組みながら試合を真剣に見る20代そこそこの見慣れない男を見たらそう思っても無理もない。色黒男の予想は残念ながら大外れだったが、悪い気はしなかった。むしろ、せっかくそう思ってくれているのであれば、スカウトマンのフリをしてみるのも悪くないと思い、それから私は努めてスカウトマンのフリをすることにした。ポケットからスマートフォンを取り出して、メモを開き何やら書き込みをしているフリをしてみたり、ピッチャーが良い球を投げたら大袈裟に頷いてみたりもした。すると、色黒男は私のことをスカウトマンだと確信したのか、調子に乗って他の選手の説明も始めた。
 「今打席に立っているバッターは普段は8番を打っているんですが、この前の試合で3打数3安打したので今日は2番に入ってるんですよ。バッティングもまあまあ良いんですけど、なんと言っても小技が上手で、チームで1番バントが上手いんですよ」
 「このバッターはうちの4番でスイングスピードはピカイチなんですが、いかんせんまだバッティングが粗いんですよ。ワンバウンドのボールだってブンブン振っちゃいますからね。高校でそこら辺を修正していければかなりのバッターになると思うんだけどなぁ。素材としては申し分なしですね」
色黒男は選手の特徴を滔々と語るのだが、その声が大きいため、色黒男がなにやらスポーティな格好をした、胸の前で腕組みをしている偉そうな若い男性と話しているということが選手たちにも伝わってしまい、特にネクストバッターズサークルで控えている選手などは最早試合どころではなく、私たちのことが気になって仕方ない様子で、時折私たちに勘付かれないようにチラチラとこちらを盗み見している。恐らく、色黒男が選手たちの特徴を話していることを知り、選手たちまでもが私のことをスカウトマンだと勘違いしているようである。
 次の回の守備でその影響が出始めた。色黒男は尚も私に向かって選手たちの話を続けた。が、色黒男の私に対する態度に若干の変化が生じ始めたのもこの時期で、先ほどまでは、私に対して媚びてくるような様子であったのが、しばらく話してみても私が特に嫌な顔をしなかったからであろうか、それによって私が色黒男を好意的に受け止めていると勘違いしたのか、今度は徐々に馴れ馴れしい態度を取り始めるようになった。そして、その態度は単に私と親しくなりたいからこそ取られたものではなく、むしろ、自分の周りにいる他の保護者や、選手たちなどといった第三者に対して向けられたものであった。俺は今、スカウトマンと仲良く話しているんだぞ、凄いだろ!といったような色黒男の虚栄心が手に取るように分かった。が、残念ながら今、色黒男がスカウトマンだと思って話しかけている男は、スカウトマンでもなんでもないただの腐れ大学生である。そう考えるとお腹の底からこそばゆいような、どこか意地悪な感情が込み上げてきて笑いそうになった。
 色黒男の虚栄心は留まることを知らず、ついにはマウンド上にいる自分のチームのエースピッチャーに対して声をかけ始めた。
 「おーい!いつも通りの感じで思いっきり投げろー!いけるいける!」
ピッチャーは明らかにこちらに気を取られている。色黒男がこちらを向いて、言ってやりましたよ感を出してくるのが絶妙に不快だが、それ以上に滑稽であった。が、ピッチャーにとってその掛け声は邪魔以外の何ものでもなかったらしく、そのピッチャーは変にこちらに気を取られて途端に調子を狂わせてしまった。色黒男に気を取られたというよりも、色黒男の無遠慮な掛け声の結果、その男の隣にいる恐らくスカウトマンであると思われる私に意識が向いてしまい、スカウトマンの前で良いところを見せたいという欲が出てしまったために調子を狂わせてしまったのである。先ほどまでテンポ良くストライクカウントを重ねていたのにも関わらず、ピッチャーの投げたボールはことごとくキャッチャーが構えた場所から大きく外れて、ファーボールとデッドボールの山を築いた。また、私の存在を過剰に意識した結果、守備の乱れも発生し、セカンドがなんでもないゴロをトンネルしたかと思うと、今度はショートが一塁送球を大暴投、挙句の果てにキャッチャーまでもがパスボールを連発した。その結果、5失点して、ピッチャー交代となり、代わりに背番号10のピッチャーがマウンドに上がった。それを見て色黒男は急に不機嫌になり、私に向かって今度は小声で話しかけてきた。
 「今エースに代わってマウンドに上がった選手は2番手投手なんですけどね、ここだけの話、エースと比べたら大分格は落ちますね。監督さんは、コントロールが良いからなんて言って、やたらマウンドにあげようとするんですけどね、球のキレがないから意味ないんですよね。まあ、言っちゃ悪いですけど監督のお気に入りってやつですよ。最近はピッチャーも分業制の時代だとか言ってね、1試合でピッチャーを何人も交代とさせますけど、そんなの才能ないピッチャーしかいないチームの苦渋の策であってね、絶対的なエースがいるチームにはかえって損しかないわけですよ」
 これを聞いたとき、私は色黒男が先ほどまでマウンドに立っていたエースピッチャーの父親であろうことが分かった。色黒男は自分の息子がマウンドからおろされたことがどうしても納得がいかないらしい。
 が、色黒男の期待とは裏腹に背番号10のピッチャーは持ち前のコントロールと緩急を駆使して相手バッターをテンポ良く打ち取り、その後最終回まで1点も許すことなく試合を終えた。結果は、エースピッチャーによるワイルドピッチで奪われた5点目が決勝点となり、4-5で敗北した。色黒男が虚栄心を発動させ無意味な掛け声をしたことにより守備に乱れが生じた結果、大量失点してしまったことが敗因だった。私は試合が終了すると同時にそそくさと自転車にまたがり野球場を後にした。駐輪場に向かう最中、すれ違う保護者たちが私の顔色を伺っているようでとても気持ちが良かった。
 野球場から離れ、しばらくしたところで再びこそばゆいような意地悪な気持ちが腹の底から胸に湧き上がってきて、今度は笑いが耐えられなくなった。そして小さな声でつぶやいた。
 そうだそうだ、私は何も嘘などついていない。だって自分はスカウトマンだなんて一言も言ってないのだから。色黒男や選手たちが勝手に勘違いしただけなんだから。そうだそうだ、私は何も悪くない。あいつらみんな馬鹿なんだ。俺がスカウトマンだと勝手に信じて、勝手に自滅してやがらあ。あはは、あいつらみんな馬鹿なんだ!あはは、あはは!
 私は声を出して笑った。西日がやけに眩しかった。

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