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映画:『まともじゃないのは君も一緒』を見て。

例えば唐揚げにレモンをかけるとかかけないとか。
別に私はどちらでも構わないのだけど、どちらでも構わないことに対して立ち止まって議論をしたいと思う。
例えば夫婦別姓とか。
それはふつうだからとか、当たり前だからとかで立ち止まらずに思考停止したまま物事を進めるのは嫌だ。
結局ふつうの決断をしたとしても、ちゃんと自分の意思でふつうの方を選んだんだと思いたい。

めんどくさいけど、めんどくさいことに一つ一つ向き合って決めていきたいと思うめんどくさい性格なのである。

今日は仕事をサボり映画を見てきた。
成田凌主演の『まともじゃないのはあなたも一緒』という映画だ。

「ふつうってなに?」と主人公は無邪気に問いかける。
『ふつう』という単語が何度も何度も劇中に出てくる。
成田凌演じる主人公が、『君が言うふつうは何かを諦めるための口実なのか。そんなものに縛られる必要は全くないんだよ。』と声を荒げて話すシーンがある。

ああ、わたしはこの言葉をこのでかいスクリーンで、でかい音量で聞くために今日ここに来たんだと思った。

ふつうとか当たり前とかそういう言葉を発する自分がなんか嫌だなと思いつつも、無意識に言ってしまう。
「そのあなたが言うふつうってなんなの?」って聞かれてもわたしはうまく答えられる自信がない。

映画を見終わった後に親友から来ていたラインの返事をしようと、トーク画面を開いた。

会話は親友が、就活で面接をしたのだが結果がくるのがあまりにも遅いというメッセージで終わっていた。
『ふつうならもう来てるはずよね。』
そう無意識に言葉を打ち込んでいた。
あ、でた。ふつう。

例えば今後のキャリアの話で「ふつうならこっち選んだ方が近道じゃない?」と言われムッとしたり、自分が悩んでいることに対して「それがふつうだから」と言われてちょっとホッとしたり。
ふつうという言葉は嫌悪感も安心感も与えてくれる。
あまりにも万能で便利な言葉すぎて、一体ふつうとは何なのかなんて考えることすらもなくなってしまった。

立ち止まりたい。立ち止まりたかったんだという気持ちをこの映画は思い出させてくれた。

めんどくさく生きていこうじゃないか。

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