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目の前にいる男はいつだって自分にふさわしい


その日、わたしは血まみれだった。

真昼のオフィス街。足元にポタポタと垂れる鮮血。
通った後に、赤い小花が点々と咲いている。振り向く気力はない。
パックリと裂けた胸から、たれ続ける血液。

この深手が、みんなに見えたらいいのに。

体の傷は見えるのに、心の傷は見えないなんて不公平だ。
見えたなら、たくさんの人が「大丈夫?」と駆け寄ってくれるだろうに。
甘っちょろい〝自分かわいそうトーク〟が浮かぶほど、わたしは落ちに落ちていた。付き合い始めた恋人に別れを告げられたからだ。

元カノ登場にあっさりと完敗。その日は部屋でバーボンの114をロックで飲み、泣きはらした目で朝を迎えた。
カッコつけのわたしは、精一杯の強がりと見栄を決め込んだ。幸せを祈ってるよ、と笑って別れを告げた。同じ職場で働いていたし、これからも働かなくてはならない。そんな現実がわたしをかろうじて奮い立たせた。

期せずして、彼からよりを戻したいという連絡が届いたのはそれから一週間後だった。元カノに会ったけれど、何か違うと感じたのだという。
わたしは大喜びで、再び一緒に過ごすようになった。

しかし、いつもお金がなく仕事のできない彼との付き合いは、いつしかわたし自身の時間と誇りをすり減らしていった。
なのに彼の弱さとだらしなさときたら、まるで黄金の蜜のように魅力的だった。
暗い底でくすぶっていたわたしの支配欲は常に満たされた。奇妙な幸せホルモンが絶えず脳をかけ巡った。気づけば食事を摂ることが減り、真冬なのに5Kg痩せていた。
「なんでそんなに痩せたの?」と職場の人に聞かれても、笑ってごまかした。
絶対に言えない。
わたしは絶対に誰にも言わなかった。

私たちは結局、3回別れて4回よりを戻した。
友達には「もうあかんやろ、それ」と言われていたけれど、それでも彼といることをやめられなかった。

4回目に別れた時は、まるで夜逃げのようだった。
バッグいっぱいにわたしの私物を詰めて、何もいわず彼の部屋を去った。お互いに痛みを最大に増幅しつくし、ようやくその関係は終わった。その後わたしは鬱になり、元気になるまで何年もかかった。

ある日の帰り道、ふと外人女性のモデルが佇む駅貼りポスターを見た時のことだ。

彼女が、わたしにこう話しかけたように見えた。

「あんた、なにやってんの?」

その言葉が脳を駆け巡った瞬間、視界がゆらり、とゆれた。
過去のフィルムがフラッシュバックのように甦った。

本当は、あの時。よりを戻したいって言われた時。


「わたしの涙を返せ!痛みの責任をとれ!」と腹の奥底でほの暗く思っていたこと。

彼に対する怒りと自分の悲しみと失望でいっぱいだったこと。

でも嫌われたくなくて、ニコニコしながら彼を受け入れたこと。

それを無意識のわたしがものすごく怒っていたこと。

それで、わたしに復讐することを決めたこと。

心を病んで病んで、丁寧にきちんと落ちるところまで落としたこと。


そんな因果の情報が、ダムが決壊するかのごとく怒涛のように頭を貫いた。

そうか、あれはわたしが自分でやったのか。
本当はあそこまで落ちる必要はなかったんだ。

ただ静かに悟った。

そして

「わたしに人を幸せにする力はない」

そんな思い込みの葉っぱがハラハラと枯れて落ちた。


こういう体験を、世の中ではなんと呼ぶのだろう。

神の啓示? スピリチュアルメッセージ? ハイヤーセルフの声?
よくわからない。

でももし、目には見えない癒しの力というものがあるのなら、間違いなく「癒し」だったとわたしは思う。

あの一瞬で過去が消え去り、空間が生まれた。
無意識レベルで決めて、自分が生み出したことがわかり、性格や運はいうほど関係のないことがわかった。

この恋愛は、どこまでいってもわたしを幸福にしない。
それを本当は知っていたにもかかわらず、執着し続けた理由。
それは「わたしを大切に扱う力のない男」が自分にふさわしいと思っていたからだ。

ふさわしいと思うものがふさわしいものとして、人生に現れる。
それさえわかれば、ただ穏やかに、経験を生かすだけだ。

じゃあ、わたしにふさわしい男ってどんな人なんだろう。

それは

自分のしている仕事を愛する男。

矛盾と葛藤をあわせもつ「人」という存在にYESを放つ男。

世界の理不尽がどれだけ流れ込んできても
それらが小さくたゆたうしかないほどの容れ物をもつ男。

どんな時でも
「なんとかなるっしょ」
「うまくいくようになってるから大丈夫」と笑う男だ。

ああ、それでいい。
いや、それが、いい。

胸がほっとして、力が抜けた。
視界がパッと明るくなった。

この時わたしは自分にずっと貼っていた、「幸せになれるわけがない人間」というラベルを、そっと剥がして捨てた。

あきらめるな。
いや、自分をあきらめている「フリ」をするな。

そう耳元で囁かれているように思えてならない。

無意識からの呼び声。
それは復讐ではなく「気づいて」という願いのサインだ。

いずれにせよ、男に振られるなんてたいしたことはない。
自分を裏切ることに比べたら、笑っちゃうほどどうでもいい。
そう思える自分がいる。

あれから何度も駅のポスターを見上げたけれど、外人の女性はもう二度としゃべらなかった。
外される前に、わたしはこっそりスマホで写真を撮った。

そのアルバムの中で、
いや、この胸の中で。

彼女は今もわたしを見おろしている。


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