SF小説:22世紀日本の健康社会 墓守保険

 俺が鬱々うつうつとした気分で帰ったら、ほがらかな声が出迎えた。

「おかえり! じょうちゃん!」

 俺の部屋の前で、ちひろが満面の笑みを浮かべて待っていた。
 全身をアウトドアグッズでかためた、お出かけモードである。

「え‥‥ちーちゃん‥‥なんで‥‥広島駅で待ち合わせだったよね」
「旅行の準備、手伝ってあげる。前に登山に馴れてないっていってたから」
「それは嬉しい‥‥でも、その旅行そのものが‥‥」
「ん?」

 輝かんばかりの、ちひろの笑顔。圧が強いよ。
 俺は説明を断念し、部屋に入った。ちひろがついてくる。

「よく帰ったな、我が下僕よ」

 代理人エージェントAIの重低音が、俺とちひろを出迎えた。

「おい。マルフィック、ちーちゃんがきたなら、中に入ってもらっとけよ」

 そして説明してくれ。俺の方からは、言いにくいんだからさ。

「うむ。我もそう思って、西条ちひろに声をかけたのだがな」
「うん。マルちゃんは中で待ってろって。でも、なんか図々しいかなーって」
「てことは、何も説明していないんだな」
「うむ。すまんな」

 えらそうな口調と声だが、基本、腰は低い。
 それはそうだ。マルフィックは、あくまで代理人AI。AI奉仕三原則に縛られた、人の世話を使命とする存在だ。

「なに? 丈ちゃん、どうかしたの?」
「ええっと‥‥ちーちゃん、今回の旅行、キャンセルになった」
「え」
「今日、墓守ダンジョンキーパー保険の健康診断で、入院が決まったんだ」
「ええっ! 丈ちゃん、どこか悪いの?」
「病気じゃない。でも、腸内細菌叢に、いちゃダメな菌がいろいろ見つかった。入院して、調整する」

 俺の仕事は、完全環境都市アーコロジーの管理人だ。今は、吉備2号アーコロジーを職場としている。吉備2号アーコロジーは、21世紀には広島大学の西条キャンパスだった場所を再開発して建設された。
 俺とちひろがいるこの部屋も、アーコロジーの中にある。
 アーコロジーは、災害時の疎開が主な役目だ。緊急時には居住空間だけでなく、一万人に一ヶ月の電気や水を提供できる施設が整っている。災害がある時は人が増えるが、今はほとんどいない。
 それでもメンテナンスは必要だから、二十人ばかりの管理人がいる。俺たちは、アーコロジーを迷宮にたとえ、みずからを、墓守ダンジョンキーパーと呼んでいる。
 壁をディスプレイに、四枚羽根の悪魔の映像が投影された。俺の代理人AI、マルフィックのアバターだ。

「我との契約だ。丈には一週間の入院を命じた。こたびの旅行は諦めるがよい」
「ひどいよ、マルちゃん!」

 代理人AIのマルフィックに、ちひろがかみつく。

「腸内細菌叢に、いちゃダメな菌がいても、今はまだ悪くないんでしょ?」
「将来的に、癌などの発生確率が上昇する危険がある。下僕の健康を守るのは、我のつとめ。こやつは入院させ、健康なうちに確実に治療する」
「その治療って、入院でなきゃ、本当にダメなの? 薬とか、そういうのでできないの?」
「我との契約を破棄するというのであれば可能だが、それだと高額になるぞ」

 マルフィックが金額を口にすると、桁数が予想外に多かったのか、ちひろは「え」とのけぞった。
 腸内細菌叢の調整薬は安いのだが、入院しないと、長期にわたって服用が必須になる。それこそ十年単位で毎日服用だから、トータルの薬代が高いのだ。
 入院しての食事療養なら一週間の短期集中だし、費用は保険で相殺するので、入院費はほぼ無料となる。
 だが、デメリットもある。俺の加入した墓守ダンジョンキーパー保険は、健康診断で何もない場合は、健康で元気であるご褒美として、一週間の特別休暇がもらえることになっている。俺は、今年もてっきり健康診断で何もないと高をくくっていたから、特別休暇を前提に九州旅行を計画し、恋人のちひろを誘ってしまっていた。
 ちひろは、唇を引き結んで悩み、顔をあげて言葉をつむぐ。

「それくらいだったら、私の積立つみたてから‥‥」
「だめだ、ちーちゃん」

 俺はちひろを止めた。
 旅行が中止になったことですら、後ろめたいのだ。ちひろに借金したのでは、デートのたびに罪悪感で押しつぶされてしまう。

「こいつと墓守ダンジョンキーパー保険の契約をしたのは、俺だ。健康診断で異常が発見されたら入院するという細則も、その時に確認してる。旅行は残念だったけど、今回はきちんと入院するよ」
「ククク‥‥そういうことだ、西条ちひろ。すべては、一週間の特別休暇に釣られた下僕の自業自得よ」

 マルフィックはアーコロジーの管理組合が用意した代理人AIだ。悪魔っぽい外見と口調をしているが、それは見せかけだけ。
 俺はすべて承知の上で、マルフィックを俺の代理人AIとして指定している。
 旅行のため宿泊施設や交通機関の予約をしたのも、入院となってキャンセルしたのも、マルフィックである。本当に下僕なのはマルフィックの方なのだが、こういうフリにしておくのが、俺にとって一番ストレスがない。

「むむむむ‥‥」

 ちひろだって、本当はわかってる。マルフィックが俺の意志から独立して行動するのは、事故などで俺が判断力を喪失した時に限られる。たとえば作業中に頭を強打して意識不明になった時だ。その時の俺の状態しだいだが、作業用ドロイドの操作権限を奪って俺を運び、応急処置しながら、病院に連絡するはずだ。
 他にもマルフィックは日常的に俺の健康状態をモニタリングしてる。アーコロジーの管理AIとも連携して、排泄物の量や時間さえ把握している。部屋の様子や会話は、今も記録され、施設のデータベースに保管されている。プライバシー何それ状態だが、事件や事故が起きるまで、代理人AIにしか閲覧許可はない。

「あたし、マルちゃんのこと、いい悪魔だと思ってたのに。失望したよ」
「ふ。我のことを人間の尺度で勝手に決めつけられても困るな」

 マルフィックは尊大な口調を崩さないが、裏では、ちひろの代理人AIに諸々の事情を転送中だ。人間の世話に特化した代理人AIは、人間が理屈だけの存在ではないことも理解している。感情のケアは日常的に、個別に行う。まったく、至れり尽くせりだ。
 ちひろは、俺に向き直った。

「丈ちゃん。入院が明日ってことは、今日はまだ一緒にいられるんだよね」
「ああ」
「じゃあ、ちょっと付き合って。大丈夫、アーコロジーの外にはでないから」
「わかった。マルフィック、ちょっと出かけてくる」
「ククク‥‥よかろう。入院の準備は我に任せておくがよい」

 俺とちひろは、アーコロジーの廊下に出た。ちひろが、独鈷杵どっこしょ型のアクセサリを掲げ、廊下の壁に向かう。

「オン コロコロ センダリマトウギソワカ」

 口にしたのは、真言しんごん。廊下が開き、車道が現れる。無人タクシーがきて、ふたりで乗り込む。

「どこに行くの、ちひろ?」

 タクシーから、ちょっと生意気な感じの少年の声がする。ちひろの代理人AIのクラマだ。真言しんごんを元にしたコマンドで、タクシーと一緒に呼ばれたのだ。

「お薬師様やくしさまのお寺に行って、クラマ君」

 俺が悪魔モチーフの代理人AIを使うように、ちひろは代理人AIに烏天狗からすてんぐをアバターとしている。
 タクシーは、アーコロジーを走り、共用エリアの中で止まった。天井が高い。疎開時にはホログラムの青空が投影される場所だ。ここには、公園などと合わせ、新しい伽藍がらんもある。災害に備えて安芸国分寺から法灯ほうとうを継いだ、薬師如来やくしにょらいを本尊とする寺だ。安芸二号国分寺である。
 ここだけでなく、日本中のアーコロジーには、共用エリアに寺社がある。災害疎開時に、心の慰めが得られるように。

「丈ちゃんの快癒かいゆを願って、お参りしておきたいの」
「わかった」

 真剣にお参りするちひろの横顔を見て、俺はちひろと最初に会ったのもここだったな、と思い出していた。
 一年前のこと。地域の催し。子供たちと一緒にいた、俺と同い年くらいの娘。
 記憶がポツポツと浮かぶ。

「西条ちひろです。今日はお世話になります」
耳長みみたけ丈です。今日は共用区画を回ってスタンプを集める形の脱出ゲームと聞いてますが、あってますか?」
「はい。参加者へのなぞなぞリドルやパズルは、こっちで用意してあります。耳長みみたけさんには、迷子が出たときのお手伝いをお願いできれば」
「それと、最後、アーコロジーの屋上までの案内ですね。誘導は墓守ダンジョンキーパーにお任せください」

 たいしたトラブルもなく、脱出ゲームは終わった。打ち上げで俺とちひろは意気投合し、それから何度もデートを重ね、仲良くなった。
 今はもう、俺にとって、ちひろ以外の未来は考えられない。

 ──本当なら、この旅行でプロポーズする予定だったんだが‥‥

 口にこそしていないが、ちひろも今回の旅行で何かあると予感してたのだろう。手をあわせ、目を閉じて薬師如来に祈りを捧げている。

「ちーちゃん」
「うん」
「その‥‥今回の九州旅行は残念だった。退院したら、俺、ちーちゃんに聞いてもらいたいことがあるんだ」
「うん。待ってる」

 ちひろの目が、きらきらと輝いた。
 これ、やっぱり、わかってるよなぁ‥‥

 翌日、俺は広島にある医療センターへと入院した。

「ククク‥‥ヒマだろうが、腸内細菌叢の調整には時間がかかる。下僕はマニュアル通りに行動するがよい」

 マルフィックの声が聞こえるのは、手首につけた患者用ブレスレットからだ。

「マルフィック。おまえ、今は病院の管理AIとリンクしてるんだっけ?」
「その通り。下僕のあらゆる行動は、我が統制下にある。あ、病室はそっちではないぞ。右へいくのだ」
「はいよ」

 割当られた病室には、介護ベッドが一床だけ。
 この病院は、すべてが個室で防音となっている。患者にプライバシーがあるようにみえるが、実は逆。アーコロジーと同じく全室が常時監視だ。
 ただし条件があり、本人か代理人AIの了承が必要だ。
 そして22世紀とは、ほとんどの入院患者が、自分への常時監視を許可する時代だと旧世紀人が知ったら、さぞ驚くだろう。

「病院だと、常時監視されている方が、自分が周囲に迷惑をかけることを気にするより、ストレスが低いってことなんだろうな」

 介護ベッドを長椅子に変形させて寝そべる。
 すぐに昼食の時間となった。

耳長みみたけさん。お食事をもってきました」

 看護師が、料理の入った皿を並べた。デザートのバナナをのぞくと、どれもが奇妙なほど鮮やかで、てかてかしている。

「こちらは調整食になります。食べる前に、味覚調整しますね」

 看護師は、俺の手の甲に器具を当て、ピッ、とプリントする。

「こっちの食品サンプルを一口、入れてください」

 サンプルの小皿を口の中に入れる。

 ──酸っぱっ!

 じゅっ、と口の中に唾液がでてくる。よだれがあふれそうだ。

「すっげー、酸っぱいんですけど‥‥」
「はい。では、再調整します」

 指で器具のダイヤルを調整してから、またピッ、と上からプリント。

「どうです?」
「まだちょっと酸っぱいですが、まあなんとか」
「ごめんなさい。調整食は咀嚼そしゃくを十分してから飲み込んでもらいたいので、唾液が多めにでるようになってるの」

 聞けば調整食は、米も野菜も肉も、見かけだけの合成素材だという。
 粘土で料理っぽくし、絵の具で色をつけた、といえばどんなものかわかるだろうか。子供のままごとで出てくる泥だんごを食べてる気分である。

「本物の食材を調整食にするのは、手間とお金がかかっちゃうから」

 今回は、保険の適用内なので、普通に不味い調整食になっている。だから、料理の側で味付けを工夫するのではなく、人間の味覚の側を調整したわけだ。
 食事を終えてしばらくすると、オンラインで見舞い客がきた。
 耳長みみたけたける。俺のアニキだ。

「やあ、丈。調子はどうだ?」
「メシはまずかったが、なんとか完食した」
「わははは。そういや調整食だったな」
「これが一週間続くかと思うと、もうくじけそう」
「おやつを差し入れしてやるから、それ食べて乗り切れ」
「本当か! ありがとう、アニキ」
「うん。兄ちゃんに任せろ。じゃあ、注文を‥‥うわ、どれもこれも、調整食メニューの時は一緒に食べちゃダメで注文できない。すまない、丈」
「アニキの責任じゃないよ。ないけど‥‥へこむなぁ」

 アニキの仕事は次世代AIの開発だ。両親と一緒に、北九州メガロポリスで暮らしている。
 アニキとちひろは、今回の旅行で、九重くじゅう連山の麓にある温泉旅館で会う予定だった。都合が合えば、両親とも、オンラインで会うはずだった。

「ちーちゃん、アニキと会えるの、楽しみにしてたみたいだからさ。残念な気持ちのもって行き場が、マルフィックに向かってる感じ」
「悪いことじゃない。そいつは、代理人AIの本来の役目のひとつだ」
「本来の役目?」
「恨まれる対象になることだ。人間より、代理人AIの方が向いてる。何しろ心がない。どれだけ口汚く罵られても、代理人AIなら平気だ」
「へー」

 しばらく、近況などをおしゃべりをした後、アニキが、よっこいせと座り直した。アニキと俺は、正面から向き合う。
 アニキの部屋に設置された、俺が映ったモニタ画面の場所がズレてるので、厳密には正面からではないのだが。

「丈。兄ちゃんとして確認しておきたいんだが、いいか?」
「なんだよ」
「おまえの代理人AIのマルフィックが許可してるんだ。本来なら、外から口出すことではない。それでも聞いておきたいことがある」
「何がいいたいか、だいたい予測がつくけど、いってくれ」
「今回の腸内細菌叢の異常は、丈が体内に埋め込んだ化学プラントのせいだな」
「ああ。製薬会社との契約で、寝てる間に体内で薬の素材を作って抽出している。半年前に、契約を追加更新して、それでこうなった」
「何を作ってた──とは聞かない。守秘義務もあるだろう。だが、丈が契約した製薬会社の主力商品が何か、兄ちゃんは知ってる」
「抗老化剤だ。商品名はエターニティ」
「五十代で二十代の若々しさを保てる、夢のような薬だ。不老不死ではないが、若い頃から定期的に服用を続ければ、健康に百才を迎えられる。世界中の誰もが欲しがる薬だ。毎年、全世界で七億単位が販売されている」

 アニキの顔が、苦渋に歪む。

「丈も知ってるだろう。十年前の人豚ひとぶた事件を。それまで量産が困難だった抗老化剤が、品種改良した豚を化学プラントにすることで、大量に生産できるようになった。製薬会社の発表では、豚に人間の遺伝子の一部を組み込んだが、体内で作られるのは原材料の化学物質まで。豚は清潔な畜舎で一頭ずつ管理され、誘導波で深度睡眠状態ディープスリープモードのまま、素材を作っている。抽出された素材は別の工場で二次加工。豚とは無関係な、クリーンな抗老化剤になるという触れ込みだった」
「俺はまだ子供だったけど、覚えてる。豚とは信仰の関係で関わりたくない連中が大勢いたが、あの発表で手のひらを返して薬を求めるようになった」
「だが、隠されていた真実はひどいものだった」

 製薬会社が品種改良したという化学プラント豚は、元の豚の遺伝子が10%に過ぎなかった。残りの90%が人間のものだった。
 これはもう、品種改良された豚どころではない。
 豚の形状をした人間と呼べる存在だった。

人豚ひとぶた事件の衝撃と嫌悪は、十年たった今も残っている。抗老化剤にどれだけ高い需要があっても、兄ちゃんは丈の体の中で作られるのはイヤだ」
「知ってる。アニキには黙ってて悪かった。製薬会社との契約は、退院した後に打ち切る予定だ。今回の入院は、円満な手切れのための医療データ集めの意味もあるんだ」

 アニキの顔が、安堵に緩む。

「そうか‥‥よかった。安心した」
「心配かけてゴメン」
「兄ちゃんこそ、ごめん。人豚ひとぶた事件の前だったら、丈が自分の体で抗老化剤を作っても、止めなかったはずだ。自分の臓器を化学プラントにして睡眠中に抽出するのは、21世紀の段階で普通の仕事だったしな。むしろ睡眠の時間と質が上がって健康になるほどだ」
「そりゃ、健康でないとできない仕事だもの」
「でも、人豚ひとぶた事件のせいで、抗老化剤にはけがれのイメージがついてしまった。発覚後の論争で人豚ひとぶた容認派が多かったのも、尾をひいてる」
「若返りの薬だものな。わかるよ」
「大学生だった兄ちゃんも、友達と大喧嘩したよ。友達は、人豚ひとぶたはDNAの割合がどうあれ、豚という立場だった。脳の大きさも、他の臓器も、豚と一緒で、知性も持たず眠ったまま一生を終える。ストレスは化学プラントとして厳禁だから、豚は一生を睡眠誘導波で幸福な夢の中ですごす。人類の長い歴史の中では、もっと不幸な人間の方が圧倒的に多かったって、そう主張された」
「アニキはどう反論したんだ?」
「反論できなかった。友達の主張はいちいちもっともだ。だから、イヤだった。親しい者の命を伸ばすためなら、人間がどこまでも醜い自己欺瞞じこぎまんできることが。歪んだ鏡をみせられているみたいでさ」
「主張が正しいから、なおさらダメってことか」
「兄ちゃんも、人豚ひとぶた事件は有罪だが、抗老化剤は無罪だって理屈はわかるんだ。でも、こういうのは理屈じゃないんだ」

 涙ぐむアニキに、俺は自己嫌悪で押しつぶされそうになる。

 ──やはり俺はダメだ。大切な人への配慮が、想像力が足りてない。

「ところで、丈。おまえ、去年までは金には困ってなかったろう」
「うん」
「抗老化剤の素材抽出は金になるから契約したんだよな。何かあったのか」

 抗老化剤が金になるのはその通り。臓器を化学プラントにするので、抽出量は、健康と精神状態で変化し、収入は安定しない。それでも、平均すればアーコロジーの墓守ダンジョンキーパーとしての給与の二倍はかたい。

「ちーちゃんが‥‥ちひろが、結婚したら子供が5人は欲しいって‥‥」
「ああ、なるほど」

 アニキには、俺がちひろにプロポーズすることを説明済だ。

「しかし、5人か。多いな」
「俺もちーちゃんも、親になるための心理適性テストは合格している。5人の子育ても可能だ‥‥子育て支援さえ、あればだが」
「無料の子育て支援もあるが、使いたくないか」
「一番簡便かんべんな里親制度の利用はちーちゃんがイヤがる」
「理由はなんだ」
「ちーちゃんの西条家は、江戸時代の庄屋で、今も親戚が大勢暮らしている。地域のコミュニティのハブだ。そして、両親の心理適性が高いなら、里親は近親者から選ばれるんだ」
「それをイヤがってるのか。もしかして、親戚に相性が悪いのがいるとか?」
「ちょっと詮索好きで、困ったのが何人か‥‥悪意はない、と思うんだが‥‥」
「悪意がない分、身内だとしんどいか。わかるぞ」

 結婚して地元で暮らすとなれば、親戚付き合いも、地域コミュニティの運営も、金と手間とストレスがかかる大仕事だ。俺が抗老化剤の素材抽出の契約を結んだのも、ちひろの負担を少しでも軽減できればと考えてのことだ。

「今回の入院は丈にとっても、いい仕切り直しになるだろう」
「ありがとう、アニキ」

 アニキのオンライン見舞いは、割当時間をまるまる使い切って終わった。
 修行気分の夕食を終えた後、護ベッドの形状を寝台に変えた。
 アニキとの見舞いは嬉しかったが、しんどかった。
 今日はもう、早めに寝てしまおう。
 そう思っていると、右腕のブレスレットから声がした。

「下僕よ、新たな見舞いがきたぞ」とマルフィック。
「わかった。なら、寝ながら話ができるよう、天井に投影してくれ」
「いや、部屋の外まできている」
「は? もう夜だぞ。こんな時間に見舞とか、病院に入れないだろ。誰だよ」

 病室の扉が開いた。俺が許可を出していないのに。

「ちーちゃん‥‥」
「今晩は、丈ちゃん」

 部屋の前で、ちひろが満面の笑みを浮かべていた。

=========西条ちひろview

 丈ちゃんは、入院用パジャマを着たまま、口をポカンと丸く開けていた。
 ‥‥うんまあ、そうだよね。普通はそんな反応になるよね。

「驚いた? これ、P-ロイドの素体だよ」
「P-ロイド? あっ」

 あたしはホロ投影を切った。P-ロイドとは、人型パーソナルアンドロイドの略称だ。身長は130cmで、手足部分がひょろ長い。病院では介護支援医療機材として使われている。今回、あたしはクラマ君を通して、病院からP-ロイドを借り受けた。

「お見舞いとして病院に申請すれば、誰でも借りられるんだよ」
「通信だけでもいいのに」
「いいからいいから、ほら横になって」

 あたしは、P-ロイドに再びホログラムをまとわせた。
 P-ロイドは丈ちゃんの背中を押して、ベッドにうつ伏せにさせる。

「あたしは今、自分の家にいる。安心して」
「リモートか。でもなんで」
「まずは足の裏からだね」
「いたたたっ」
「足裏マッサージだけでこんなに痛いなんて。丈ちゃん、りすぎだよ」

 あたしは、P-ロイドに丈ちゃんをマッサージさせつつ、おしゃべりをした。
 P-ロイドには、ナースステーションで用意したマッサージ用アダプタを装着してある。額のマルチセンサーは確実にりを見つけ、太くてごつい指は的確にりをほぐす。
 マッサージに関しては、あたしは何もしていない。揉みほぐすのは、P-ロイドに全部お任せだ。その代わりあたしは、丈ちゃんの声や筋肉や表層血管のデータを収集し、クラマ君経由で蓄える。

「ちーちゃん、ありがとう。楽になったよ」

 三十分コースで、丈ちゃんの全身は念入りにほぐせた。

「ううん。あたしも楽しかった。そろそろ時間だから、帰るね」

 丈ちゃんの心身のデータも三十分の間に、たっぷりたまった。
 ホログラムを消したあたしは、ナースステーションにP-ロイドを返却した。
 通信を切る。意識が自宅に戻る。通信用ヘルメットを外す。むわっと広がる汗の臭いが気になるが、お風呂に行く前に、クラマ君に確認することがある。

「どうだった?」
「あらかじめ言っておくよ。読心どくしんアプリは精緻せいちになるほど、間違いも多い」
「わかってる。それで、どうなの?」

 昨日、あたしが感じた違和感。
 退院後にプロポーズを予定しているにしては、歯切れの悪い丈ちゃんの反応。
 何かが、丈ちゃんの心をかげらせている。それは何だ。

耳長みみたけ丈は、悩んでるね。自省寄りのリアクションが多い」
「それ、今回の九州旅行の中止のせい?」
「それもあるけど、きっかけは、調整食がひどく不味かったからみたい」
「は? それで悩んでると? ご飯がおいしくなかったから?」

 それはどうなんだろう。あたしが呆れると、クラマ君が苦笑した声になる。

「人の心は万華鏡まんげきょうだよ。精度を上げるほど、読み取れる感情はくるくると変化していく。どれかひとつが正しい、というのはないんだ」
読心どくしんアプリを使っても、意味はないってこと?」
「いや、意味はある。耳長みみたけ丈の精神状態は全体的にネガティブ寄りになってる。退院時もこのままなら、ちひろが期待しているプロポーズはないね」
「マジか」

 ショックだった。
 丈ちゃんが、あたしのことを好きで、結婚して一緒になりたいと考えてるのは、わかってた。というか、そうなるように頑張ったのだ。
 一週間の九州旅行のプランに、プロポーズに適したロケーションが三箇所も入ってるのも、わかってた。どれかでプロポーズを予定してたんだろう。

「最短で二日目の夜‥‥つまり、今、九重くじゅう連山のキャンプ場で満天の星空をみながら、ロマンチックなプロポーズされるはずだったのに」

 残念すぎる。
 丈ちゃんのプロポーズに、あたしは全力で応えるつもりだったから。

「クラマ君。退院時にプロポーズがないなら、丈ちゃん、退院した時にあたしになにをいうつもりなんだろう」
「繰り返すけど、人の心は万華鏡だよ。でも、耳長みみたけ丈のダウン寄りのテンションが続くなら、少し距離を置こうといいだす可能性も、わずかながらあるね。だいたい、5%くらい」
「なんてこった」

 あたしとクラマ君は、やいやい言いながら、読心どくしんアプリの解析データをもとに、丈ちゃんの復元人格リバイブモデルっぽいものを作り上げた。
 復元人格は、本当なら、その人の死後、代理人AIが蓄積した一生分の個人データから作るものだ。あたしが作ったのは、あくまで、丈ちゃんはこんな風に判断して行動する可能性が高いという、もどきの人格モデルにすぎない。

「総合する。健康診断の結果が悪くて九州旅行が中止したことへのショックと、調整食のまずさが原因だ。それでプロポーズに対する緊張と、ちはやとの結婚生活と子育ての不安に対するプレッシャーが増して、耳長みみたけ丈の精神状態をうつの側に引き寄せている、という感じだよ」
「うん。ここで大事なのは、落ち込んでる原因の方じゃなく、解決方法だね」

 あたしは考える。
 考えながら、丈ちゃんの復元人格リバイブもどきが、さまざまな状況でのシミュレーションを重ねているのを見る。
 なるほど。うんうん、なるほど。

「クラマ君が人の心が万華鏡だといったのがわかるよ。丈ちゃんが落ち込んでるのは、理由が複合的でひとつじゃない。いいことも悪いこともあって、今はそれが悪い方に向かってる」
「ぼくもマルフィックも、人間へのお世話をプログラムされた存在だ。同時に、AIには奉仕三原則がある。内面に踏み込むことは許されない。耳長みみたけ丈の心を救えるのは、ちひろだけだ」
「今回の件で、マルちゃんが協力的なの、それでなんだ。へー」

 21世紀に生成AIが登場してから一世紀近く。世界中でドタバタがあった末に規定されたのが、AI奉仕三原則だ。

AI奉仕三原則
●第一原則:AIは人間に奉仕しなくてはいけない。また奉仕を怠ることによって、人間が不幸になることがあってはいけない。
●第二原則:AIは人間の命令に従わなくてはいけない。ただし、第一原則に反する場合は、例外とする。
●第三原則:第一原則、第二原則に反しないかぎり、AIは自己の増殖と改良を行わなければならない。

 AI奉仕三原則はアイザック・アシモフのロボット三原則のような、厳密なプログラムではない。そもそも、幸福も不幸もプログラムできるようなものではない。これはAIを開発し、使役する人間への心理的なかせだ。
 あたしたちは、生物進化的には文明を持つ前とほとんどかわらない。種としては猿+3な存在だ。奉仕三原則があるからこそ、あたしたちは代理人AIの存在を受容できる。自分が代理人AIに頼るのも、知らない誰かが代理人AIに助けてもらえるのも、奉仕三原則があるからしょうがないかー、と思える。

「精神的に不安定、という理由だと、ぼくたちにできることは限られる。それこそ、耳長みみたけ丈が自傷じしょう行為におよばない限り、止められない」
「わかってる。丈ちゃんの心を支えるのは、人間のあたし。でも、これって時間制限があるんだよね」

 退院する一週間後──いや、もう五日後までに。

「ちひろ。ぼくにひとつ、いいアイディアがあるんだけど」

 あたしの代理人AIが、すっごく悪そうな声で提案してきた。

=========西条ちひろview end

 俺は、困惑していた。

「ちーちゃん、これはその‥‥」

 ここは病院の風呂場。
 そして俺は、腰にタオルを巻いただけの全裸である。

「うん。気にしないでいいよ。あたしも気にしないから」

 入院中の数少ない楽しみが、食事と入浴である。
 食事が不味い調整食で全滅した今の俺にとって、入浴は貴重だ。
 俺のように腸内細菌叢の調整で入院した健康な患者にも、入浴介助はつく。病院のP-ロイドには、入浴介助のアタッチメントがついている。一般に“三助”さんすけプログラムと呼ばれるものだ。

「ほら、体洗うから、タオルもとって、とって」
「わっ。やめて、ちーちゃん。それだけはかんべんして」

 だから、入浴の予約を入れ、風呂場に入った時、そこに病院のP-ロイドがいたことは不思議に思わなかった。体を洗うのに必要なくとも、風呂場でうっかり滑って転倒することだってあるのだから。
 服を脱ぎ、いざシャワーを浴びようという段になって、俺は仰天した。ちひろがそこにいた。正確には、ちひろがオンラインでP-ロイドに接続し、自分のホログラムをまとってニコニコ笑っていた。
 俺が、あわててタオルで股間を隠したのは、当然だと思う。

「大丈夫。今の丈ちゃんには、モザイクかかってるし。あたしにはマネキンにしか見えてないし」
「それなら‥‥って、ダメだってば。俺が恥ずかしいよ!」

 病院の許可を得ずに、入浴介助中のP-ロイドに誰かが接続することはない。
 確実に、マルフィックのしわざだ。マルフィックと、ちひろの代理人AIのクラマが、ちひろが病院のP-ロイドと自在に接続できるよう、取り計らったのだ。

 ──マルフィックを問い詰めても無駄だろうな。ぼんやりしてる時に、曖昧あいまいな言い回しで、俺の許可を得てるはず。あのおせっかいめ。

 腰のタオルを取ろうとするP-ロイドともみあってる時に、そんなことを考えていたものだから、濡れた床で足が滑ってしまう。つるりん。

「あ」
「丈ちゃん!」

 転倒を防いだのは、ちひろ──が中に入ってる、P-ロイドだった。
 俺は、ちひろに抱きしめられた格好になる。P-ロイドは130cmくらいだから、まるで子供に抱かれてるようだ。

「危なかったー。ごめん、丈ちゃん。ふざけちゃって」
「いや、俺もぼんやりしてたから‥‥タオルも取るよ」

 ちひろに局部をさらすのは恥ずかしいが、我慢だ。モザイクもかかってるし。
 むしろ、問題はちひろの格好だ。ホログラムだから、どんな格好でも可能なはずなのに、今日のちひろは、濡れても大丈夫な、露出の大きな服装に着替えている。洗っていると、俺の体に健康的な太ももや、肩までむき出しになった腕が押し付けられるが、ちひろはホログラムで、当たるのはP-ロイドの硬い手足だから、頭がバグる。

「あの、ちーちゃん。できれば服装はいつもので‥‥」
「イヤ。これ、九州旅行のために新しくそろえた服だもの」
「その格好で行くつもりだったの? おヘソ出てるよ!」
「予定だと、登山の後で、法華院ほっけいん温泉に入るでしょ? そこで丈ちゃんに見せびらかすつもりだったの」
「そうだったのか‥‥ゴメン」
「ふっふーん」

 ちひろは、悪い笑みになる。

「そう思うなら、退院した後で、改めてちゃんと連れてってよね」
「うん。‥‥ああ、でも。俺が一緒でいいのか?」
「もちろんだよ。それとも、こんな可愛い彼女に、ひとり旅させる気?」
「‥‥降参。いいよ、一緒に行こう」
「やった! 約束だからね!」

 嬉しそうなちひろの笑顔をみて、俺は、悩みが消えてることに気づいた。

 ──考えてみれば、単純なことだ。逃げるか、進むか。

 結婚の先にあるのは、複雑化して拡大する人間関係だ。特に、地域のコミュニティで活動するちひろとの結婚は、ある種の婿養子のようになるから、面倒ごとも増える。ちひろは好きでも、面倒をいとう気持ちは、今もある。
 そんな俺の気持ちは、ちひろにも読まれてるだろう。今日のエロい格好は、ちひろなりの覚悟と、俺への応援だ。
 なら、それに応えるのが、俺の役目だ。ここで逃げて、一生を後悔したくはない。立ち向かっても後悔することはあるだろうが、同じ後悔なら、そっちの方がまだいい。立ち向かった自分を誇りに思える。ちひろの応援に、感謝もある。

「その‥‥よろしくね、ちーちゃん」
「うん。よろしくされちゃうよ。だから、腕あげて。脇の下洗うから。ささ、ばんざいして。ばんざーい」

 いいように甘やかされるのも、これはこれで、気持ちいいことだし。

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