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桃花二葉二人会レポート

ホワイトデーはなかのZEROホールへ。落語が心を洗うのを期待して出かける。と思ったら有楽町朝日ホールだった。同行者に連絡したときに間違いに気づいたからよかったものの、会場を間違えるところだった。危なかった。なんとか無事正しい会場に辿り着いた。

さてホールに入るのだが、ふとチケットを見ると「ニ列」と書いてある。大抵はローマ数字かあいうえおかアルファベットで書かれるところ、このような表記は初めてで戸惑う。この場合、漢数字と片仮名の2つの可能性があり、かつ片仮名の場合はアイウエオの可能性とイロハの可能性がある。はてさてどれであろうかと行ってみたところ、催し物によってはステージが張り出している部分も今回は客席になっているようで、前方の何列かは可動の椅子が並べられていて、そのエリアだけがイロハニ…となっていた。つまりは前から4列目で、演者の肌艶から指先までとてもよく見えた。時には目が合ったような気がしてどきどきした。

ニ列

長者番頭

前座は春風亭貫いちによる一席。ある大店の番頭が、旦那から帳面が完璧すぎると言われ、お金がありすぎて困っているから千両使い切れと言われて千両箱とともに店から追い出される。番頭は節約ばかり頑張って生きてきたためどうやってお金を使い切ればよいか分からず、千両箱ごと川に投げ捨てる。しかし、様々な人が寄ってきてはお金を渡してきて、博打でも儲けてしまい、捨てた千両箱までも人の命を救ってお礼にお金をもらってしまう。困り果てているところで目が覚めて、仕事中に居眠りしていたことから旦那に本当に店を追い出されるという話。

お金がありすぎて困るという状況は誰もが憧れる。使い途を想像するだけでも夢が膨らむものだ。お金の使い方に困るというのはさすがに夢オチであることは想像がつくが、それでもどんどんお金が増えてしまう様子は可笑しかった。次の席で桃花さんが出てきて、「これは皆さん聞いたことのない演目だと思うが、速記本から落語に起こしたものなのだ」と明かしてくれた。前座の段階ではひたすら師匠から教わるものと思っていたら、そんなアカデミックなことをしていたとは。語りは淀みなく仕草も分かりやすくて面白かった。

宗論

次は蝶花楼桃花さんの一席。真言宗の親とキリシタンの息子のやりとりを描く。西洋かぶれの息子が父にキリストの教えを説くも、全く伝わらないという話。息子の語りがいちいち胡散臭い感じとか、ちょこちょこ挟まれる小ネタが可笑しい。しかし、この落語では滑稽に描かれているものの、親子間での宗教の違いは結構大きな問題だと思う。息子が帰ってくる前のシーンで父親に対して家の者が、女や博打に溺れているわけではないのだから大目に見てはどうかと進言していたが、「飲む・打つ・買う」に比べてマシかどうかは、ことによっては判断が難しいだろう。笑える一方で考えさせられる一席だった。

子は鎹

仲入り前は桂二葉さんのしっとりした一席。妻が夫に別れを告げるシーンから始まる。どうしようもない酒呑みの夫に見切りをつけて、6歳の息子のトラを連れてお花は出ていくことにした。夫の熊は大工なので、トラが成長したときにお父さんがどんな人だったから教えてやるためと言って、金槌を持っていくことにする。2年後、熊は松島新地の女と別れ、大工として懸命に働いていた。ある日通りを歩いていると子どもがぶつかってきた。その子どもが顔を上げて言うことには、お父さん?と。なんと熊は息子に再会したのだった。息子は8歳のませた男の子に成長していた。元妻の様子を聞くと、再婚はせずに繕い物で生計を立てていると分かる。熊は息子に小遣いをやり、明くる日にうなぎを食べさせてやることを約束した。家に帰ったトラは父にもらった小遣いを母に見つかってしまい、つい父に会ったこと、うなぎを奢ってもらうことを漏らしてしまう。翌日、トラは学校から帰ると洗いたての着物に着替えさせてもらい、うなぎ屋へ向かう。そわそわ落ち着かない母は自分もうなぎ屋へ向かう。久々に向き合った元夫婦は、あなたが許してくれるならまた昔のようにともに暮らしたいとお互いに告げる。

二葉さんは子どもを演じるなら天下一品だと思う。目つきから発声から何から子どもの特徴を捉えすぎていて本当にすごい。でも、その一方で男性も成り立っているし、女性は女性ですごく美しい。演じ分けが見事で、声や仕草はもちろんだけど目が全く違うので別人に見える。憑依しているとしか思えないほどの表現力で、物語に飲み込まれるような感覚を味わった。特に、お金を握って帰ってきた息子を見てついに盗みをさせてしまったかと、大切な金槌で息子を打とうとするシーンの、母の切実な様子が心にぐさりと刺さった。深い感動を味わったし、泣ける部分と滑稽な部分のバランスがよくて充実感が大きかった。単にハッピーエンドだからというだけではない多幸感があった。

二葉さんグッズのかわいすぎるらくだ靴下

がまの油

仲入りを挟み、再び二葉さんが出てくる。筑波山のガマの油売りはテレフォンショッピングのようで喋りのプロだと言って、その口上をやってみせる。思わずふおおと感心してしまうような流れるような台詞運びだ。見事に披露したのち、二葉さん自身の酒にまつわるエピソードで場を沸かすと、酔っ払いバージョンのガマの油売りの口上が始まる。ベロンベロンに酔っ払った演技が始まった途端に会場は大ウケで、その様子を見た二葉さんも思わずニヤリとしたように見えた。落語はある1つの成功エピソードが語られたあと、それを真似する馬鹿な奴が同じパターンでやろうとして失敗するというのが常套の流れだ。この一席も同じようなパターンだが、成功パターンである口上の再現のあとに、マクラのようなちょっとした話が挟まれ、最後にすこぶる面白い場面がくるというのが斬新な流れだなと思った。仲入り前の繊細な演技とはまた違って、より全身で表現する芸に感嘆した。

お見立て

トリは桃花さんである。マクラでは女性のモテ仕草として、胸の前で両手を合わせて左に首を傾けるというのを紹介していた。本編は吉原の話で、田舎者の上客を花魁の喜瀬川が拒否するというものだった。客を座敷に上げてしまった喜助は花魁に相手をするよう頼むが、花魁は病に臥せっていると言って帰らせろと指示する。喜助は言う通りにしたところ、客はならば見舞いをしたいと言う。そうなったら今度は、喜瀬川は自分が死んだことにすればよいと言う。喜助は花魁の言う通りに、客がこの2ヶ月顔を出さなかったから、焦がれ死をしたのだと嘘をつく。大層ショックを受けた客は、ならば墓参りをしたいと言う。近くの墓に埋葬したことにしてしまった喜助は、墓参りの案内を頼まれる。新しそうな墓を選び、花と線香を大量に用意して戒名が見えないようにして墓参りをさせようとするも、喜瀬川の墓ではないことがバレてしまう。間違えましたと言って取り繕おうとするが、墓はないのだからどうしようもない。一体本物の喜瀬川の墓はどれなんだと聞かれて、よろしいものをお見立てしますと、遊郭の客引き文句を告げるところで物語は終わる。

花魁が病気だと言ったり、死んだと言ったり、かなり無理がある説明なのに、鈍い田舎者の客は納得してしまう。いつバレて怒り出すかなとハラハラしながら聞いていたら結局最後まで怒らなかったが、オチのあとの展開があるならさすがに怒っているのだろう。面白いのは、桃花さんが演ると古典落語も新作落語に聞こえる。それくらい、現代人が聞いても違和感ないように、私たちの感覚に合わせて語ってくれているのだと思う。あと、マクラも効いていて、花魁が喜助にお願いするときに例のモテ仕草が出てくるわけだが、これが実に滑稽で、がさつに見せる演技がすごいと思った。同じことをやっていても少しの角度やスピードや表情の違いで印象が全く違ってくる。この場面だけではなく、ここぞというところで絶妙な見せ方をしているのが磨かれてきた芸なんだなと思う。

この日の演目

まとめ

全体を通してパワフルで魂のこもった芸に魅せられた。お客さんとのコミュニケーションもすごくあって、一緒に楽しんでいる感じがすごくある。表現を磨き続けている彼女たちの生き様に憧れる。そして、満腹なのにデザートが食べたくなるように、これだけ満足したのにすぐにまた観に行きたいと思わせられるから困ってしまう。眩しい姿を長く追いかけたいと思う。


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