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現在進行形の日々を

喉元過ぎぬうちに
さっきあったことを
さささっと書いても来たけど

それはフックで
連座制で砂浜に打ち上げられた記憶を
書いてきた

勿論ちょっとは長く生きてきたから
すべての記憶を書き切ることなんか
できやしないし
まあ思い出しながら忘れてってるし
その忘却のスピードのほうが
どうやら加速度的みたいだから
サルベージできるのは爪の垢くらいみたいだ

爪の垢と書いてふと思うのは
ああ引き合いに出すのも畏れ多い吉本隆明先生が
内臓の言葉という言い方をしていて
赤毛が身体感覚のある言葉
ハラワタ煮えくり返るとか
プッ生き返すとか
脳天かち割るとか
コメカミ脈打つとか
つま先を揃えるとか
その時の身体がどうしていたのかと一緒に書きたいと思うのと
通ずるところがあるかなあと思ったけど

なんのことはない
多分この本読んでる笑
えらく感銘を受けて内臓の言葉を自分なりに翻訳して
指くわえてみてるとか
お目々がドキンちゃんとか
書くようになったというネタバレで
おそらく本末が転倒してる苦笑

吉本隆明先生からの赤毛で
赤毛オリジナルじゃない

ああまた寄り道以上の脱線を

自分がどこで何に影響を受けているのか
引用なのか伝聞なのか
出典がわからなくなるけど
まあ自分で思いついたと思ったことでも
完全オリジナルなんてもうないしあったらそれはノーベル級で

あ個人的にはイグ・ノーベル賞のほうが好きだ
役に立たないってことを真剣に研究して
それを発表して公の場で大笑いしながら
且つ誇らしげに賞を恭しく頂戴するって
その無邪気さと真剣みが
胸を熱くするから

だめだ
今日は
てゆうか今日も飛び火が止まらない
捕まえようよすると
カエルみたいにジャンプして逃げるから

もういいや

こういう時は二段論法でいきなりの結論を

記憶を描くには
この2周目の日々のことは
まだ湿ってるというか
どこに行こうとしているのか
着地点はどこなのか
何を意味しているのか
半径がどのくらいの円を描こうとしているのかも
その最中にいるから
当の本人に皆目見当のつかないから

つまり
まだ書けない笑

自分の中では使用前使用後
BCとADくらい
くも膜下出血の前後で細胞が入れ替わっているので
そのあとの現在進行形の日々のことは
どういう風に書いてよいのか
まだ自分でもわからない

ただわかるのは必死だということと
遊んでるけど
こちとら遊びじゃねえんでって
大真面目だってこと
でも
はっきりした目的を持っていないということ

書くときにはたと指が止まりがちな今日この頃
赤毛の季節も物思う秋なのかしらん





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