僕は沼にハマれない
ハマった沼について語る必要がある。うーむどうしたものか。
趣味は多いほうなのでハマったものについて書けばいいのかと思いつつ、「沼にハマる」という表現になるほどではないんだよな。
アイドルにハマっている知人がいる。直近だとWBCにハマっている友人もいる。共通のセリフは「応援したくなる」だ。おぉなるほどなぁ。
応援したいという気持ちはないわけではない。日本代表の活躍を見ていて気持ちよくなる気持ちもある。だが、一歩引いているのが正直なところだ。
「あなたは自分以外に興味がないものね。」
妻から言われたセリフである。まぁ相対的にいえば、そうなのかもしれない。ハマっている人たちが、その対象物に対して熱心に応援をしているとき、「よくもまぁそんな自分事のように応援できるな」と思っている。
「あなたは応援というより、サポートよね。」
あぁなるほど。そうかもしれない。
奥さんは絵描きを生業にしていて、僕は彼女を全力で応援している。だが、その根底には「結局は彼女の活動であり、他人事である」という意識である。
多少の金銭的なサポートや、心理的なサポートを僕がすることがあっても、絵を書いているのは彼女であり、絵が評価されるのは彼女の努力によるものである。
「けれども、自分事のように応援するのって、気持ちがいいのよ。」
いや、それなんだよね。好きなものを素直に応援できる人をその愉しみを知っているてんではすごいと思うんだけど、人の努力で気持ちよくなる感じにも見えて、あまり魅力をえないんだよなぁ。
奥さんの絵が評価されたとき、それはとても嬉しいけど、僕が喜びすぎることは控えるようにしているかもしれない。貴方の努力の結果を、自分事のように喜ぶことは、適切でない気もしていてね。
「へぇー。まぁあなた別に愉しみあるじゃない」
まぁね。だから、まぁいっかなーって思っている。
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