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「教育」か?「採用」か?今の時点での考えをまとめてみます

西野さんのVoicyを聴いていて、「教育によってスタッフの能力を伸ばすことはできるが、優秀なスタッフを教育だけで作り出すことはできない」という配信がありました。私が今現在感じている事を言語化してみたいと思います。


◯やはり「採用」なのか

先日、このノートで採用に関する記事を書きましたが、やはり採用は非常に重要だと日々感じています。


この配信に大変共感しました。
例えば社員が同じ失敗を繰り返す場合について。私が社員の失敗をジャッジするのもおこがましい気もしますが、同じミスを何度も繰り返す社員がいるのも事実です。
ミスも色々あるけれど、仕事でそれを「ミス」という場合というのは、迷惑をかける相手がいるという事です。取引先、社内メンバー、事故などで相手がいる場合もあるし、保険会社が絡む事もあります。
失敗した際は「次は気をつけます」「二度としません」と言いますし始末書や反省文を書いてもらう事もあります。
しかしながらですね、同じミスを繰り返す人、というのが一定数はいるんですね。そういう人は異なる業務に配置しても根本的には同じ種類のミスをします。これは、その社員が自身の間違いの本質を理解していないからだと感じます。自分ではミスだと思っていない場合もある。
人はそれぞれ個性があるけれど、Aさんがやらかす失敗はいつもAさんらしい失敗だし、BさんのミスはBさんらしい。相手が誰でも仕事内容が何であれミスの本質が同じというのは、結局のところ、ミスの仕方にも個性が出るというかミスそのものが「その人」なんだなぁと感じるところです。
ミスはしても良い。ミスしない人なんかいないんだから。ミスしないと次の成長がなかったり気づきがない事もあるんだから。ただ、ミスの内容や種類が変化しているのならば良いのだけど、同じミスを繰り返すというのは結局はその人そのものなんだと思います。それを私たちが変わって欲しいというのは、その人自身が変わって欲しいと言うのと同義で、仕事というその人にとっての人生の一部を通してその人全体にコミットしていこうとするのは、とても相手を選ぶことだなあと思います。ある程度価値観とか人生の中の仕事の立ち位置なんかを共有できる人同士でないと難しい。そういう意味で、「採用」である程度そういう人を選ぶということなんだろうと思います。

やる気のない社員にやる気を出してもらうために自分や会社の限られたリソースを使う。管理業務(てゆったら聞こえは良いですが、要はサボッテないかをチェックしたりさ)に自分の時間を使う…。こーゆう事をしてると「私、いまなにしてるんだろう」という気になります。困ったちゃんメンバーの仕事に困っている上に、チェックしたりフォローしたりとその時間を取られるわけですね。その時間にできる自分の仕事は誰も代わりにやってくれないから、自分のプライベートを削って仕事にあてたり残業が増えたりします。困ったちゃんメンバーは自分の仕事が終わったら帰ります。まさか自分のためにどこかで誰かが2時間もの時間を失ったとは想像もしないでしょう。


◯いやいや「教育」が大事である

と、ここまで記事を書いていた途中でこの日はとある勉強会に参加しました。そこで得た情報が、私がさきほど書いた内容と全く反対のことでしたので、私の頭の中は混乱し、思考が整理できていません。

勉強会でのお話は、社員の潜在能力を引き出し、彼らが生き生きと働けるのはマネージメント側の関わり方に依存するというものでした。関わり方次第で離職率は大いに減らせる、とかさ、リーダー次第でやりがいをもって働けるようになる!とかさ。よく聞く話ですが耳の痛い話です。
同日に真反対の考えに触れたことで、私自身の考えがまとまらない状態です。

◯今の時点でのまとめ

今の時点で無理やりにでも一度結論を出そうとすると、ある程度採用でコンセンサスの取れる人にきてもらった上での教育なのかな、と。
(普通かw)

採用と教育の両方の考え方をそれぞれ自分の中で持ち、「今は採用の立場」だとか「今は教育的立場」、「両方の観点で見た場合にどうだろう」というように自在に、意識的に行き来出来るようになれば、それって私の強みになるんじゃないの、と思いました。

それぞれの自分としての考え方が確立された時、私はどのような景色を見ることができるのかあれこれ試していくことにします。
いつか見返した時に、この記事とどんな風に変わったかも楽しみにすることとします。

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