見出し画像

息をするように本を読む79〜シェイクスピア「ベニスの商人」〜

 シェイクスピアの作品を初めて読んだのは小学生の頃のこと。
 「マクベス」「リア王」「ハムレット」「オセロ」…。
 「ベニスの商人」もそのときに読んだ。

 もちろん元々の戯曲ではなく、子ども用の物語本に書き直されたもので、わかりやすいようにストーリーはかなり単純化されていたと思う。
 そのときの私の印象は、美しくて賢い女性が窮地に陥った愛する夫の親友のために、残忍で意地悪な高利貸しの男をやり込める痛快な勧善懲悪物語、というものだった。
 
 高校生になって、文化祭で英語サークルが「ベニスの商人」を英語劇でやることになり、その練習を見学したり脚本を見せてもらったりする機会があった。
 全編を上演するのは長過ぎるので、実際に演じるのは有名な法廷のシーンだけだった。
 シェイクスピアの英語は古くて、ところどころ(いや、かなり?)わかりにくいところもあった。何度も見ているうちにだいたい理解できるようになった。
 
 そして、子どもの頃の印象とはずいぶん違って見えることに気がついたのだ。

 物語の舞台は、中世のイタリア、ベニス。ヨーロッパ随一の商業都市国家。船をたくさん所有する商人たちが外国相手に手広く交易をして巨万の富を得ていた。

 アントニオは若く裕福な商人。敬虔なキリスト教徒で街の人々の人望も高い。
 彼にはバッサニオという親友がいた。
 バッサニオはベニスの名士の生まれなのだが、父は既になく家は裕福とは言い難い。
 そのバッサニオが、ある資産家の令嬢に恋をした。彼女の名はポーシャという。
 美しく賢いと評判のポーシャには結婚を申し込む者が大勢いたが、彼女の父の遺言により父の残した課題をクリアした者でなければ結婚することはできない。
 その課題はなかなかに難しいらしく、未だクリア出来た者はいないという。
 そしてその課題に挑戦するには大金が必要だとか。

 大金を用意することが出来ないバッサニオはアントニオに貸してくれるように頼む。親友のたっての頼みを聞いてやりたいアントニオだったが、ちょうどそのとき、アントニオの船は全て商売のために出航していて彼の元には大金の持ち合わせがない。
 アントニオが親友のために金を借りることにした相手は、シャイロックというユダヤ人の高利貸し。
 シャイロックは普段から欲深の守銭奴との悪評高く、アントニオとは犬猿の仲だった。
 金を貸してくれと言ってきたアントニオにシャロックは愛想よく、おいくらでもお貸ししましょう、いや、担保も利息もいりません、と言う。
 その代わり、これを機会に2人の間のわだかまりを無くすためにちょっとした戯れをしませんかと言い出した。
 その戯れとは、もし万が一アントニオが金を期日までに返済出来なかった場合には、シャイロックは借金のかたとしてアントニオの身体のどこからでも、その肉を1ポンド切り取ることが出来る、という証文を交わすというもの。
 バッサニオは反対するが、アントニオはシャイロックの巧みな挑発に乗って、証文にサインをしてしまう。

 バッサニオはその大金を持ってポーシャの元へ行き、まあ、いろいろあったが課題に合格し、ポーシャと結婚できることになる。
 幸せ一杯のバッサニオのところへ、悪い知らせが届く。
 それは、非常に有りがちな話なのだけど、航海に出ていたアントニオの船が嵐に遭って全て行方を断ち、シャイロックに借りた金を期限までに返せなくなったということだった。

 バッサニオは急いでベニスに戻り、シャイロックにアントニオが借りた金を2倍、いや3倍にして返すと言うが(何せ、彼の妻になったばかりのポーシャは大金持ちだ)、シャイロックは承知しない。
 期限までに返せなかったのだから、証文どおりにアントニオの肉を1ポンド切り取らせろと、ベニスの大公に訴え出た。
 法に照らせば、シャイロックの主張を認めざるを得ない。たとえそれが戯れに交わした証文であったとしても、そしてそれが明らかにアントニオの命を奪うことを狙っているとしても。
 
 こうして、街中の耳目を集める前代未聞の裁判が開かれることになった。

 ネタバレをしてしまえば、アントニオは肉を切り取られずにすむ。シャイロックは不届きな企ての罪で罰を受けることになり、万事めでたしめでたし、で終わるのだけど。
(その経緯についてはここには書かない。ご存知ない方はぜひ読んでみてください)
 
 子どもの頃には納得したこの結末がどうにもモヤモヤした。
 
 シャイロック、気の毒過ぎないか?
 そりゃ、確かに借金のかたに肉1ポンドなんて悪趣味に過ぎるだろう。あわよくば、アントニオの生命を奪うことも考えていたに違いないし。
 しかし、事ここに至るまでのアントニオとシャイロックの関係性には問題が山積しているのだ。
 
 『敬虔な』キリスト教徒であり、若く裕福な商人でイケメン(たぶん)で街の皆から敬われているアントニオ。
 かたやユダヤ教徒で高利貸しのシャイロックは、その取り立ての苛烈さゆえに街の人々から鬼だの守銭奴だのと言われている。そもそも、金貸しで生計を立てていることからして、人々から蔑まれているのだ。
 アントニオもシャイロックに会うたび、金の亡者だの人非人だの、結構な罵詈雑言を浴びせている。

 いやいや、ちょっと待て。
 金貸しの何が悪いのだ。確かにこの時代の法規では、グレーゾーンどころかとんでもない高利が適用されていたかもしれないと思われるし、多少(?)えげつない取り立てもあっただろう。
 それでも、シャイロックだって仕事でやっている。ユダヤ教徒であるシャイロックには多数派であるキリスト教の教会の庇護はない。不動産の所有や就く職業にも制限がある。
 そんな中で自分にできる仕事、金貸しをして、家族を養ってきたのだ。
 だいたい、借りたものを返すのは当たり前ではないのか。鬼だの守銭奴だのと言われるのはどうにも解せない気がする。

 おまけにこの事件の少し前、シャイロックの娘があろうことかキリスト教徒の男性と恋に落ちて駆け落ちしてしまったのだ。
 シャイロックは怒り狂い、娘を勘当し親子の縁を切ってしまった。
 これに関しても、確かに物分かりの悪い頑固親父であるかもしれないが、この時代、親が子どもの縁談に口を出して反対し、挙句勘当する、なんてよくある話だろう。人非人扱いされる謂れはないと思うし、まず第一に大切に育てた娘に背かれた哀れな父親の怒りは如何許りだったろうか。
 
 自分を常に蔑み馬鹿にし、あまつさえ1番大事なものを奪っていったキリスト教徒たちの代表であるアントニオに意趣返しをしようとしたシャイロックの気持ちは、共感できないまでも理解はできる。

 シャイロックはアントニオに復讐することは叶わなかった。せめてバッサニオから返金してもらおうとしたがそれも却下された。
 更に、シャイロックは『敬虔なキリスト教徒に害をなそうと企んだ罪』により財産を半分没収され、勘当した娘に委譲されることになる。
 しかも、まだある。このうえ更に、キリスト教に改宗することまで強制されるのだ。

 ここまでするか。ちょっとやり過ぎではないのかと思った私は甘いだろうか。
 子どものときに読んだ本にはここまでは書いてなかった。

 物語にはその時代々々の背景や事情があり、別の時代に生きている私たちがあれこれ言うことはできない。
 この時代、こういう風潮は当たり前だったのかもしれない。良いか悪いは別にして。
 
 シェイクスピアがこの戯曲を書いた本当の意図や思いは、彼本人にしかわからない。
 この戯曲の区分は、一応、喜劇、ということになっている、らしい。
 しかし、このあまりにありがちな展開、テンプレートな登場人物たちには、何らかの風刺や皮肉、もしくは抗議が込められているのでないかと思うのは穿ち過ぎだろうか。
 シェイクピアに尋ねてみたい気がする。
 
 本を読むことは私には特別のことではない。生活の一部であり、呼吸することと同じことだ。
 
 シャイロック、あまりに可哀想じゃないのかと私が感じたのは、この高校生のときの英語劇でシャイロックを演じた2年生の先輩の演技が真に迫っていたから、というのもあると思う。

 「ベニスの商人」のシャイロックは近年、さまざまな評価や考察を経て、ある意味では人間味溢れる魅力的な悪役キャラとして演じられることも多いと聞く。
 シェイクスピア、まさかこれを狙ってた?とか。

#ベニスの商人 #シェイクスピア
#読書感想文 #読書好き
#あくまで個人的感想です

 

この記事が参加している募集

読書感想文