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どうしようもない夜のこと。


いつもなら、きちんとしまっている蓋が
なぜか内側から外へ押し出されて
ふわっと浮いてしまう時がある。
 

みたくなかった
気づきたくなかった
認めたくない色の水があふれる時がある。
 

いつもは大丈夫なのに
うまく見ないようにできているのに。
 

でもうまくいかない。
 

しょうがないよ。
 

きょうは満月だもの。
 

そう、不思議なことにそういう夜はたいてい満月なのだ。
眠れなくて心がうろうろするとき。
ハッとしてカレンダーを見ると満月なのだ。
 

12月12日の満月の夜、わたしはカリブ海を進む船の中にいた。
 

朝の5時に目覚め、同室の人を起こさないように真っ暗な部屋を着の身着のままで外に出た。
 

誰もいないデッキの上にはでっかい満月があって、星も輝いていて、ぼうっとそれをただ眺めていた。
 

甲板を洗っていたインドネシア出身の船員さんが、丸まったバスタオルをそっと渡してくれたのを受け取る。
わたしは頭の下にそれを置いて、寝そべったままさらにぼんやりと月を眺めていた。
 

なにも考えが浮かばなかった。
一生懸命探したのだけど、なにもない。
何かに気づきたいのに。受け取りたいのに。
早々にあきらめた私は、ただ風に吹かれて月を見ていた。
 

そのうちに船の進む方向が明るくなってきて、まもなく日の出だと知った。
ふっと見下ろすと、いつのまにかたくさんの人が朝日を見に集まっているのが見えた。
 

同じ船に乗っている気の良い夫婦が小さな息子と一緒にやってきて、わたしたちは一緒に月と満月を眺めた。
 

ちいさな男の子は何度教えても嬉しそうにわたしを「アチコ、アチコ」と呼び、きゃっきゃと二人で笑いながらじゃれあい、遊んだ。
  
 

特別なことはなにもなかった。
 

でもなんでだろう。
 

10日間のカリブの船旅でたくさんのものを見て、食べて、歩いて、感じて、眠って、出会ったはずなのに、この時のことで胸がいっぱいになる。
 

もし自分の心に上手に蓋ができていることが
うまくいってることと思いこんでいたら
そっちの方が危ないのかもしれない。
 

本当に起こっていることは
きっとその逆なのだから。
無理して笑っているほうがやばい。
 

そういう夜が多かったのに
なぜだろう、そんなことさえも浮かばない。
ただ、なにもない空間がわたしを満たしているだけの不思議な夜だった。いや、同時にそれは朝でもあった。
 

自分と2人っきりの静寂は
いろんなものを引きずり出し、
嵐のようにもっていってくれる。

嵐はすばらしい。
 

あふれるって素晴らしい。
 

涙も素晴らしい。
 

泣き疲れた子どものように眠ることも。
 

そして沈みゆく月と上がってくる太陽を、目の前にいる男の子とお母さんとお父さんと笑いながら楽しむことも。
 

逆風という嵐を
一瞬で静寂という追い風に
戻すには
素直になること。
 

いまは素直にそう思う。
 

一番大事なものがわかった旅になった。
わたしにとってそれはやっぱり人で、人で、人しかないということ。
もう迷うことはなかろう。
 

そんな自分の胸の中の世界を大切に生きる。
そしてそれは胸の中だけじゃない。
目の前の世界のことでもあるのだから。


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