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鹿狩りフラミニヤ

 一一九八年、ビスケ湾の中におさまるある島に、狩猟の苦手な領主がいた。高い鼻をもっていて、フラミニヤが昔聖堂のモザイク画でみた廷臣のように細身で長身で、しかしその頃からモザイク画の周辺をふちどる近東の民族美術に感化して飾られた不思議な文様の方に、惹かれるものがあったフラミニヤである。気まぐれに訪れた平和な一期間のことであったから、領主たるものは狩りに憂き身を窶すのが世のならいであったが、教会が狩猟を弾劾しているというのを口実にして、領主は無聊な日々を送っていた。領主はまだ若い領主であり、娶った妻であるフラミニヤはもっと若く、十二歳であった。領主の館は象牙の塔となり、そのくせ聖書の一節、武勲詩の一行、ウェルギリウスのなにであるのかも領主が知ることはないのであったから(フラミニヤもなにであるのか詳しくとは知ってはいなかったが)、稚い嫁がほとほと愛想を尽かしていたのは言うまでもない。なにをおいても退屈していたのである。

 領主は変梃な領主であり、騎馬を、馬乗衣を、狩猟用の角笛を万端用意して、夜が明けるのを待つ中年男の召使いさえ、約束を反故にされるうち不平顔を隠さないようになっていた。森に繰り出て狩りに出て、仕留めた獣を調理して食べることこそ、平和であることを意味していた。それがこの領主様ときたら、養魚池の魚さえ肥え太らせてしまう始末なんだ! おれたちをではなく、魚を太らせてなんになるっていうのかなあ! つまりフラミニヤは逸早くそれに気づいていたのだった。そして召使いたちが、次に身体をすっかりなまらせた猟犬が欠伸をし始めるころ、フラミニヤが自身の背丈よりも大きい銃身の猟銃をつかんで行動に替えようとしたため、今度はフラミニヤの乳母が現れて、それはもちろん著しい動揺性の反応とともにフラミニヤの前を立ち塞ぐ格好で現れた、ということであった――「御嬢様おやめください! 絹布が汚れてしまいます! 嗚呼、血筋ですねえ! 本当にそういう血筋なのですねえ!」、乳母はわんわんと騒ぐわりには(フラミニヤがなにか行動を起こすたびに「血筋」を持ち出すのが乳母の常套手段だった)、銃に怯えてただちに道を譲るしかなかった。そして半時間後に遠くから銃声が響くと悲鳴じみた吐息をつき、思わず十字を切ったのち、おろおろと涕涙しながらありったけの悲劇を空想した。

 フラミニヤもまた変梃な少女であった。ほっそりとしていて敏捷で、やや冷たい印象を与える社交態度はけれども礼節にみちていた。櫛の通った金髪は羽根のよう。かの神学者が「よく教えを聴くもの」の象徴とした当のものである、完璧なかたちの耳、蒼白い高貴な顔、それにいつも眠たげにしている瞼は唯一の瑕疵となりえたが、ひとたび眼を見開いて相手に愛想を振りまけば、焼き絵ガラスのように鮮やかな碧色の瞳をしていたのであったから、トルバドゥールの吟遊詩人たちがもしも彼女の御前に立ったなら、ただちに長編詩を、しかも彼らがこれまで歌ったことがないほどの長い詩を歌って聴かせてくれたに相違もなかったろう。

 夕刻になってドレスの絹布を血まみれにして...

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静かに本を読みたいとおもっており、家にネット環境はありません。が、このnoteについては今後も更新していく予定です。どうぞ宜しくお願いいたします。