輪舞曲 ~ロンドン⑨~

 その日は、大変慌ただしい日でした。わたくしたちはアン様を美しく飾りたて、料理人たちは大量の料理を作り、その他の手の空いている者たちは宮殿を花で飾りました。何もかもが急に決まったことなので、誰もが急き立てられるように動いていました。アン様は、髪型やアクセサリーなど細かく指示を出しました。ここ最近で一番機嫌がよく、冗談を言って周りの者を笑わせていました。
 やがて、準備が整い招待された貴族たちが集まるとダンスが始まりました。上機嫌なのはヘンリー様とアン様だけで、ほとんどの貴族たちは苦々しい顔でそれを眺めていました。わたくしは壁の近くに立ったまま、唇を嚙みしめてそれを見ていました。アン様はお祝いの時に纏う鮮やかな黄色のドレスで、ヘンリー様と共に軽やかに踊られています。しかし、腕の良い楽師たちが奏でる音色も、たくさんの花の色も、人々の囁き声も、わたくしの目の前を輝くことなく通り過ぎてゆきました。
 この夜会は、キャサリン様が亡くなったことを祝うために開かれたものなのです。
 
 その日の夜会でヘンリー様がどのような挨拶をなさったのか、どのような料理の評判が良かったのか、また、どの殿方が素敵だったかなど、すべて靄がかかっているかのように覚えておりません。ただ、お優しかったキャサリン様のことばかりが思い出されました。わたくしは、いつの日かキャサリン様にお会いしたいと思っておりましたが、そのような日は二度と来ないのです。ふと気を抜くと涙が溢れそうになりますが、このような祝いの席で涙を見せてしまったらアン様に何をされるか分かりません。わたくしは深く呼吸をし、まっすぐ前を向きました。
 ちょうど、ヘンリー様とアン様がダンスをなさっていました。キャサリン様がお亡くなりになり、それまで反対していた人々も王妃はアン様しかいないと認めざるを得ないでしょう。その事が嬉しくてたまらないと言うように、アン様は淑女とは思えないほど大きな声で笑い、はしゃいでおられました。
 わたくしはその時、何かが壊れた音がしたのです。

 わたくしは自分の部屋で朝の祈りを捧げたあと、アン様のお部屋へ参りました。今からアン様を起こして身支度をいたしますが、最近のアン様は起きる時にとても機嫌が悪く、誰もこの仕事をしたがりません。特にアン様のお気に入りの侍女たちは、不興を買いたくないと言う理由で他の者に仕事を押し付けてきて、侍女たちの間でも不穏な空気が漂っています。あの忌まわしい夜会から10日以上経ち、多くの人々がアン様に会おうと集まってきておりますので、しっかりとしていただきたいのですが。
 その時、アン様の部屋の扉が勢いよく開き、中からヘンリー様の部下と思われる方が飛び出してきました。わたくしは驚いて、走って行くその方の背中を呆然と見ていました。やがて、部屋から只事ではない気配がしました。わたくしはするりと部屋に入り込み、何が起こったのか確認しようとしました。アン様の寝台の近くには、医者や看護師が何か必死に手当てをしていました。アン様が信頼している侍女たちが、必死にアン様に声をかけています。そして、寝台の中では両手で顔を覆ってすすり泣くアン様が見えました。わたくしは、部屋を出ようとした看護師に何が起こったのか尋ねました。看護師は周りを見渡し、わたくしの他に誰も聞いていないようだと分かると言いました。「残念なことに流産なさいました」と。

 アン様の身体が落ち着くと、いつも通りの日常が戻ったかのように思いました。アン様は来客の対応をし、多くの商人たちから贅沢な品物を買い求めました。宮殿の中は、いつもどこかの部屋を改装するための工事の音が響いています。お子様を流産なさっても、アン様の勝気なところは少しも変わりません。いつも強い光を瞳に宿し、まっすぐ前を向いておられました。
 しかし、ヘンリー様は変わってしまいました。アン様への態度は日に日に冷たくなっていき、見ているこちらが緊張するほどでした。流産したお子様が男の子だったこと、流産の原因はキャサリン様が亡くなった日に開かれた夜会で、キャサリン様がはしゃぎずぎたことが原因だということがあっという間に広まりました。アン様は、以前よりも気分の浮き沈みが激しくなり、険しい顔をすることも多くなりました。アン様のお世話をする侍女と関係を持ち始めたヘンリー様にも、周りにいる侍女たちにもきつい言葉を使うので、ヘンリー様と激しく口論になったこともありました。

 

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