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かもしとたねエッセイ

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山の家、海近くの畑、自然界、人や動植物の生死などを通して感じる不思議。この世は不思議でいっぱい!その答えはそれぞれの人が持っていて、どんな人生にするかもその人が決めることができる… もっと読む
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記事一覧

*妖怪になったお婆が教えてくれたこと。

うちのおばぁは92歳で天に帰った。 92歳と言うと、だいたい大往生だね、と言われるのであるが、 私は納得していなかった。 なにせ、おばぁの体は病気ひとつせず、 毎日畑に行って動き回っていたし、 風呂には全く入らなかったけれど、自分の事は全部自分でしていたのだ。 この人は絶対に100歳まで生きれると思っていた。 だから、92歳で早死にして!と納得がいかなかったのだ。 おばぁは70代の頃までは小うるさい婆さんで、 耳が悪いのをいいことに、言いたいことだけ言う人だった

*さぁ、種採りしましょうか。

私の種採りバイブル、「岩崎さんちの種子採り家庭菜園」 今は残念ながら、販売されていないようである。 野菜にまつわるエッセイや、種採り方法、 栽培歴などが載っており、 初心者だった頃の私はこの本を読んで 種採りの意欲を沸かせたものである。 種採り、と言っても野菜を放ったらかしにしていたら 種ができるというわけでもなく、 ちゃんと種を採る時期というものがあって、 横着な私はよく失敗をする。 適期に採れなかった種は、 鞘が弾けて中の種が飛んでしまっていたり、 雨に当たってカビ

*山の古民家で快適に暮らすー虫さん、カビさん対策しましょうか。後編

https://note.com/akarameya88/n/nced4a91eb0e1 と、いうわけで後編の虫さんカビさん対策といきましょうか。 ❋大地再生する 矢野さんの大地再生講座に何度か参加し、家の周りに溝を掘った。 ユンボなんて入らないから、スコップや鍬で水が流れるように傾斜をつけた。 軒下にぐるり1周と、家の下の池に通じる深めの溝を1本掘った。 土が硬い所は掘れるだけでいいと聞いたので、 深さが5cm程しか掘れない場所もあった。 そこは、山の落ち葉が朽ち積

*山の古民家で快適に暮らすー虫さん、カビさんさようなら~前編

お山を背負った古民家に住んで、10年ほどになる。 私を含めて、都会から移住してきた人間が、 慣れない古民家に住んでみて、逃げ出したくなるワースト3は 1、カビ 2、ムカデや蜘蛛などの虫 3、野生動物 辺りだろうか。 古民家に住み始めた頃は、そんな3つの問題点なんて知らないから、 なんの対策もせずに住み始めた。 梅雨の頃になると、カビとの戦いが始まる。 三段カラーボックスを多様していたが、それらは特にカビがひどかった。 箸や食器、革製品もカビた。 収納してある衣服や本もカ

*ヒエという嫌われ者・強者から学ぶ

田植えが終わった6月後半になると、 田んぼの中や畔にはヒエという稲科の草がたくさん生えてくる。 田植えをしている時には生えていなかったのに、 1週間ほどして草取りに入るとたくさん生えているのだ。 成長スピードの速いヒエは、少し目を離したすきにぐんぐん大きくなり、 あっという間に米の背丈を超えてくる。 草取りの時に、このヒエを抜いておこうとこちらは必死になるのだが、 お米の苗とそっくりさんで、米の苗にそっと寄り添うように 生えているこのヒエを見落とすことしばしば、 気

*弱肉強食と共存世界・イノシシから学ぶ

ジビエ、と言えば聞こえはいいが、 淡路島の中で増えてしまった猪(イノブタ)を 捌いて食べることがある。 ここ淡路島では、野生の猪と鹿が増えていて、 畑や田んぼに入っては芋を掘り、ミミズを掘り、稲をなぎ倒し、 果樹や木を食み、トラクターのごとく耕し穴を掘る。 この野生動物からいかに作物を守るか、人と獣の知恵比べのようになっている。 私の住む地域には鹿はまだ来ておらず、猪がたくさん住み着いている。 そのため、夜8時過ぎになると鳴き声を発し、 外を車で走ると、田圃には

*梅の実黄なり・・早くこいこい梅の実よ

田植えが終わり、ほっと一息ついたのもつかの間、 梅の実が、黄色く色づき、 梅干しを漬け込む季節がやって来る。 6月も半ばになると、黄色く色づいてくる梅。 完熟した梅の実の、なんと芳しいことか。 この芳しい梅の実に、鼻をうんと近づけて、 香りを思いっきり吸い込めば、 なんと幸せなことでしょう。 横を通るたびに吸い込んでは、 はぁ〜、と幸せなため息をつく。 ・・私だけではないはずだ。 うちの畑には元々、一本の花梅の木があって、 ほんの少しの実を付ける。 20粒ほどだろうか

*慣行農業とオーガニックの融合=地産地消!?

淡路島に移り住んですぐに、じいちゃんの畑を一緒に耕し始めた。 じいちゃんの畑はゴミでいっぱいだった。 畝の上には絨毯や毛布、土の中からは電池に時計、ホッカイロ、 ビン、缶、袋に入ったままの化学肥料。 なんでも出てきた。 燃やせるものは全て燃やしていた。 燃やせないものは埋めていた。 じいちゃんは大正元年生まれの人だから、土に還る物しかない時代を生きてきた。 だから、なんでも土に埋めておけば消えてなくなると思っていたらしい。 プラスチックなどの土に還らない物など分別することは

*メタファー

2010年に大阪から祖父母の住む淡路島に移住した。 子供のころから田舎が好きだった私は、いつか田舎暮らしをしたいと目論んでいた。 そして念願の田舎暮らしが始まったものの、都会の生活とはかけ離れた自然との接し方、仕組みなどが全く分からない・・。 じいちゃんの畑で自然農を初めてみるものの、失敗ばかり(-_-;) これはまず、自然界の仕組みから知らなければいけないと思い、日記帳に毎日畑や周囲で起こることを記録し始めた。 いつ、何の芽が出た。何の花が咲いた。何の渡り鳥が来た・・

*お米作り珍道中

淡路島に移住するまで、 お米を美味しいと全く思わず、ほとんど食べていなかった私が、 なぜお米を作る事になったのだろうか。 自給自足をしたいとは思っていたので、お米も機会があれば作ってみようと考えていたが、 移住して2年目にその機会はやってきた。 その時97才だったじいちゃんが、 「お前、米作らんか」と言ったのだ。 「うん、作る」と即答した。 叔母からは 「辞めておきなさい、しんどいだけだ、買った方が安いから」と止められた。 その言葉は無視することにし、じいちゃんが作れと言っ

*問題のようにみえるもの

淡路島で自然農をするようになってから、畑では様々な問題が起こった。 自然農を初めて2年目、耕さない畑の土はカチカチになった。 苗を移植するのにスコップが入らず、耕さない自然農で大丈夫なのか?と不安になった。 けれど、翌年頃からカチカチだった土がだんだんと軟らかくなり、 今では畑全体がフカフカの土になっている。 13年たった今でも畑を耕したことはない。 同じく2年目、10年ほど放置していた田んぼで米を作ることになり、草を全て排除し田植えした。 すると、その田んぼには芝がび

*おばぁと仏教

おばぁが92歳で死んだ時、なんでこんなに早死にしたんだと納得がいかなかった。 「なんで、死んだのか?」と私は悶々と考えていた。 葬式が済んで、次はだいたい49日の法事をするのが一般的な流れだが、 淡路島では49日より35日の法事の方が大切で、親戚一同集まり法事が行われる。 35日とは、死んだ人が閻魔様の所へ行く日で、 そこでおばぁは生前の善行、悪行を裁かれる。 そこで、集まった子孫達は、裁かれるおばぁのために追善供養というものをする。 追善供養とはなんだ?初めて聞いた

*米から与えられるもの

お米が自給できるようになってから、1年分で余るものだから、 田んぼ作業がお休みの期間に米糀を仕込み始めた。 米糀を仕込んでおけば、味醂を仕込んだり、 味噌を仕込んだり、濁酒を仕込んだり、 甘酒、柚子味噌、米飴、塩こうじと気が向いたものを仕込んでいける。 お米さえあれば、ご飯としてだけでなく、様々な調味料から甘味まで、 日常の食卓に必要な物に変化してくれる。 米粒だけでなく、糠で漬物を漬けたり、藁で藁かごや草鞋を編んだ。 とぎ汁も、植木の肥料に留まらず、洗濯や台

*食べだすけの島、春の豊かな食材

春、畑の大根やニンジン、アブラナ科の野菜達は花を咲かせるために塔立ちし始め、保存していた芋類も食べつくし、 夏野菜が成り始めるまで畑で採れる野菜は少なくなる。 春の野菜と言えばアスパラがにょきにょき出始め、スナップエンドウや実エンドウがちらほらでき始め、あとは菜の花食べ放題!状態になる。 しかし種類は少なく、そればかりでは飽きてくる。 夏野菜が成り始める6月頃まで、何を食べようかといつも考えるのだが、しかし意外と困ったことがない。 ここ淡路島は食が豊かな島で、4月になると