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献杯

元旦に実家に帰った
おせち料理をご馳走になった
その中に母の友人が作ってくれた田作りもあった。

この10年くらいは実家の田作りは
その方のお裾分けだった

甘めのと
そうでないのと
二種類

田作りというとお正月だけのご家庭も多いと思うけど

うちの娘らが田作りが好物で
頂いたのもぺろりと食べてしまうんだと伝えると
あら、そんな風に食べてくれてウレシイワと
その次からは年中無休で作っては
実家に、娘さん宅用にともう一つ届けてくれるようになった。

トウモロコシの季節にはトウモロコシご飯を炊いて
グリーンピースが旬になると豆ご飯を炊いて
栗の季節は栗ご飯
お嬢さんにもと母に持たせてくれたそうだ
私も何度もご相伴に預かった

ご主人を早くに亡くされて
おひとりで暮らしておられて
お子さん二人は無事に巣立ってそれぞれ所帯を持っておられ

もしかしたら
嘗てのご自分に
シングルの私を重ねて応援してくれているのかなと
勝手にありがたく思っていた。

今年もお土産用の田作りもあって
大みそかに届けてくれたらしい。
遠慮なくいただいて帰宅した

そして正月三日
朝も早い時間に母から電話

あの田作りは、味わって食べてねとポツリ

ダイイングメッセージみたいに唐突だなあ
?どうしたの?

田作り作ってくれた木村さん、大みそかに亡くなっていたの

絶句

だから、お正月にみんなで田作り食べたときにも
もう木村さんはこの世にいなかったの。

突然のご病気
命は向こう側に
残された者たちは途方に暮れる
もしかしたらご本人だって
驚かれているかもしれない

何故
何故
何故

答えはない
魂もない

けれども田作りが
ここにある

その人の身体が無くなったとしても
作ったものは残るんだと
ものすごい実感で田作りが迫ってきて
涙がジワンとにじんでよく見えないけれど

田作りをアテにして
ひとり献杯することにした

田作りは一匹一匹の小魚たちの命の集合体で
この命もまた私たちは喰らって生きている
木村さんの作ってくれた田作りは
私たち家族の胃の腑に収まって
血肉となり熱量に代わっていく
やがて排泄され
皮膚が生まれ変わって
私の身体から田作りの痕跡が消えたとしても

毎年正月に田作りを食べたという記憶は消えないし
木村さんの作った豆ごはんの緑の鮮やかさも目に焼き付いているし
出来立ての餃子の生温かさも手に残っている

巡る命を惜しみながら
命が尽きるまでは
この身体で生ききる








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