【掌編】英雄に捧ぐ

ユウ老人の友人だったカイは、六十年前、侵攻してきた敵軍に撃たれて死んだ。
友好同盟を結んでいたはずのその国は、突如侵攻方向を変え、二人の住む国境沿いの町を襲った。二人が十七歳のときだった。
その朝、カイはいつものように新聞配達をしていて、そして、地平線の向こう、こちらに向かって進軍してくるその国の軍隊を見つけた。
カイは自転車を必死に走らせ、奇襲を知らせて回った。だが、当時二国間の友好関係は国を挙げて宣伝されていたから、それを信じる者はほとんどいなかった。それでも、幾人かの人々がそれを信じて防空壕に避難しはじめ、やがて砲撃音を聞いた多くの人々が後を追った。
逃げ遅れた人を最後まで探していたカイは、近くの家が食らった砲撃に巻き込まれて死んだ。木っ端微塵だった。
敵軍は逃げ遅れた人ごと町を焼き払い、隣町に駐屯していた国軍が出動し反撃を始めるころには、防空壕に避難していた人も多くが引きずり出され、虐 殺されていた。
結局、千人を超える人口の町で生き残ったのは、百人に満たなかった。
ユウ老人は、そのうちの一人だった。
老人の家族は皆殺しにされ、カイと同様に新聞配達をしていて、少し離れた防空壕に避難した老人だけがたまたま生き残った。
彼は十八歳を待たずに徴兵されて敵軍と戦い、大尉にまで昇進したところで戦争は終わった。
戦後は、焼け野原となった故郷に戻り、同じように戻ってきた僅かな住人とともに町を再建して、結婚し、子を持ち、孫を持ち、平凡な家庭を築いた。
そして知らぬ間に、六十年の歳月が流れた。老人はやや惚けはじめていたが、ひ孫にも恵まれ、幸福に暮らしていた。
た だ 一 つ 、 町 に あ る カ イ の 銅 像 を 除 いて は 。
戦争が終わり、三十年ほど経ったころ、当時の大統領がカイの物語にいたく感銘を受けたらしく、彼の功績を称えるために銅像を建てると言い出した。 大統領がたびたび演説で言及した、命を懸けて祖国を守った少年の話には誰もが心を打たれ、「防衛戦争」としてのあの戦争の物語の輝かしさを再確認した。
銅像は鳴り物入りで着工され、半年と経たずに立派な像が完成した。自転車に乗り、大声を出しているかのように口を大開きにしたカイのまなざしは、しかし、ユウ老人の知る彼のそれではなかった。
ある年の初夏もまた、大統領が献花に訪れた。今までと違うのは、それが国の公式行事として行われたことだった。新しい大統領は、どうやら英雄の物語がお気に入りらしかった。
最初こそ批判していたテレビや新聞もあったが、次第にその報道は沈静化し、とうとうどこも献花を称えはじめた。祖国を思う気持ちの素晴らしさに気づいたからかもしれないし、違うかもしれない。
大統領の献花は年々豪華になっていった。それとともに、英雄の物語も少し  ずつ変化していった。
老人がそれを知ったのは、もうすぐ十八歳になろうかというひ孫のセイに聞いたからだった。
がっ ちりした体つきのセイは、その屈強な見た目と裏腹にどこか子供っぽい部分を残しており、救国の英雄と自分の曽祖父が友人であったことを父から聞いて興奮していた。
 熱狂的にカイを崇めるひ孫から英雄の物語を聞いた老人は、唖然とした。
物語の中で、カイは敵軍と勇敢に戦い、莫大な損害を与えたのち、将軍と交えて死んだことになっていた。
老人は、カイは敵の砲弾の巻き添えで死んだこと、誰も殺さなかったことを伝えたが、セイは彼を嘘つき呼ばわりするだけだった。
その年の初夏、老人は初めて大統領の献花を観に行った。それは今、祖国防衛記念日として祝日になり、銅像のそばには戦没者の慰霊碑が建っていた。
妻に先立たれ、半ば世捨て人のような暮らしをしていた老人には、どちらも初耳のことだった。 荘厳で勇ましい音楽が奏でられる中、大統領が銅像に歩み寄り、ひざまずいて花を捧げた。世事に疎い老人にも、彼の顔に見おぼえはあった。彼は二十年以上、大統領であったからだ。
そして、彼は演説を始めた。その語り口を、老人は戦中に聞いたことがあった。老人は家に戻ろうとしたが、周囲の目を恐れたセイが必死に引き留め、最後まで聞くことになった。演説の大意も、六十年前と同じだった。
翌年の初春、老人の国は隣国に侵攻した。戦争が始まった。
二か月後に十八歳になるセイは、徴兵される前に志願兵として入隊したがった。これには両親も難色を示したが、一番強硬に反対したのは老人だっ た 。
厄介なことに、反対されればされるほど彼の意志は固くなった。彼は、曽祖父とて十八歳未満で兵役に就いたではないかと言い募った。自分は徴兵さ れて仕方なく入隊したのだと老人は反論したが、祖国を守るのに仕方なくと は何だとひ孫は激高した。
二十年あれば一世代が育つ。教育さえも変わっていたらしかった。
とうとうセイは反対を押し切り、高校を中退して入隊した。
戦地の報せは何一つとして信用できなかったが、両親も祖父母も、信じるしかなかった。ユウ老人の惚けは一気に進んだようだった。
混沌とする意識の中で、老人はカイのことを思い出していた。
毎朝の宣誓や軍事教練を嫌い、よく殴られていた姿。徴兵を嫌がり、兵隊を人殺しと言って同級生に苛められていた姿。彼を殴った教師や軍人も、苛めた同級生も、ほとんどが奇襲で死んだが、生き残った数人はカイのことを愛国者として語った。それが彼にとって一番の苦痛であろうことを知ってか知らずか。 そして、隣国の小学校が空襲を受け、何百人の子どもらが死んだ朝、老人もまた静かに逝った。
数日後、セイの死が両親に伝えられた。


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