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息をするように本を読む66 〜東野圭吾「天空の蜂」〜


 この小説は1995年に刊行され、1998年に文庫化された。
 東野圭吾氏が着想から5年をかけて執筆した渾身の自信作だったが、当時、著者の言葉を借りれば「びっくりするほど売れなかった」そうだ。

 1995年といえば、「もんじゅ」でナトリウム漏洩火災が起きた年だ。
 日本で2台目の高速増殖原型炉「もんじゅ」はその後も事故や不具合が続き、ほとんど稼働出来ないまま廃炉が決定している。

 そんな中、フィクションとはいえ、原発を狙ったテロ事件を扱った小説は各方面からあまり歓迎されなかったのかもしれない。

 物語は、福井県敦賀半島の北端に位置する架空の高速増殖原型炉「新陽」が舞台だ。
 所在地と名称が実在する施設を連想させる。

 夏のある朝、「新陽」近隣の灰木村の住人たちはときならぬ爆音に驚かされる。
 見上げると、超大型のヘリコプターが上空を飛んでいく。そして、やがてそのヘリは「新陽」の原子炉の真上、数百メートル上空にピタリと止まった。

 その頃、「新陽」発電所、原子炉・核燃料開発事業団本社、福井県庁、科学技術庁、通産省、灰木村役場、敦賀警察署、その他、合わせて15箇所に、同文のファックスが届いた。
 それは、そこに書かれた要求を呑まなければ、「新陽」に爆弾を積んだヘリコプターを墜落させる、という内容だった。
 そして、当然だがヘリコプターに積まれた燃料には限りがある。
 タイムリミットは、およそ6時間。
 それを過ぎれば要求を呑む呑まないに関わらず、ヘリは墜落する。

 そのヘリコプターは、CH-5XJ、通称ビッグB と呼ばれる海上自衛隊の掃海ヘリで画期的な装備が搭載されていた。
 完成したばかりで、納品前に開発企業でお披露目を兼ねたテスト飛行が行われるその日、何者かにその画期的技術を悪用されて遠隔操作で開発企業の敷地内から盗まれ、「新陽」の上空へ無人自動飛行で飛んできたのだ。
 
 「天空の蜂」を名乗る脅迫者の要求は、「新陽」以外の日本中の稼働中、点検中の原子力発電所を全て使用不能にしろというものだった。

 ファックスを送りつけられたそれぞれの現場で、その立場、信条、思惑、によって起こる戸惑い、混乱が描かれていく。

 政府・通産省、科技庁としては、原発を全部停止するなど考えられない。全国の電気使用量の4割近くは原発によるものだ。しかも、季節は夏。年間で最も使用量が多い。

 福井県庁は、万が一、ヘリが墜落したときのことを考えて緊急時避難計画に則って防災対策をしようとするが、このタイミングで避難、というのはどうだろうという話になる。
 「新陽」誘致の際の住民に対する説明会では、原発の上空は飛行機は飛ばないことになっているし、もし仮に何かが墜落したとしても、絶対に放射線漏れなどに繋がる事故にはならないと明言したはずだった。
 まだ何も起こっていないのに避難指示など出したら、原発はやはり危険ということになるのではないか。

 「新陽」の所長はじめ職員たちも対策に苦慮する。彼らにとっては原発はちゃんと扱えば決して危険なものではない。そう思わなければここで仕事はできない。
 しかし、上空数百メートルから爆弾を積んだヘリが落ちてくるなどということは想定されていない。計算上では、堅牢な原子炉の建物は生半可な爆弾で破壊されることはないことになってはいるが、実際どうなるかは誰にも分からない。
 想定外の事態に右往左往するばかりで全く当てにならない政府と炉燃本社の指示を待ちつつ、自分たちで出来る限りの対策を考える。
 最悪を考えて、最善を尽くす。ただ、最悪は起きないと皆、信じている。
 その一方で一般市民からの「どうなっているんだ、説明しろ」という電話はジャンジャン鳴り、皆その対応に追われる。
 そんなに心配なら避難すればいいでしょうなどとは、まさか言えるはずもない。

 「新陽」のある灰木村は、小さな海水浴場があり、夏休み中ということで観光客もたくさん来ていた。灰木村役場に届いたファックスの噂はじわじわと広がり、「新陽」の上でホバリングしている巨大なヘリの不気味な姿も相まって、観光客は一斉に帰路につき、それに触発された地元民のかなりの人数が自主避難を始めて付近道路は大渋滞になった。

 テレビニュースでは、にわかに集められた知識人や専門家たちをアナウンサーやコメンテーターが質問責めにしている。

 遠く離れた都市部では詳しい状況が知らされることもなく、節電への協力が呼びかけられて、工場のラインが停止され商業施設や企業、役所、公共交通機関の冷房が止められる。
 人々は汗を拭きながら、わけの分からない事件を起こした犯人に不満と怒りを洩らす。
 
 「天空の蜂」を名乗る犯人は誰で、その目的は何か。
 彼は、誰に何を突きつけようとしているのか。

 ある原発開発に携わる技術者が航空機技術者に言う。
「絶対に落ちない飛行機があるかい? ないよな。残念だが事故は起きる。技術者の君たちがそれに対してできることは出来るだけ事故の確率を下げることだ。だが、確率を限りなくゼロに近づけることは出来ても、ゼロにすることは出来ない。後はその確率への努力を評価してもらうしかない。俺たちも同じなんだ」
 反対派市民団体の代表は言う。
「技術に絶対ということはあり得ない。だから、絶対に安全などということは言えないはずだ。絶対でなければ存在は許されない」
 両者の言い分は交わることはない。
 
 こう書くと、堅苦しい社会派小説?と思われるかもしれないが、そこは東野圭吾氏、ちゃんとハラハラドキドキのエンターテイメントな場面が幾つも用意されている。
 詳しくは書かないが、無人で遠隔操作されていると誰もが、犯人すらも思っていたヘリコプターに、なぜか子どもがひとり乗っていることがわかった。早く助けなければならないが、ヘリコプターの位置や高度を変えることを犯人は許さない。
 この不可能に思われる空中での救出劇が物語の前半の山場になる。

 そして後半では、県警と警視庁の刑事たちの必死の捜査で犯人がじわじわと追い込まれていき、ヘリコプターの燃料切れのタイムリミットも迫る。
 手に汗握る展開に次々とページを捲ってしまう。
 文庫本で600ページを超える長編だが、作品の中の経過時間は10時間ほど。半日も経っていない。圧倒的な迫力とスピード感が満載だ。
 
 本を読むことは私には特別のことではない。生活の一部であり、呼吸することと同じことだ。

 
 この小説が書かれたのは27年前。
 まだ、東北沖地震の津波による福島原発事故はもちろん、東海村JCO臨界事故も起きていなかった。
 小説はときに、未来を、歴史を先取りすることがある。
  
 この小説を読んで、あなたが何をどう思うか。それはそれぞれの自由だ。
 読者にいろんなことを考えて欲しい。
 それが著者の思いなのかもしれない。
 

**追記**

 福島原発事故までは日本には54基の原発が存在し、当時の原発による発電量は全発電量の約30%を占めていました。
 2021年現在、日本で稼働中の原発は5ヶ所、定期点検中のものを含め10基で、全体の発電量に占める割合は5%ほどになっています。

 この作品の題材についてはさまざまな意見をお持ちの方もおられるかもしれませんが、この記事はあくまで本の感想文として書きました。
 ご不快に思われた方がおられましたら申し訳ありません。

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