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思考停止しないために(後編)【思考と表現4/7】 #8

【思考と表現】シリーズ全7回中の第4回です。
お時間ありましたら、第1回からお読みください。

[思考]を[表現]する

“整った”状態を詳しく言い換えるならば、自分が考えたことが“認識できる”状態です。
自分で[思考]しているのだから、自分が考えていることは常に自分で“認識できる”状態になっているに違いないと思ってしまいそうです。
しかし、かつての私は[思考]が空回りして、“[思考]しているつもり”になっていたことの反省を踏まえると、自分の[思考]が、きちんと自分で“認識できる”状態になっていることをあえて確かめていく必要があります。
では、どのようにして自分の[思考]が“認識できる(整った)”状態になっていることを確かめたらよいのでしょうか。
この問いに対する私からの提案は、「[思考]を[表現]する」です。
つまり、平たく言うならば、「自分が考えたことをアウトプットする」ということです。

[表現]するとは

あぁ、はいはい、意識高い系の人が大好きな、“あの”アウトプットね。
ちょっと待ってください。
誤解を避け、共通理解を図るために、いくつかのポイントを確認させてください。

1つ目に、ここでのアウトプット([表現])とは、インプットして外から仕入れた情報を、そのまま機械的に再現するものではありません。
[思考]という創造的な営みやその結果を、言語化や視覚化することによって身体の外側に表出させ、他者もそれを“認識できる”かたちにすることを指します。(自分が考えたことを、文章にして書いたり、人に説明したり、図に表したりするということです。)

2つ目に、ここでの[表現]は、[思考]が正常に機能していることをチェックする役割をもっていることが重要です。
もちろん、“あの”アウトプットにも、インプットした情報をきちんと理解しているかや、記憶しているかを確かめる機能があります。
そして[思考]するために、外部から情報という材料を集める必要があることも確かです。
しかしここで強調したいことは、[表現]は単に情報の理解や記憶を確認するためだけのものではなく、[思考](自分が考えたこと)が“認識できる”状態になっているかを確かめるためにあるということです。

「[思考]を[表現]する」ということについて次の一文で簡潔にまとめます。

[思考]を[表現]することによって、自分が[思考]したことがどんなものであるのかを明らかにし、自分がきちんと[思考]することができているのかを確かめることが可能となる。

これが今回の全体を通したテーマの核心部分です。

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