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受験体験記(高二まで)

新しく大学生活が始まって色んな経験をする中で、受験の記憶が薄れて美化されつつあるので、ありのままを文章にして残しておきたいと思ったので体験記として書きます。
メモ程度ですが参考にできそうなところは参考にしてください。

中学まで

よくテレビで語られるような天才エピソードはないです。両親ともにあまり高学歴ではなく、やや裕福な家庭でのびのび幼少期をすごしました。小さい頃からこだわりは強く、トミカをひたすら床に並べたり、チラシをクルクル巻いてできる限りほっそい棒を延々と作ったりしていたらしいです。
幼稚園で公文を始めました。CMを見て何となく楽しそうと思って始めたのですが、これが人生にかなりいい影響をもたらした気がします、公文のことはまた後ほど書きます。
小学校でもなんとなく真面目に過ごしているだけでこれといった特殊なことはしていません。テストは普通にこなしてほとんど満点みたいな感じで、小学校の中ではかなり賢い方だったのかなと思います。こういうところからちょっとずつプライドが形成されて、負けず嫌いな性格が作られたんだと思います。習い事としてはずっとやっていた公文に加えて硬筆と水泳と英会話をその時々でやらせてもらってました。習い事はほどほどにして友達の家でゲームをしたり鬼ごっこをして遊んでいたり、勉強漬けという感じではありませんでした。
唯一公文はかなり頑張っていて、通っていた教室の方針として自分でやる量を決めて進めることができたので、難しい教材に取り組んで県内の他の子たちの進度に追いつけ追い越せと躍起になっていました。小六の終わる頃には数学の最終教材を終えていて、認定テストみたいなものも受けた記憶があります。


世の中でも公文の評価は色々あるとは思います。僕個人の意見としては、公文の利点はみっつあると考えています。
1つには、各教科の基礎的な力が着くことがあります。幼い頃から英語や算数、国語の勉強に触れることで、英語への感覚を培ったり、計算力や読解力を積上げていくことが出来ると思います。これは大学受験で処理力としてかなり役立つことになりました。
2つ目としては、学習習慣が着くことが挙げられます。日頃から宿題をいやでもさせられることで、勉強ってそんなもんだと思うようになります。洗脳に近いと言えば近いです。
3つ目は、主体的に学ぶ姿勢が身につくことです。上の学年の内容をしようと思えばいくらでもできるので、子供の興味がそこに向けば、自分で考えて主体的に学ぶようになると思います。もっとも、これは僕の通っていた教室と僕の性質が上手くいったからこその利点だと思うので、全員に当てはまることではないとは思います。ひたすら強制的にやらせるというやり方では、かえって勉強を嫌いになったりする可能性もあります。世の中の親御さんたちにはぜひ子供の性質を上手く見極めて、くもんやその他の学習塾に入れるかどうか考えて欲しいと思ってます。


公文の話ばかりになって面白くないかもしれませんが、本当に小学校の勉強としてはくもんしかやっていなかったので仕方ないとしか言いようがないです。親は詰め込み教育は不要だと思ったのか、世間一般の中学受験のやり方を知らなかったのか、僕を中学受験用の塾には入れませんでした。結局中高一貫の智辯和歌山に入ることになりますが、これは一般受験ではなく、いわゆる公文推薦的なものではいっただけで、中学受験の知識はほぼゼロ、入試の時も数学はほぼ解けなかった記憶があります。
もし中学受験から真剣に取り組んでいたらと思うことは結構あります。でも周りの話聞いてるとしんどそうすぎてやらなくてよかったとも思います。結果的に医学部入れたのでなんでもいいと言えばなんでもいいです。


こんな感じで、中学受験で培われる知識や能力を持たず、公文で手に入れた処理力だけを携えて智辯和歌山に意気揚々と入学します。
(書き忘れていましたが、ちょっと天才っぽいエピソードとして、小学校の授業がつまらなすぎて親に泣きついたというのがあります。妙に公文で知識を得たせいで知的探究心マシマシのクソガキになっていました。それもあって智辯に行ったらもっとレベルの高い授業を受けて満足できると考えて入学を楽しみにしていました。この期待感は入学していくらかたつと粉々になりましたが。)

中学編

中学1,2年はひたすら授業を聞いて定期テスト対策をしていました。中受の積み重ねがない分理科にはだいぶ苦労しましたが、地頭というか要領は人に比べてもそこそこ良かったらしく、10〜20番、いい時は1桁順位をとっていました。模試だとちょっと良くなって2位あたりをとっていた覚えがあります。大学受験の何たるかを知らず、鉄緑なんて全く知らなかったので、このまま筑波大学の工学部とかに入れたらいいなぁとかぼんやり考えてました。
陸上部として部活にもそれなりに力を入れて取り組んでいて、この頃が1番人間として充実していた気もします。
(カッコつけて勉強しなくても定期テストは取れたみたいな書き方をしましたが、普通に鬼ほど勉強していました。問題集の出題範囲を5周したりしていて、やりすぎで親に勉強もうちょい少なくしたら?と何回か言われるほどに謎の執念を見せていました。こういうところに負けず嫌いが出ていたのかなと今になって思ったりします。)

"地方の進学校でまあまあ賢いやつ"が変わり始めたのは、コロナ禍からです。そもそも僕の家のルールとしてゲームは基本1日1時間と決められていたので、コロナ禍にあってはやることがありません。何をするかと言ったら残されているのは勉強です。当時河野玄斗さんとかが勉強配信を始めていて、それに乗っかって数学IAの黄色チャートをひたすら解いて10時間勉強をしてみたり、YouTubeで勉強法を調べてみたりして、自然と大学受験へと意識がむくようになりました。この辺でなにかのチャンネルを見て鉄壁を買って覚えようとしたり英検2級を取ろうとして英語学習をしっかり始めました。(準2級までは小学校のうちにとっていました。)

目標が変わると人は変わります。
自分はもっと勉強したいのに、学校は重くて使い物にならないと評判になっていたClassiを導入して案の定使い物にならなかったり、授業の配信をしようとするもグダグダになったりと、僕のやりたいこと、得たいものとは程遠い。こんな状況にあっては学校に不信感が募ります。勉強系のYouTubeを見漁っていたのも影響してか、独学が1番早い、信じられるのは自分だけだという思いが強くなっていきます。思えばこのあたりからなにか勉強に関してねじれた感情を持っていた気がします。
勉強面だけを取ってみれば、この作戦は大成功、英検2級をとって鉄壁、パス単準1級を覚え初め、英語力に関してはどんどん伸びていきます。1度波に乗ると楽しくなってくるもので、数学1A2Bのフォーカスゴールドをやったり、英文解釈の参考書をやったりして、その後に活きる盤石な基礎力を身につけます。
反面これだけ自分のやりたい勉強をするには学校を犠牲にする必要があります、内職を始めたのはこの頃です。もちろん取り上げられたりもするので、その度に僕は自分が思う正しいことをしているのに邪魔してくるんだ、と反抗期を存分に発揮していました。授業に出るのが嫌で嫌で学校の図書館にこもっていたらバレて親が呼び出されたこともあります。
学力爆上がり、社会性爆下がりです。

この頃の志望校は京医です。これは高二まで変わりませんでした。
京医にしたきっかけは、YouTubeでクリリンさんを見たことです。彼のチャンネルを見た人なら分かると思いますが、受験を根性論で乗りきった感じががあって、そこが負けず嫌いの僕の性格と上手く親和してこれだ!となって、どうせならくりりんさんが受かった京医に行きたいと思ってめざすようになりました。
その辺のおすすめの関係でベテランちさんの動画も見てみたりして、理IIIとか鉄緑みたいなワードをそこでようやく知った覚えがあります。
あかさたなとしてTwitterを始めたのもこの辺です。


受験の知識をネットで吸収して、社会性をかなぐり捨てて知的好奇心だけを追い求めるようになった独学少年が中3の一年で完成したわけです。準備は万端、華の高校生活に入ります。


多少勉強面以外の話をすると、コロナ禍で陸上があまり出来ず、練習できたとしても自分一人でしないといけないみたいなこともあって、やる気でいようとしていてもなにか間延びしていて口で言うほど身が入ってなかった気がします。頑張ってはいましたがコロナの関係もあって最後の大会も10月くらいまで伸び、ちょっとなあなあになりすぎたなと言うのが心残りな部分でもあります。高校には運動部は無いので、引退のタイミングでかねてから入りたいと思っていた吹奏楽部に入りました。でも中三の学校への反感マシマシの頃だったので、勉強以外あんまりしたくなく、部活もほとんど行かないみたいな時期もありました。多少精神的な不調もあったのかなと思います。恋愛面も中三で1回挫折しました。色んな条件が僕を受験に仕向けていました。


余談ですが、智辯には中学から高校に上がるタイミングで形だけの卒業式をするのですが、(ほかの中高一貫でも同じかもしれません)当時の僕は思春期をこじらせてバカみたいにとがっていたので、講堂でパス単の単語をメモした紙をずっと眺めていました。執念がすごくてキモイと今になっては思います。


高校編


ついに高校に入ります。もちろん智辯和歌山です。高一は変化の1年だった気がします。変わらず怖いくらいの執念で英単語帳を覚え、驚くほどのスピードでフォーカスゴールドを周回していましたが、どんどん自分のレベルが上がっていって、より難しい単語帳や問題集、参考書を解くようになっていました。確か高一の途中くらいからパス単1級に移ったと思います。この頃には英語に関してかなり自信がついていました。


高一の後半で東進の本番レベル模試を初受験しました。Twitterでもよく見るしまぁ受けてみるか、のノリです。ただ結果が思っているよりも良かった。
以下高一の東大京大本レです

なんか高い。思ってるより高い。
割とできてて嬉しかったです。
ある程度完成していた英語に引っ張られて全体としては普通に悪くない成績でした。
このまま行けば京医も現実味を帯びてくる、そう思ってワクワクしていました。

全体的に高一はすごくいい一年でした。
上にあげた成績だけでなく、英検1級も最終的に面接落ちまで持って行けるほどになったし、相変わらず学校は程々にしか行ってなかったけど、文化祭では参加したクラス企画が校内の全体投票で1位を取ったり、吹奏楽部も精力的に参加するようになっていました。家族会議の末、鉄緑の数学にも通えるようになりました。カラオケに行ったりイルミネーション見に行ったりユニバに行ったり、遊びも満足に楽しんでいました。


高二になってもしばらくは同じです。
相変わらず遊ぶ時は遊んでいたし、部活も最上級生としてそれなりに取り組み、文化祭では趣味の手品を披露してみたりと色々楽しんでいた一方で、勉強面でも鉄緑のおかげで数学もかなり伸びたし、英語はさらに磨きがかかっていました。
以下京大本レの6月と10月です。学力の伸びが見てわかると思います。

まさかの医学部Cが出た。
やっぱり英数が強いと判定も良く出ます。理科は本当に最小限の知識しかなかったですが、それを補える力があるんだと思って、かなり自信になりました。


当時は京大志望ではありましたが、東大実戦も一応受けて見ました
以下結果です

これもめっちゃいい。まさか理一Aが出るなんてって感じでした。
これを見るとさすがにちょっと揺らぎました。理IIIを目指せるかもしれない。なんなら一旦理3志望にしていたような気もします。そのくらい自信になった。
加えて鉄緑のクリ模試も手応えは悪かったですが英数ともにA1ラインは超えていました
全体的に成績が上手く行き過ぎてて自分でもちょっと怖かったです


ここまで見ると色々上手くいっているように見えますが、相変わらず授業にはちゃんと出ていません。むしろ状況はより悪くなっていました。
高一まではやりたいことがあるから授業を聞かない、というふうに授業を聞かない程度で収まっていたのに対して、高二では学校に行っても何もないのにわざわざ行く意味がわからない、学校に行くのが辛い、と次第に思うようになっていました。
負けず嫌い由来なのか我が強く、自分が正しいと思うこと以外の理不尽なことは頑として聞き入れない性格だったので、学校の先生とも衝突することは何度がありました。
ただでさえ行きたくなかった学校に、引き止めてくれていた部活も文化祭を境に引退です。自分の精神の不安定さと理不尽な校則や叱責への不信感、勉強に対する焦燥感的なものがまじってか、何もしたくなくなくなりぼーっとすることが増えました。
学校に行きたくなくて、学校の最寄り駅をとおりすぎてほかの駅にミスドを食べに行ってみたり、学校とは違う方向の電車に乗ってみたり、時たま遅い電車に乗って学校に行こうと思うと自然と涙が出てきたりと、なかなかしんどかったときもありました。
いちばんしんどかった時を挙げろ、と言われたら、受験期よりも高二を挙げると思います。
今考えると、目標も何もなくただ漠然と勉強するのがしんどかった理由なのかなとも思います。


相変わらず模試の結果はそんなに悪くはなかったです。東大志望にすることも考えたので東大最終本レを受けて確かC判定あたりをだしたり、京大同日もどきみたいな模試ではかなりいい成績を残していました、以下その京大模試です

国語抜きですが、国語40程度で換算すると京医合格ライン-50くらいの点数は取れていたと思います。


このあたりで東進でハイレベル物理を終了し、物理に関してはある程度取れるようになっていました。化学はほとんど触れておらず、普通に浸透圧を知らないくらいのレベルです。

高二を締める模試は、理科は穴だらけながらも、頑張った英数を頼りに意気込んで迎えた東大同日です、結果は

そうです、2日目の英語と理科を受けませんでした。というか受けられませんでした。一日目の手応えの悪さもありましたが、色々考える中で先程書いたような不安感がやってきて、電車の中で急に何もしたくなくなり、バスで大きな書店に参考書を買いに行って、結局何も買わずそのまま近くの駅に3キロくらい歩いてそこでぼーっとして結局そのまま家に帰りました。
帰る前の駅で綺麗な夕焼けを見て、なんとも言えない無力感に包まれた記憶があります。


なんとも言えない後味の悪い文章になりましたが、このnoteは一旦ここで終わります。受験や生活面で起伏があったのは高二までで、高三では無理のない程度にやりたい勉強をやって模試でそれなりにいい成績をとるだけで、それを書こうと思うとちょっとここで書いていることとは趣向が変わると思ったからです。
高三の記録はまた別で書こうと思います。模試結果中心にまとめる予定でいます。では。

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