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金木犀の味





ほんのりと香しい金木犀の匂いが日に日に強くなって来た頃には、ポタポタと、もう地面に細かいオレンジの花びらが散ってしまっており、それは桜の儚さとも似るようで。









「はよマクド行きたい、マクド」





大阪の下町にある小さな小さな風呂なしアパートの畳6畳間の一室で宝少年はそう言います。


このアパートというのが、うちのひいおばあちゃんの家で、正月はもちろん、秋のふとん太鼓の祭りがあるときには親戚一同がよう集まってました。


この家には6畳間が、真ん中の襖を境に、2つあるという配置でありまして、大人が玄関に近い6畳間で水炊きを囲み、子供が奥のボットン便所に近い6畳間で遊戯王のカードを囲む感じでしょうか。



このひいおばあちゃんというのが、うちの父方の家系でして、やけに親戚の多いことは、昔ならではなのか、離婚が多かったのか、と判然としませんが。



ついちゃん、やら、めーちゃん、やら、たけさん、やら、よう見る顔やけど、どこぞのどんな人や、言うのは、全くもってわからんのですけど、そんなもんは子供が理解するには到底早すぎましたし、それは大人になってからでも、ああ、そういう関係でしたか、と理解するにも幾分時間がかかりそうな案件でありました(当時12歳)



そんで、いつもマクドばっかり食べてる宝を連れて、出店行ってカステラでも食うぞ、と半ば強制的に連れ出す時は、大人達がお酒を飲んで顔が赤らんでくる時で、狭いアパートの部屋が湿っぽくなる時で、刺身の醤油皿の醤油が乾いてなんか汚いなあと思う時であります。









そんなアパートから電車で3駅ほど行ったところに、うちの母方のおばあちゃんのマンションがあります。



じいじがリビングでゴルフクラブを素振りしたせいで欠けている電球は気になりますが、8階に流れてくる心地よい風、何も音のしない生活環境下では、ゆっくりリビングのラグの上でパズルをしたり、ゲームをしたりするのが快適で、週末によく訪れており、決まって日曜の朝にはおばあちゃんと一緒に団子を大量に作って食べていた思い出が懐かしく光ります。



前日の土曜夜には、これまた決まって、マンションから徒歩10分程度にある‘よっちゃん’という焼き肉屋さんに行くのが恒例で、焼き肉にテンションが上がることはもちろん、行き帰りで通り抜ける商店街の本屋、おもちゃ屋で、今日はどこで何を買うてもらえるんかなという期待も大きかったのを思い出します。



そして新しく手に入った物を抱えて、帰宅するや否や、リビングのラグの上に広げて遊ぼうとすると、オカンが、あんた先にじいにありがとう言うてきいや、というので、じいじの部屋に行き、じい、ありがとうなあ、と伝えると、これまたお決まりの、おばあちゃんが用意したロックグラスにサントリーオールドウイスキーを注ぐじいじの後ろ姿と、おうよ、という返事でした。









小津安二郎「秋刀魚の味」を観ようと思ったのは、つい最近引っ越した友達のマンションの前の図書館に小津監督展示コーナーを発見し、それは監督がその江東区深川の生まれであるらしく、ちょこちょこと小津作品は観てきたけれども、また観ようと思う良い機会に恵まれたなあとのことであって。



昔の昭和の風景は多少時代は違えど、どこかしこにひいおばあちゃんの家やら、その家に集まっていた人たちが思い出されるわけでありますが、少しばかり美化してしまうのは、画面の中に映る登場人物は割とブルジョワで、ひいおばあちゃんの家の辺りに漂っていた猫の小便の匂いとは違う有り様で。



でもやはり、そこにいた人々の活気であるとか、言葉遣い、日本語の使い方というのは、ひいおばあちゃんの家の奥の部屋から半分閉まりかかった襖越し(思えばそれはスクリーン)に見ていたあの当時のような空気感であって、温かくて、可愛くて、小津さんとの違いは、こちらはやっぱり湿っぽさでしょうか。



ああ、けど、ひとつ、40年越しに開く中学の同窓会のシーン(まさに襖越しです)、先生を呼んで生徒が一同に会して宴を開くというもので、ひょうたんと呼ばれる先生が早々に酔っ払って、愉快でした、と会を後にするシーンは少し湿っぽい場と共に、まあ先生これお持ちくださいと、生徒の一人が卓上に余ったサントリーオールドウイスキーを手土産として渡す瞬間は、ひいおばあちゃんとじいじに同時に包まれているような感覚でありました。









            終

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