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春、よーいドン!(短編小説)

 風が強めに吹いた。少し遅れて、アフロヘアーみたいな桜の木が、さわさわ、と揺れる。宙を舞う薄桃色の花びらが、私の真新しい制服に当たって、地面に落下した。今の時期に、この道を通るのは初めてだ。これからは、毎年四月になると、綺麗な桜が見られるのか。ありがたいなぁ、と思った。
 登校時間からだいぶ早い電車に乗ってきたため、周囲には人の姿はなかった。私は再度、桜の木を見上げる。今日から三年間、お世話になります、心の中で桜の木に挨拶をした。今日から私は、高校生になった。
 辛かった受験勉強の日々も、この桜並木の光景に出会うためだった、と考えると、自分の行いが、全部、報われたような気持ちになって不思議だ。心も身体も軽くなったように感じる。
 うふふ。ふふふふふ。あはははは!
 桜を見上げていると、ますます愉快になってきて、私は、その場でクルクルと回転した。目の前の桜も、可愛い制服も、卸たてのローファーも、全部、私をウキウキさせるものになる。私はこの時、自分を取り巻くシュチュエーションに夢中で、気付かなかった。私を見つめる冷たい眼差しに。

 回転しながら、目を見開くと、同じ景色が目まぐるしく入れ替わっているように見える。その視界の中に、一人の女の子が、唐突に現れた。私はすぐさま、身体を急停止させる。視線を女の子の方へ向けると、冷然と私を見つめ、立っていた。
 私と同じ制服、通学カバン、ローファーを身に着けているのに、彼女はとても大人びて見える。目が合うと、彼女は視線を逸らし、艶やかな黒髪を靡かせ、歩いて行った。
 私は、ほんの一時の間、彼女の後ろ姿を、ただぼんやりと眺めていた。しかし、すぐさま我に返り、彼女を追いかける。いやいや、このまま彼女を放っておくわけにはいかない!自らの無邪気な行為を見られたことに対する、恥辱で身体が熱を帯びていく。
 どうしよう、見られた?ハズいハズいハズい!
 桜並木の坂道を早足で上り、先ほどの女の子に追いつく。彼女は並んで歩く私にお構いなしで、マイペースで歩みを進めていた。
 「あの‥?」と、私が声を掛けると、彼女は興味なさげに視線だけをこちらに向けた。
 「あの‥どのあたりから、あそこにいらっしゃったんですかね?」
 「‥あなたが、笑いながらクルクル回りだしたあたりかな」
 サイアクだ。ほぼ全部じゃないか。
 「‥先程見たことは、出来れば忘れていただけると助かるのですが‥」
 「いや、忘れるのは無理」と彼女は綺麗な横顔で言う。「でも‥」と彼女は一度、言葉を区切り、顔だけこちらに向けて「言いふらしたりしないわ」と、安心する言葉をくれた。
 見た目美人で、表情の変化が乏しいために、冷淡な人間に見えるけど、根は優しい人なのかもしれない。彼女の言葉にひと安心しながら、私たちは並んで学校への道を歩く。彼女はそのことの方が気がかりのようだった。
 「‥まだ何か?」と、彼女は億劫な様子で言ってきた。
 「いや、私も同じ方向だし、何となく」と私は言い訳をしながら、彼女の隣で共に歩みを進めていた。何か話を広げなければ。
 「えっと、新入生ですか?」と私が聞くと「そうだけど」と、低い声で短く返ってくる。
 「じゃあ、同級生だね!よろしく!」と私は努めて明るく言う。
 「あぁ、はぁ」と味気ない返事が返ってくる。
 その後も、私は自分のことを懸命に話したのだけれど、彼女は私の話に、「へえー」とか「そうなんだー」とか適当に相槌を入れるだけで、興味なさげな様子だった。そんな彼女に「どうしてこんなに朝早く来たの?」と尋ねると、「他の人と同じ時間だと、人ごみになって面倒くさいから」と、また、ぶっきらぼうに言うのだった。あれ、何だか、私、空回ってる?

 側道に並ぶ桜の木々が途絶えた。顔を正面に向けると、学校の正門があり、その奥には、運動場と趣ある校舎がそびえ立っていた。私たち以外に人の気配はない。やはり、少し時間が早かったみたいだ。
 正門の傍らには『入学式』と達筆な字で書かれた看板が立てかけてある。
 私は感慨にふけっていたが、彼女は何でもないように歩みを進めていた。
 「ちょっと待ってよ!」と呼び止めると、彼女は怪訝そうな表情を私に向けてくる。
 「えーと、せっかくだから記念撮影しない?」と携帯端末を取り出して、恐る恐る、窺ってみる。彼女は「しない‥かな」と、相変わらず興味なさげに答えた。
 一体、どうしたら、この人から良い反応を引き出せるのか、と意気消沈してしまう。彼女は、そんな私に同情したのか、「貸して」と私から携帯端末を受け取ると、私に『入学式』の看板の隣に立つように促し、私のことを撮影してくれた。ワルい人じゃないんだよなぁ、と携帯端末を構えてシャッターを切る彼女を眺めながら思う。


 撮影が終わって端末を差し出される。
 「ありがとう。‥えーと‥そういえば、お名前は?」
 「いいよ、別に」と、歩み寄りをやんわり拒否される。
 「あのさ、いつもそういうかんじなの?」と私は思わず聞いてしまう。質問してから、自責の念に駆られる。後先考えずに、人に干渉するのは私の悪い癖だ。
 「だって、人間関係とか面倒くさいでしょ」と彼女は言う。なるほど。私は、彼女の言葉とこれまでの態度から何となく事情を察知した。彼女には、彼女なりに思うところがあるのだろう。
 「でも、友達がいた方が、絶対楽しいよ」
 「そうかな‥」と言った彼女から、再び冷淡な空気が滲み出た気がした。

 「私、”トモダチ”はいらないんだ」
 「そんなことないよ!」
 私の勢い任せの言葉に、彼女の視線が上がる。思わず目が合ってしまい、少し気圧される。けれど、思いを伝えるには、しっかり相手の目を見て、だ。
 「絶対、必要だよ!」
 「どうして?関わる人間が多くなると、面倒が増えるだけでしょ?」
 たしかに、そういう一面もあるかもしれない。でも、きっとそれだけじゃない。私は、いつの間にか、彼女を説得してやろう、と必死になっていた。
 「本当の友達は、あなたに面倒事を持ち込まないよ。足を引っ張ったり、無神経な言動で人を傷付けたりしないよ」
  「‥‥」
 「わかった!あなたはまだ、本当の友達に出会ってないんだよ。だったら私が‥」
 「あなたが?」
 「私が、あなたの友達になってあげる!」
 彼女は私の言葉に、一瞬、呆気にとられ、しかし、すぐさま怪訝そうに私を眺め、「あなた、変な人ね」と言ってきた。
 「私と友達になって、何のメリットがあるの?」と彼女は聞いてくる。
 「メリット?そんなこと考えて友達になったことがないから、わからないよ。でも、大人になって振り返った時に、『学生時代にあの人と出会えてラッキーだったな』って思えたら、いい思い出になると思わない?」
 お互いに、と私は言葉を付け加えて彼女の反応を伺う。彼女は相変わらず呆れた様子だった。しかし、溜息を吐くと、根負けしたのか、纏っている空気が柔らかくなっていく。これまでのような、私を敬遠する雰囲気が薄まっていくのを感じる。
 「それじゃあ、あらためてよろしく、だね?」
 私は手を差し出した。彼女は、渋々といったかんじで、同じように手を差し出す。
 「私、チサキ。ヨシノ チサキ。よろしく」
 「‥キョウコ。ツキシマ キョウコよ」
 キョウコさんが遠慮がちに差し出した手。私は、しっかりと、握る。
 山の上部に構える学校には、未だに冬のような冷たい空気が漂っている。
 しかし、私は春の訪れを確かに確信した。
 風に吹かれた前髪を整えるキョウコさんの艶やかな仕草が、あまりに景色に映えていたから。
 
 
 fin.
 
 

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