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もっと自分を生きるために

無意識の、息を吐くように行う思考のクセ。
それが知らぬ間に自分を何度も傷付ける。
痛みが当たり前すぎて、気づくこともできずに
ずっとずっとそこにいた。

けれど、だからこそ。

その存在をしっかりと見て、認めてあげて
あの時、欲しかった言葉を与えたい。
温かく抱きしめ、向き合いたい。

環境が変わって必死に馴染もうとしている中
とあることで、自分の中に驚くほどネガティブな思考があることを知ってしまった。

端的に言えば
ありのままを出すと周りを不快にしてしまい
存在を認めてもらえない
という思考だ。

だから、私は周りの顔色を伺いつづける。
例え、周りの人のプラスにならないとしても、
マイナスになってほしくない。
だって、プラスでなくても仲間には入れるけれどマイナスだと仲間から外されてしまうから。

通常運転時に常に発露している訳ではないけれど、調子が悪くなると顔をのぞかせる。
そう思っていた。
だけど、違った。
毎日の私のどこかに、ずっといた。

この原体験になっているのは幼い頃の出来事で
2年間、学級崩壊したクラスにいたことがそれにあたる。

何かをすれば指をさされ、
何もしなくても週替わりで誰かが
陰口を言われるポジションになる。
私も例外ではなく、その順番が何度か来た。

幼い私はそこでいっぱい傷ついたのだ。

だから、その時の私に声をかけてあげる。
大丈夫、一緒にいるから。
 それができるあなたは、素敵だよ。

行動や格好によって、存在を認める認めないを決めるのではなくて、まずはそこにいるだけで価値あることなんだよ、と言ってあげたい。
安心を与えたい。

ストレングスファインダーでも強く出ている
私の特性の1つに「個別化」がある。
これは、今の時代で言えば多様性を認めるということ。
昔から私にはその傾向が強くて
誰も彼も、すてきだなと思う思考のクセがあった。

接する人を素晴らしいと思う。
この人の個性ってこんなことなんだ。
それっていいなって感じる。
でも、それは自信の無さ、自己評価の低さから来ていた部分もあって、自分はとっても低い。それと比べて、周りは凄いと思っていた。

だからこそ、他人にも優しくなれる。
そんな行動をしてしまう訳が分かるから。
そんな考えをしてしまう訳が分かるから。

時を経て、その特性は自信の無さの裏返しとして自分の強みとして認められるようになっていた。
周りの人の個性に気付ける特技。

癒えなかった長年の傷は
ひとつの強みを授けてくれた。

けれど、痛みがあることに気づいてしまった。
傷が開く場面を認めてしまった。
だから、これからはもっと自分に優しく
自分を認めてあげようと思う。

長年のクセはきっとすぐには変わらなくて
行きつ戻りつするのだろうけれど。
それでも、ここで沢山の力を使っているから
ひとつの古傷が癒やされることで
小さく大きく変わっていくのだ。

本来の自分に戻り、自分を生きることに繋がる
おかえり、私。
そう言えるその日まで、声をかけ続けよう。


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