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発達障害の私、自称発達障害に葛藤してしまう

Xなどで「自分はアスペだから」と言ったり、忘れ物をした時に「自分は発達障害だから」と言い訳をしたり。
検査をしていない状態で、そういうことを言う人が増えたな、と思う。
もちろん、私が、そういう人に複雑な気持ちがあるのも事実だ。
私は検査で発達障害とわかっていて、その上で、自分の特性が人様に迷惑をかけないように、発達障害と一生懸命向き合い、努力しているつもりだ。
だからこそ、そういう検査をしていないまま、発達障害を名乗っている人がいるのは悔しい。
「まずは検査を受けてみてくれ!!」(強い言い方ですみません)
と思ってしまう自分もいる。
私は、長年“自称発達障害”の人たちに、密かに怒ってきた一人だ。

「まずは検査を受けてから言ってくれ」

しかし、手放しにそうとも言えないな、と思ってきた。

上のつぶやきを読んでいただいたらお分かりだと思う。
そうだ。
検査を受ける、ということは残酷な目に遭うかもしれない、ということだ。
だから、自称発達障害の人に、まずは検査を受けてみよう、とは安易に言えないな、と思う。
自分の能力の低さに直面することは、思ったより残酷なことだ。
苦しいなんてもんじゃない。
涙も出ない。
自分が人より劣っているんだ、自分は今道を歩いているあの人やあの人より劣っているのかもしれない。
そのことを考えることは苦痛の他のなにでもない。

残酷、の一言であった。

もちろん、検査結果は、生きやすくなる手段にもなるだろう。
そして、検査結果の点数が低いからといって、人間として劣っているわけでは断じてない。
しかし、言わば言い方はすごく悪いが自分の「能力の通知表」という感じの発達障害の検査は、とても苦しいものでもある。

しかし、だからこそ“自称発達障害”の方に知ってほしいのだ。
私は、そういう残酷さを受け止めて、発達障害を名乗っていることを。
かんたんな思いで「アスペだから」「発達あるから」なんて言わないでほしい…なんて思ってしまうのは、私のわがままだろうか。

しかし、同時に私も“自称発達障害”だった時がある。
まだ検査を受ける前の18の時だった。
アルバイト先でミス連発でいじめられていた。
その時は、発達障害がある、と検査をしていないが思っていないとやってられなかったよな。
だから“自称発達障害”の人の気持ちもわからなくもない。
いや、わかりすぎるかもしれない。

“自称発達障害”

うーん、この問題、結構葛藤がある。自分の中で。
誰も責められないな。

(結構過激な記事になっちゃったかも…不快に思った方すみません)

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