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うろ覚え潰瘍性大腸炎日記① 初めての入院

こんにちは、赤沢たまねぎです。今回は読み応えのある内容にしたいなと思い、通信制高校時代に潰瘍性大腸炎になった時のお話をしたいと思います。 

(言い訳)時々ざっくりと解説をいれますが書いてる人は専門家ではありません。また色々とうろ覚えです。事実をもとにしたフィクション程度にお楽しみください。


前提条件

まず当時の私のステータスをご紹介します。

名前:赤沢たまねぎ
年齢:15歳
身長:156cmくらい
体重:42kgくらい
職業:高校生(通信制)
状態異常:体位性頻脈症候群

私は体位性頻脈症候群と中学生の時に診断されていました。体位性頻脈症候群についてざっくり説明すると、立ち上がる際に身体の血液が頭に廻らなくなり立ち眩みが起きたり、慢性的に頭痛や倦怠感に悩まされる症状が現れるものです。その為、中学時代は禄に学校に通えず高校も通信制を選択することになりました。
高校は週に一回、昼から家の近所の塾で課題をこなすという感じで通っていたのですが、それでも時々休むくらいには体力は無くなってましたし倦怠感が酷かったです。

それでも高校生になってからは、毎日学校に行かないといけない、学校に行ってない、というストレスから解放され外出することも増えました。このまま体力をつけて社会復帰だ〜と当時の私は母とそんな風に話してました。

嘔吐のはじまり

9月の土曜日の午後のことです。ヤクルトを飲んだら途端に吐いてしまいました。その後薬を飲んでも吐き何を食べても吐きと身体が飲食物を受け入れなくなりました。前々から少しお腹が痛くて病院に行くなどしていたので、何か悪化したのかな、そういえば親戚が脱水症状で嘔吐を繰り返していたから脱水症状かな、とか考えながら寝込んでいました。

不幸なことに3連休の土曜日の午後に症状が出始めたので病院に行けるようになるのは次の火曜日です。苦しい思いをしながら耐えていました。

火曜日になってやっと病院に行けました。私と母は恐らく脱水症状によるものではないか、そして嘔吐を繰り返して栄養不良を起こしているのではないかと思っていた為、点滴を打ってもらいお腹の薬を頂いてその日は帰りました。

しかし、症状が全く持って良くなりませんでした!次の日も病院に行き点滴を打ってもらいました。

その次の日もお腹が痛くて食事もままならず栄養ゼリーをちびちび飲んだりして過ごしていました。もう何日も腹痛と嘔吐に苦しめられています。私は耐えられなかったのでこの日も病院に行きたいと母に言いました。しかしこの日は木曜日、多くの病院がお休みにしている日です。なんとか木曜日にも診療を行っている病院を母が見つけました。その病院で吐き気止めを点滴で打ってもらいました。しかしこの吐き気止めによって新たな症状が現れ始めました。下痢です。

これは個人的な所感なのですが嘔吐と下痢なら下痢の方が辛いと思います。嘔吐は桶などを用意すればどこでも吐くことが出来ますが下痢はトイレに行かないといけないですからね。

次の日もお腹が痛くて辛かったです。私と母は悩みました。病院に行くべきかどうか。この頃毎日のように病院に行っています。治るまで家で安静にしておくべきでしょうか、それとも病院に行って、大きな病院で入院させてもらうべきでしょうか。悩んだ末、病院に行くことに決めました。主治医の先生も大きな病院に紹介状を書いてくれました。
これでやっと家で治る見込みもないまま苦しむ時間が終わる…。そう思ったのですが、その時点で11時を過ぎており大きな病院で診てもらうのは次の日になりました。その日は泣く泣く家に帰り、腹痛で転げ回りました。

大きな私立病院へ

やっと大きな病院に行けるようになりました。大きな病院で診てもらうのは滅多に無いのでソワソワしました。医者の先生がお腹を押さえて痛かったりお腹を押さえて離した瞬間がもっと痛かったりしました。この辺あまり覚えていないのですが検査したら消化管が炎症を起こしていると言われました。何らかの原因で消化管が炎症を起こしたみたいです。暫くの間点滴で絶食になりました。

初めての入院生活が始まりました。家族、特に母は私が頼んだのもありますが、毎日のように来てくれました。病院には水のサーバーや自動販売機はあるのですが水や着替えを持ってきてもらってましたし話し相手にもなってくれました。

色々と検査したりした記憶があるのですがあまり覚えていません。
とにかく暇だったことは覚えています。wi-fiが無いのですぐに通信制限がかかりました。非常用に使えるラジオ付き目覚まし時計を持ってきていたのでラジオを聞いたりしてました。

確かこの時に炎症が潰瘍性大腸炎に似ているが直腸が綺麗すぎるので潰瘍性大腸炎とは言い切れないと言われました。(ざっくり解説:潰瘍性大腸炎は直腸(肛門付近)から炎症が始まるとされている。血便を起こす人が多いのも直腸が炎症を起こしているから、赤沢たまねぎは現在まで真っ赤な血便は出たことが無い)

入院から1週間以上経過

さて、点滴生活をしているうちにお腹の痛みが引いていき嘔吐や下痢も減っていきます。するとお腹が空いてきます。入院してから1週間以上経過する頃には口を開けばお腹が空いたと言っていました。そもそも入院前から禄に食べられていないわけですしね。

血液検査の結果も良好。満を持して食事が始まります。看護師さんがご飯を持ってきてくれます。待ちに待ったご飯、ほかほかの白米が食べたいな。お茶碗のフタを開けます。その時私は落胆しました。中身がなんとおかゆだったのです。私はおかゆがどうも好きではありません。普通のお米のほうが好きです。長い間食事をしていなかったのだから先ずは消化に良いおかゆ、それは分かるのですがこんなに食事を我慢したのだから普通のお米が食べたい!がっかりしながらおかゆを口に運びます。……美味しい!!!!!えっ美味しい!!!!おかゆってこんなに美味しかったっけ?それに煮魚も滅茶苦茶美味しい!!出汁がしみます。空腹が一番のスパイスとはよく言ったものですが絶食後のご飯は今まで食べたご飯の中で一番美味しかったです。

食事が始まってからの回復は早かったです。絶食の効果により体重が4キロくらい減ったりしましたがお腹の痛みも無くなりかなり元気になりました。特に米飯やパン食が始まったときの喜びったらないですよ。とっても美味しかったです。

私の記憶が正しければ、退院直前に大腸カメラをしたと思います。黒くてブカブカの穴が空いたパンツに履き替え、検査台に寝そべります。初めての大腸カメラ、私は不安で一杯でした。確か大腸カメラってお尻の穴にカメラを入れるはず、そんな怖いことが今から始まると思うと不安で仕方がありません。看護師さんが鎮痛剤を打つと私に伝えました。良かった、とにかく痛くはなさそうです。

ー暗転ー

目が覚めると病室のベッドの上でした。一瞬で眠る効果のある薬があると知りとても恐怖したことを覚えています。

とにかく、炎症も落ち着き退院が決まりました。病院のサービスについてのアンケートに答えて退院です。看護師さんからしばらくは消化の良い食べ物を食べるように指示され消化の良いものって何なんだろうかと思いつつ退院しました。

次回予告

無事、初めての入院生活を乗り切った赤沢たまねぎ。絶食して体重が減った分たくさん食べないとね。赤沢たまねぎは、あるものを大量に食べる。その先に待っていたものとは。次回「2度目の入院前」
え〜!退院して1週間でまた入院!?
お楽しみに!

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