輪舞曲 ~ロンドン⑭~

 わたくしは、身体が思うように回復していないこともあり、次の出産のことはとても考えられませんでした。出来ることなら、次の子供のことは考えず、エドワードが少し大きくなるのを見守りたいと思っていたくらいなのです。しかし、わたくしはそれが許される立場ではないのだと改めて感じました。ここにいる限り、どんなにやめてほしいと懇願しても、わたくし自身を顧みられることなく子を産むことになるのでしょう。わたくしは絶望しました。そして神に願ったのです。
 どうか助けてください、と。

 エドワードの洗礼式は、ヘンリー様はもちろんですが、メアリー様やエリザベス様までも出席なさる、大変立派なものでした。その日、起き上がることのできないわたくしは担架に乗せられ、冷えた教会の片隅におりました。途中から体調が悪くなりましたが、退出することは許されず、式が終わるころにはすっかり身体が冷え切って震えが止まりませんでした。
 洗礼式で身体が冷え切ってしまったせいか、少しずつ回復していた体調が、一気に悪化してしまったようでした。わたくしは、しばらくの間、うとうとしながら過ごしておりました。
 おかげさまで、今はこうして寒さを感じることなく出歩けるようになりました。長く眠っていたせいか、宮中での儀式のことや、貴族の顔の多くは思い出せないのですが、何故かそのことが少しも苦ではないのです。以前は牢獄のようだと思ってたこの宮殿も、今は何も感じることが無くなりました。大切な何かを忘れてしまったようなのですが、それ以上にわたくしの心は軽いのです。

 ああ、いけませんわ。そろそろ、エドワードを探しに行かなくは・・・。


 「お話しくださりありがとうございます。ジェーン王妃。」
私が呟いた言葉が終わる前に、彼女は姿を消していた。辺りを闇が染め始めていた。ついに終わりの時間になってしまったようだ。私は名残惜しい気持ちで宮殿を後にした。

 次の日、私は荷物を纏め、親戚の家を訪ねた。すぐに客間に案内され、私は叔父と会った。彼は、私が提示していたよりも多い金額の小切手をくれた。
「今回は、本当に助かったよ。出来ることなら、私の跡取りになってほしいのだが。君なら、安心して娘を任せることが出来る。」
「私はあなたの思っているような優秀な人間ではありませんよ。跡取りはもっと相応しい方をお探しください。お嬢さまのことも、彼女を大切にしてくださる方が現れるはずです。」
その言葉に、叔父は苦々しい顔をしていたが、やがて諦めたようだった。
 私は用が済んだため、挨拶をして部屋を出ようとすると、勢いよくドアが開いた。
「まあ、どうして来ていることを知らせてくださらなかったの?わたくし、お会いしたかったのに!」
 そこには華やかなドレスを着た若い女性が立っていた。後ろから夫人が息を切らせてやってきて、彼女を部屋から遠ざけようとしたが、彼女は煩そうに肩をすくめるだけだった。いつもは凝った髪型をしているが、今日は簡単に髪を纏めているだけだった。しかし、それが彼女の美しさを損なわせることはなない。
「お久しぶりですね、エリィ嬢。生憎、すぐに帰らなくてはなりませんので失礼いたします。」
「まぁ!冷たいのね。ねぇ、せっかくですからお父さま、あの話をユーグ様にしてくださらない?」
「・・・その話なんだが、エリィ・・・先ほど、ユーグ君から断られてしまってね。」
「ええ!どういうことですの、ユーグ様?わたくしと結婚して、この家の跡取りになること、悪い話ではありませんのに!」
「叔父上、こちらばかり悪者にしないでください。エリイ嬢と結婚し、この家を継ぐことをお断りするのを条件に、今回の依頼を受けたはずですよ。」
「・・・お父さま?どういうことかしら。依頼って、何?わたくしの知らないところで、勝手なことをしないでちょうだい!」
「エリィ!済まなかった!ただ、今回は仕方なくてだな・・・。」
「お父さま、酷いわ!」
泣き出したエリィ嬢に、おろおろと宥める叔父と叔母を残し、私はそっと屋敷を出て、そのまま急いでフランス行きの船に乗った。行きと同じで、帰りも順調な旅だったよ。何より、もうあの親子に会わなくても良いのかと思うと、晴れ晴れとした気持ちになるね。
 あの子は昔から、何故か私に執着していてね、とこあるごとに結婚の話を持ち掛けられるから困っていたんだよ。まぁ、気が進まなかったが、今回の依頼で得た報酬も悪くなかったし、何よりも事前に契約書にサインをしてもらっていたから良かったよ。イギリス人が言うように、契約書というものは本当に大事だね、ピエール。


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