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【要約】田中理恵子「「生成」としての音楽」

【要約】

本稿では、文化人類学のモノや「生成」する議論を援用しながら、ラテンアメリカの音楽が「生成」されるものであることを考察する。この考察では、アルゼンチンやキューバ地区(ラテンアメリカ)のオーケストラやオペラが「オーケストラになる」「オペラになる」といった「生成」される状態を明らかにしていく。

文化人類学では、ボアズやストロースなどが芸術作品を分析しているにもかかわらず、あまり芸術作品を研究対象としてされてこなかった。しかし、近年、ジェル「芸術と人類学」(2006)を初め、さまざまな角度から芸術を捉えようという活動が目立ってきている。
主な考察としては、芸術作品を「モノ」として捉え、そこから芸術を理解し直す方法がある。この考察では、実体を持たない音楽をモノとして考察するには、音楽という芸術作品を「生成」していくものとして捉える。この捉え方によって「存在」と「生成」の差異を探り当てていかざるを得ない。
ここで筆者は、社会学者アジトワーヌ・エニオンが述べる、音楽がさまざまなものや環境を媒介して、「芸術作品になる」という生成理論を援用する。また、ボアズ、ベイトソン、フェルドらの作品の分析から、そこに「生成する力」を見ることができるとノベル。さらに、ジェルの4つエージェンシーの分類の理論を援用し、ラテンアメリカの二つの音楽の分析を行う。
分析では、具体的にアルゼンチンやキューバのオペラにまつわる観衆や芸場などからの関わりによって「オーケストラになる」「オペラになる」生成の発露を明らかにしている。音楽という実態のない芸術の有り様を捉えることは、ヒトとモノをめぐる「生成」のさいのあり方について考えることだ。著者はエニオンの音楽の「中心」の捉えどろのなさについての問題意識に同意し、芸術の生成の問題は、今・ここにおいてアクセスできないものが一体何なのかというエニオンの問題提起を再度今後の課題として提示している。

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