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有田の陶器市へ【2/2】〜変革期には偉大なリーダーがいる〜

前編はほとんど説明でしたので、ここから街歩きです。

〇トンバイ塀

「トンバイ塀」。有田を象徴する風景として有名なのが、このトンバイ塀。トンバイ塀とは、登り窯の内壁に使われた耐火レンガ(トンバイ)の廃材や使い捨ての窯道具を赤土で塗り固めて作った塀のことで、江戸時代から建てられているそうです。

大通りから、いたるところで裏通りへの入り口がありました
耐火レンガ以外にも窯道具なども塗り固められています(画像真ん中のドーナツ型は焼台です)
裏通りは趣ある風景が続いていました
大通りの賑わいとはガラリと打って変わって静かでタイムスリップしたような気になります

今は少なくなってしまって、トンバイ塀は今回私が訪ねた重要伝統的建造物群保存地区で見られますが、かつては街並みを流れる川沿いの窯元を囲むように築かれていたそうです。陶工の技術の漏洩を防ぐ意味などもあったそうです。

〇登り窯

有田を象徴するもので、「登り窯」があります。斜面を利用して作られた窯で、炉内をいくつかの部屋に区切り、下から上に昇っていく燃焼ガスの対流を利用して一定に高温で焼成ができるように工夫された窯だそうです。上に立ち上っていく灰を自然の釉薬として溶け込ませながら磁器を焼く窯です。
自然の仕組みを利用した窯なのですね~。
登り窯は耐用年数があって、使えなくなったら同じ斜面を利用して隣に窯を築いたそうで、有田で目に映る全ての坂が登り窯、というくらいだそう!

〇陶器市・歴史を感じながらの散策

当時、いわゆる工業団地だった有田の町並みに、今も当時の町並みの姿が残り今もそこで焼き物業が営まれているのを肌で感じながらの町歩きは歴史を感じる体験です。400年前の地図で今も町歩きが出来てしまうんだとか!

町のちょっとしたところに、焼き物や絵付けを感じさせる風景
新しくおしゃれな店構え
テントでの出店も
昔ながらの焼き物屋さん

原料となる石があり、陶石を粉にするため用いていた水力の道具を動かすための川が流れていて、登り窯づくりに適した傾斜地があり、技術を持った陶工と有田という地の出会い。この地で焼き物が栄えたのは、きっとそうなるべくしてそうなったんだろうなぁ、って当時の出会いや必然を感じながらの散策でした。

〇私でも知っているほどの「香蘭社」と「深川製磁」、これだけのブランドの中でなぜ人気なのかが気になっていた

有田焼と聞いて私でも知っているくらい有名な「香蘭社」と「深川製磁」ですが、これだけの窯元の数の中でなんでこんなに有名なんだろう?と前々から不思議でしたので調べてみました。

香蘭社:400年の歴史を持つ有田焼の中で、300年の歴史がある老舗窯元。

初代深川栄左衛門が陶磁器の製造を始めたのち、8代深川栄左衛門へと受け継がれるのですが、この8代目がすごかった…!
当時独占貿易だった有田焼の海外輸出へ自らも陳情して参加、長崎出島に出店し海外輸出を始める。その後政府の要請を受け磁器製硝子の開発に成功し日本の通信事業の発展に大きく寄与。また大量生産時代のニーズに応えるため有田で有志を募り合本組織香蘭社を設立、法人化し分業化を推し進め大量生産を可能にする。また自身も欧州へ出向き欧州の製陶機械を導入し近代化を図る。同時に国内外の博覧会に出品しては多数の賞を受賞し、有田焼の名声・優秀性を世界に広めていった。
…と、まあ~すごい功績を残された方でした。
この8代目がいたから香蘭社という窯元が出来たわけですし、何より「有田焼」そのものの礎を築き発展させ世界に広めた人だったのですね。ちなみに現在の株式会社香蘭社の前身である香蘭合名会社は九州で最初の法人企業だったそうです。
香蘭社が有田焼を代表する窯元であるわけは、こういう歴史があったのですね。大納得です。

この8代目の功績を知って感じるのは、やはり転換となるきっかけ、そこには「人」がいるんだなぁという事。大量生産だったり世界的に有名だったりという今の私たちが知っている「有田焼」はこの8代目が作った「有田焼」そのまんまで、その姿を今なお引き継いでいるわけです。8代目まで続いた家業というのもすごいけど(昔は普通だったのか?)、この人がいたから、焼き物としての有田焼は頭抜けたわけですね。ローランド風に言うたら「オレ以前かオレ以後か」ってことです。(あれ?言うたよね?そんなこと)

いや、それにしても経営者目線で感じるのは、それまで7代も続いたことをガラリと変えてきた功績への大変なるリスペクトです。それも当時は変化の激しい現代ではなく江戸時代ですから、変革に対する様々な反発・抵抗・軋轢みたいなあらゆる衝突が絶対あったと思うんですよ。スタートアップ企業だったら(焼き物で言うところの新興窯元みたいな?)、「うぉーやってやろうぜー!」みたいなノリがあって舵取りも同じ方向を向きやすいんでしょうけど、8代目ということは、それまで脈々と続いてきた組織体系があって、確立された製造方法があって、代々続くお得意様や販路があって、川上から川下までが「出来上がっちゃってた」状態だったんだと思うんです。そこへ働きに来る人達自身だって世襲だったかもしれないし、代々続く老舗で安定してるから働きに行こうとなっていたんじゃないかと思います。まさか江戸の時代に、情報を得る術が極めて限られている時に「よっしゃぁー!これからバンバン海外に打って出るぜ~!時代は大量生産じゃー!」みたいな発想をして香蘭社の門を叩く人なんていなかったんじゃなかろうかと思うんですよね。その中でこれだけの改革に着手し実績を作ってきたという姿は、まさに「リーダー」としての姿そのものだ、と大変私は感銘を受けました。

…と思っていたら、やはり偉大な人だった。

サラ~と見て終わっちゃったけど、もっとしっかり見たら良かった…

ちょっと香蘭社で興奮して長くなってしまいましたが、もうひとつ気になっていた深川製磁です。

深川製磁:ここもめっちゃ名前聞くよなぁ、と思っていたら、なんと9代目深川栄左衛門の弟、深川忠次が独立して創業した会社だそうです!なんと香蘭社のお身内だったのですね!
深川製磁が他と違う大きな特徴は生地づくりから絵の具の調合に至るまでの全ての工程を自社で一貫して行う製法だそうです。分業・大量生産が特徴の有田焼の中でも非常に珍しい作り方をされています。全て自社内で完結させているということは、各工程を外注するよりも細かい作り込みができたりあらゆる要素を自在に組み合わせることができたりと、一つ一つの作品へのより深いこだわりやデザイン表現が可能になるという点は、まさしくその通りだろうなと思います。そして何といっても深川製磁のもっとも知られた特徴といえば、「フカガワブルー」と呼ばれる鮮やかな青、そして光にかざすと透けるほどの透白性です。通常よりも高い焼成温度で焼き切ることで、このフカガワブルーの色合いを可能にしているんだそう。

宮内庁の食器に採用されている点や海外のセレブ向けや海外の博覧会への出品に積極的だった事、またこだわりの作り方を見ても、明らかに大衆向けではない。「誰に向けて作っていたのか」というターゲティングが、香蘭社とは対をなす存在だなあと感じました。

深川家という、焼き物や時代そのものの最先端という環境の中で育ち、欧州に出向くことも多かったという深川製磁の創業者。偉大なる8代目の父親が有田焼に革命を起こすさまを子供の頃から側で見ていて、世の中の大激動を身をもって体験しながら自らの感性を作り上げていったのだろうなぁと、勝手に想像します。深川製磁が香蘭社スタイルとは対をなす存在であるのは、香蘭社の創業家から出た人物だったからこそ、香蘭社への深い理解とリスペクトがあったからこそ作ることができた焼き物だった気がしてなりません。

有田焼そのものの地位を高め大量生産によって世界に流通させることを実現した「香蘭社」、自社内での一気通貫の生産により極限まで芸術性を高めて有田焼の芸術性をも世界に認めさせた「深川製磁」。
それぞれのやり方で有田焼の発展に貢献した2つの窯元なのだな、と大変感慨深くなりました。
はぁ~一人脳内大河ドラマ状態で胸アツです。。

〇李参平の末裔との出会い

さて、またまた興奮して長くなってしまいましたが散策の途中でした。
ふらふら歩いているとふと目に入ったのがこちら。

ん?「陶祖 李」って書いてある。まさかまさか。

おや?と思ってお店に入り、店主の方に声をかけたところ、なんと、有田焼の始祖「李参平」の末裔の方でいらっしゃって、今も有田で焼き物を焼いているんだそう!私は知らなかったのでめっちゃびっくり&感激しました。(あとでHP見てみたら普通に載っていた(;^_^))。
直系の子孫の方なのですか?とか興奮して聞く人が珍しかったのでしょう、「韓国の方なのですか?」と逆質問されました。
聞けば直系の子孫の方らしいのですが、途中焼き物づくりは途絶えてしまっていたのだそう。自分の代でもう一度有田焼を作ろう!と一念発起し、窯元で修業をしたのち独立、李参平時代の原料や作り方をなるべく忠実に再現した焼き物づくりを行っているそうです。

記念にひとつ買いました。名刺もくださいました。
昔ながらの原料・製法・焼成方法にこだわって作られているとの事でした。


〇まとめ

滞在時間2時間ほどで途中子供と川で遊んだりブラブラしたりしながらでしたが、大変良い時間でした。
そういえば焼き物は李参平さんのところで買った1つだけ。(あ、あとたまご屋さんなので、途中見つけた目玉焼きのピアス!🍳)
そういや、焼き物には相変わらずまだまだ興味がそこまで持てないなぁと後になって気付きました。焼き物そのものももっと理解が深まったらもっと楽しいのだろうなぁ。

良い学びをすると必ず感じる事ですが、知識があると楽しめる事が多くなるなぁという事。
例えば原料の取れる泉山磁石場。何も知らないと「切り崩したただの山」で、何とも思わずに通り過ぎてしまうけど、そこがかつての一大産業地であったこと、文化の発祥の地であったことを知ってその山を見ると見え方が全く違ってきます。
ただの山に感動したり、焼き物に胸が熱くなったりするのは、知識のおかげだと思うのです。

知識を身につけるという事は、日常の中に楽しめる物事や彩りが増えるという事で、人生を豊かにする事なのだなぁと、つくづく思います。

学びや出会いの多い、良い時間でした。

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