清水寺02

「清水寺」の焼失について/阿加井秀樹

みなさんこんにちは。阿加井秀樹です。

先日清水寺の焼失について触れましたが、今回もそれについてお話していきたいと思います。

1165年に焼失したと前回お話しましたが、1146年にも僧兵が押し寄せて一部焼失していますし、1175年にもまた一部を焼失しています。1165年に焼失したとお話した経緯としては焼失したエリアが一番大きいからだとされています。1193年に鎌倉幕府に入ると境内や諸堂のほとんどが修復完了しています。しかし、1220年本堂および三重塔が再び焼失しています。これは火事という説が濃厚です。そして同じように1259年、1274年と立て続けに本堂が焼失しています。

焼失するたびに信仰している庶民や時の権力者によるサポートもあり再建されています。そして、1335年鎌倉幕府が滅亡した後すぐ義経紀では清水寺を舞台に義経と弁慶が決闘した記録も残っています。その後室町幕府が開かれると1349年、1406年、1469年と焼失が続きます。1469年の焼失は応仁の乱により清水寺は大炎上します。ですがそこから毎回のように再建がはじまり、1477年馬駐(うまどめ)が再建され1478年には仁王門が再建、1500年には子安塔が再建されます。

ここまで平安、鎌倉、室町と3つの時代をかなり短縮した形で進みましたが、まだ再建しきれていない塔などもあり戦国時代でそれがちゃんと再建されるのか期待ですね。

次回は戦国時代での焼失についてです。


それではまた。

阿加井秀樹

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