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パートナーを着替え続けて

 大切な腕時計があった。
 丸い文字盤のムーンフェイス。
 月のモチーフが大好きだった10代から20代へうつろう時期に買って、何年もそれだけを使っていた。
 それを手離したのは、プチストーカーと化した知人が、ある日「君と同じ腕時計買っちゃった。ふふ」と見せびらかしてきた時だ。
 それは私と同じシリーズ…ではなく、全く同じレディースサイズのものだった。ふっとい男の腕に、華奢な、小さな文字盤。
 ゾッとした。
 帰宅するなり、何十件も留守電が入っている電話の線を抜き、大好きなその時計を封印した。捨てきれずハンカチかなにかでぐるぐる巻きにして缶とかに詰め込んで、クローゼットの奥に押し込んだんだったろうか。

 空っぽになった腕を見るたび、あの時計を身につけていた時に大切に思っていたひととの思い出に土足で踏み込まれたような悔しさだけがいつまでも残った。
 嫌なことに、プチストーカーは大切なひとの友人で、彼から私の連絡先を聞いたと言って確か電話をしてきたのだ。
 私は懐かしい名前に気がゆるみ、つい、ほぼ初対面の男と食事に行ってしまった…。
 懐かしい日々を刻んだ腕時計は、思い出すたび「ふふ」と笑った男の鼻の穴が脳裏に浮かぶようになり、二度と自分の腕に戻せなくなった。

 私はいつもこんな風に、自分を支えてくれる大切なものを手離し、環境も人間関係も、まるで着替えるように変えながら生きてきた。それが、歳を取った今になってつくづくと身に染みる。
もっとあの時に大事にするべき人が、物が、あったのに、と。
「彼氏なんて服みたいなもので、着替えて女っぷりをブラッシュアップして生きてきた」とかいう話では、だから、ない。
 嫌な思いを遠ざけることを大切な思いよりも優先して、たくさんのパートナーを失いながら生きてきただけのことだ。

 腕時計をパートナーと位置付ける人は多い。
 自分の人生をともに歩む存在だから、その表現も大げさじゃない。私もここまで年を取ってやっと、腕時計がまるで自分の人生を刻むもののように感じられることを知った。
 あの後いろいろな時計を買って使ったけど、どれひとつとして記憶になく、あのたった一本が、何度も何度も思い出される。あれがずっと私のパートナーだったなら。それでも浮気をしただろうかと。
 もう廃盤になっているのでオークションで探したこともあるが、あの鼻の穴は、どうしても消えてくれなかった。
 嫌な記憶が、いつまでも拭い去れないのはどうしてだろう?
 そこには、私の弱さがある。
 叶えられなかった昔の恋が見た夢と、それを汚されたような苦さはきっと一生消せないんだ。あんな真っ直ぐに生きていけなくなった今の私では、絶対に。
 だからこの辺で、ちゃんと意識して新しい腕時計を身につけなければならないんだという思いが湧いてくる。

 今使っているのは、何気なく手に入れたアニエスべーのクロノグラフ。
 グリーンの文字盤に世界地図があしらわれた、ちょっとメンズライクなフェイスだ。女らしさが板につかないままの自分を少しだけマシに見せてくれる気がして、仕事でもプライベートでもこれに頼っている。
 きっとこれが、これからの10年を支えてくれるんだろう。私の仕事人生の、もしかしたら最後になるかもしれない10年を。
 そう。もう私の人生は、10年ひと単位のところまで来ている。
 それだけ年を取って、この先もっと時間が経つのが早くなる…。
 だからもう少し、時計を見よう。
 針の動きに時間を感じて、流れて行く暮らしをもう少しだけ大切にしよう。人生最後のパートナーであるだろう夫と過ごす、最期までのひとときを。

 年が明けたら、新しいベルトを買いに行く。
 この時計を、正式な相棒とするために。

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