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バ美肉おじさんから考えるボディイメージ

皆さんはバ美肉おじさんという概念をご存じでしょうか。

バ美肉とは、(バ)ーチャル世界で(美)少女の姿を受(肉)することの略語で、
おじさんが受肉した状態をバ美肉おじさんと呼びます。

「いやいや、そんなマイナーな概念しらんがな」と思うかもしれませんが、2020年時点でYouTube内にバ美肉おじさんは200名以上存在しているそうで、おそらく現在はもっと増えているのではないでしょうか。ちなみに僕の友人にも一人います。


で、そんなバ美肉おじさんですが、実際の振る舞いは変わらずおじさんなのかと言われるとそうでもないみたいで、結構女の子っぽい…というか人によってはボイスチェンジャーも使っているので、おじさんかどうか本人たちが「おじさんです」と言わない限り判断出来ない人たちがいっぱい居ます。

そして、こうした振る舞いはもちろん演技ではあるんですが、あたかも自分が本当に女の子であるかのように認識しているそうなんです。このことをプロテウス効果と呼ぶそうです。

もうちょっとまとめると、自分を表すキャラクターの見た目などが、そのユーザーの行動に影響を与えること、ですね。


先の例はオンライン上での話ですが、我々も同じ経験をしています。例えば、部屋着でいるときは少しダラっとしてしまいますが、スーツを着ると少しシャキッとしたりとか。

中身は変わっていないはずなのに、様相が変わると振る舞いが変わってしまうのは、自分の中のバイアスがそうしているのでしょう。「こういう人はこうするだろう」「この服を着るときにはシッカリとした自分になるぞ」みたいな。

つまり、自分の中のイメージが自分を形作っている、と言ってもいいのかもしれません。

そう考えると、twitter上で人気の「ねこに転生したおじさん」も実際に猫になったら自然とそういった振る舞いをするのかもしれないですね。


話を少し戻します。

では、今の自分のイメージはいかがでしょう?

今の自分はどんな姿形をしているでしょうか。鏡を見るなど、外部からの情報を頼りにせず、自分という身体のイメージはできるのでしょうか。

おそらく、多くの人ははっきりと輪郭がとれずぼんやりしたようだと感じるのではないかと思います。他人だと頭から足先まで見えるのでイメージがつきやすいですが、自分の身体は見えない部分が多くあります。背中は見えないし、顔も見えない。全体の50%程度しか視覚で自分を認識できません(これは僕の感覚です)。

なので視覚以外、主に触覚を頼りに自分を形成するしかありませんが、そもそもなぜ、自分の身体はここに「ある」のにわざわざ考える必要があるのでしょうか。


その疑問を一度横に置き、一つテストをしてみましょう。

立った状態で両腕を外側に開いて水平にします

ただそれだけです。しかし、目はつむった状態でやってみてください。目を開けたときに答えが自分でわかるように鏡の前でやってみてもいいかもしれません。


どうだったでしょうか。思った通りにいった人もいれば、ちょっと下がっていたり上がっていたりする人もいるかもしれません。

ちなみに上手くいった人ですが、目をつぶったらパッと水平にできたでしょうか。「水平はこれくらいだから…」と先に動きのイメージを十分に練って、そこに合わせていったのではないでしょうか。もしくはある程度動かしてから微調整したり…

普段の生活の中で我々はそこまでゆっくり動きを推考して行動しているのでしょうか。おそらく、何かしようと思ったときにはすぐ行動に移していると思います。なので、ゆっくり合わせられたとしても生活ではその速度だと間に合わなくなってしまいます。


……とまあ、少し意地悪な話をしてしまいました。すみません。

ズレることが決して悪いと言っているわけではありません。

しかし、”腕を動かす”という動き一つをとっても、もしズレていたとしたら、複雑な関節を組み合わせて動いている日常生活では、どれだけイメージからずれている行動をとっているのでしょうね。考えると恐ろしい話です。

あとよく聞く話で、「思ったように体が動かない」とか、「もう歳だからねえ」と言う方々がいますが、

そもそも”思ったこと”があるのでしょうか。
その歳になるまでの間、ただなんとなく無意識で動かしてはいないでしょうか。


話を少し戻しまして、プロテウス効果についてですが、見た目がユーザーの行動特性に影響を与えるという話でした。

また、自分の身体は半分近く見えないため、触覚を中心に身体のイメージを形成して自分というものを認識しているという話をしました(上の話でいう見た目≒身体イメージ)。

そして、我々は身体イメージが実際とずれている、もしくはイメージを持てていないかもしれないという話でした。

これらの話をつなげると、ズレている、もしくはない自分の身体イメージが与える行動への影響は測り知れないのではないでしょうか。

言い換えると、
「思ったよりも動けない、体のイメージがわかない」ことで、「消極的な行動をとる、無気力で何も動けなくなる」ことはあり得るのではないでしょうか。


もしこの仮説がそうだとして、なぜこうなるのかと考えると、この記事でずっと書いているように、自分の身体に耳を傾ける機会がないからなのではと考えます。もう少し深堀りして、なぜその機会がないのかと考えると、

生活環境にノイズが多いからと考えました。


ノイズ?

例えばですが、
・過密な仕事
・失敗の反芻
・人付き合い
・携帯デバイスからの情報
・強い刺激のマッサージ

など、外部からの大きな刺激にさらされて、自分という内部に起こっている小さな感覚に意識を向けるきっかけがなくなっているのではないか、というものです。


じゃあどうするんだ、となったときに、

ストレスの少ない山にこもって仙人にでもなればいい

という話ではありません。

できる人ならそれでもいいですが、我々は社会的な生物なので、ストレスがかかるかもしれませんが、人と関わり、色んなデバイスを用いて社会を生きることが前提条件ではないかと思います。

その条件をのんだうえで、”意識的に自分の身体に注意を向ける時間をつくる”。まずはこれではないかと思いました。

もちろん、いきなり四六時中自分の身体がどうなってこうなって、みたいなことができればいいのですが、今まで自分の身体のイメージがズレている、もしくはない人がそんなことは無茶でしょう。逆に生活がぶっ壊れます。

まずは、「自分の身体って床を通してどんな形になってるんだろう」と、5分でもいいから注意を向けるだけでいいキッカケになると思います。

そうしたら案外、

「床と体の間にスキマ多っ」

とびっくりするかもしれないし、

「なんかめっちゃ頭を床に押し付けてたわ」

と気づきを得るかもしれません。

そんな些細な気づきがあるだけでも、自分の身体のイメージが変わってくる、というより湧いてくると思うのです。その結果、何か動きが変わっていなくとも、イメージと実際のズレをなくすことができれば、何か行動に変化が出てくるのかもしれない……という可能性の話でした。



まとめ


プロテウス効果の説明としてバ美肉おじさんの例を出して、見た目から行動が変わりますよという話をしました。

そこから転じて、自分の身体のイメージがついていないと、行動もネガティブなもの、無気力なものにつながるのではないかという仮説を立てました(これは『身体化された認知』の話につながるのでまた別の話)。

その原因として、生活にあふれているノイズにより自分の身体に耳を傾ける機会を失ったからではないかと考え、まずはきっかけとして、床を通して自分の身体を感じてみることから始めてみることをおススメします。よりおススメは”ボディワーク”というジャンルの動きのレッスンを教わりにいく、ですね。


ウェブ上に200人以上存在するバ美肉おじさん。彼らは美少女に対するイメージがしっかりできているからこそ、あたかも自分が美少女であるかのように振る舞えているのでしょう。

なので我々もそれに倣い、自分の身体というイメージをしっかり再認識し、より楽しいと思える行動をとっていきたいものです。

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