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本屋は「今の自分」を教えてくれる

本屋が好きだ。
なんなら本を読むことより好きかもしれない。
何とはなしに本屋を歩く時間は至福の時間。
それは、短時間で自分と対話できる
貴重な時間。

新しい職場の近くには大きな本屋があって
昼休みに、帰りに、ふらっと簡単に行けてしまう。
本屋に行き、くるっと色んな売り場を巡る。

そうすると、自分の「今」が良く分かる。
どんなことに興味を持っているのか。
どんなことに悩んでいるのか。
何が刺さるのか。
誰かに言われたどんな言葉を気にしていたのか。

ひとりで考えているときよりも
情報が繋がる。
出来事を思い出す。
感情を思い出す。
過去と今とが繋がっていく。

あの人があんなこと言ってたな。
この前SNSで見たあれは一体?
そう言えばこの本、気になっていたな。
何でだろう?

短時間の間に驚くほどの思考が駆け巡る。
具象と抽象を。
主観と客観を。
点と点を紡ぎ、また点を思い出す。

また、既に読んだ本の売り場を見ることも楽しく
どんな売られ方をしているのか
どんな本が周りにあるのかを見て
改めてその本との対話をする。

一度本からもらった知識が更に少し深まる。

一流に人たちが本にするにあたって
多くの時間をかけて、言葉を削って、
抽象化して、結晶化して、
無駄を削ぎ落して、何を伝えたかったかを
絞り込んでいるのだから。

ただ、そんな自分との対話が上手くいかないときもあって。
本の間を歩いても、何も響かない。
ただ有機的な紙の束に見えてしまう。

そんな時は、諦めてモヤモヤしながら帰るのだ。
体調なのか、興味がないのか、その本屋との相性が悪いのか。
色々と原因はあるのだろうけれど
自分の中のモヤモヤがかなり漠然としている時にそう思うことが多い。

課題や疑問を持って本屋に行くのだけれど、
そのテーマが広すぎて、もしくは浅すぎて上手く答えらしき本を充てられない。

強烈な感情がある時は、とても自分を見つけやすいのだけれども
小さな感情が幾つも幾つもある時は
自分を見つけるのが難しい。
「これ昔、興味あったんだけどな」
と、どこかしっくり来ないのだ。

そんな時は、もっと自分と向き合って
自分の声を聞かなくてはいけない時なのだ。

私にとって本屋は本を買える場所という
だけではない。
自分の状態をメンテナンスできる場所。
それは瞑想にも似ていて、沢山の情報を浴びつつも
インターネットのように大きな偏りもない。

願わくは何時間でも滞在したいけど
まぁそんなこと家族も体力も許さないわけで。
なので、また昼休みにお散歩がてら本棚の間を練り歩かせて頂こう。

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