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待ちぼうけ

どのくらいなら待てるだろうか

時間は命だから
待たせることは
その人から時間を奪うことは
命を奪うことだみたいなことを読んだことがあるけど

そうだなとは思うけど
大げさじゃないかなって
タイパって話の延長線上なんだか知らないけど
宵待月とか
待ちぼうけとか
宵待草とか
待つに纏わる世界観が
ガラガラと価値をなくしてしまうやんかと

自分がルーズなのを棚に上げていうんだけど

その人を思いながら待つ時間の幸福というのは
絶滅危惧種なのかなあと思ってしまう

水ダウの説で人は何時間なら待てるかという企画があって
オードリーの春日さんが待てど暮らせど現れない待ち人を延々何時間でも待ち続けるので
企画のほうが春日さんに根負けして
待つのをやめない春日さんを待てなくなって
ネタばらししたことがあったけど

待つという行為と
時間の感覚やコスパを結び付けないんだろうなと
純粋に待つときは待つことしか考えていないから
それが5分だろうが3時間だろうが現れるまでただ待つだけなんだろうかと
イライラソワソワした風もなく淡々と待つ春日さんの姿に驚き以上の恐怖というか畏怖を感じたけど

私も一分一秒を争ってそれが相手へのリスペクトだとする価値観より

ハチ公のように
春日さんのように
ただひたすら待つ人でありたいと

そう思う

え?何時間待ったことがあるかって?

こちとら携帯なしでアオハルに人と待ち合わせしてきた昭和でい💢
学生の頃一緒にパリに出かけた友人と
それぞれの単独行動のあと5時にノートルダム寺院の正面ねって待ち合わせたり
エッフェル塔のスカートの下でパンツ見えるかなって見上げててねとか(これ映画ブリキの太鼓のワンシーンなんやけどね)
ざっくり待ち合わせて生きてきたんじゃきに!

1時間2時間会えないからって
ジタバタするかいな笑

まだ現れぬ人を待って
何かあったんやろと
ボサッと縁石に座ってセーヌの川面を眺める間に
学生ですか僕は数学科の学生ですって話かけられたり
そうやって出会っていくもの
無駄な時間の余白にしか現れ得ない陰影があるし

思い通りに行く人生なんかないと
誰も教えてくれないライフハックには
胡散臭いなと思ってしまう昭和なオバサンの日曜日に


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